第3話 私の妹 - 3

――廻、何を描いているの?

『あっ、お姉ちゃん!? 恥ずかしいから見ないでよぉ』

――どうして? とっても可愛らしい絵じゃない。恥ずかしがることなんて無いわ。

『そ、そうかな……』

――廻ならきっと、色んな人に愛される絵本作家になれるでしょうね。

『えー、お姉ちゃん大袈裟だよぉ』

――そんなことないわ。廻の描く絵には、廻の優しさがちゃんと現れてる。子供たちの人気者になること間違い無しね。

『うう、照れちゃうってばぁ』

――ねぇ、廻の将来の夢ってなあに?

『将来の夢?』

――うん。私が今言ったような「何になりたい」とかじゃ無くて、廻は「どんな人になりたい」のかなって。

『どんな人に、かぁ。……それならあるよ、私の夢』

――あら、聞かせてくれる?

『うん、私の夢はね――』








「……」

 夢を見ていた。今から二年程前に廻とした会話の夢だった。あのとき廻は、私の問いに対して何と答えたのだったか――思い出そうとしたが、寝起きの所為で頭が思うようにはたらかず、私は記憶の整理を諦めた。

「――はぁ」

 結局、父に言いくるめられてしまった私は午後の予定が何も無いのをいいことに、自室のベッドで横になっていた。今日は読みかけの推理小説を最後まで読んでしまうつもりだったが、とてもそんな気分にはなれなかった。

父との話し合いで私が優位に立ったことは一度も無い。当然といえば当然だ。向こうは私が生まれてから十二年間、ずっと月之世綴という娘を見続けているのだ。私を言いくるめることなど赤子の手を捻るも同然だろう。

それでも、私は悔しさを抑えきれなかった。廻のことに関しては、父よりも私の方がずっと理解している。廻が初めて絵を描いたときも、初めて料理に挑戦したときも、側にいたのは私だ。だからこそ、廻のことに関してだけは父に負けたくなかった。超能力という訳の分からない存在で、廻のこれまで生活を否定されたくなかった。

「……よし」

 仮眠を取ったことで、淀んでいた気持ちも多少だが晴れた。私はベッドから体を起こすと、身だしなみを整えてから部屋の扉を開けた。

「――おはようございます、綴お嬢様」

「おはよう須藤、用があるならノックしてくれて良かったのに」

「いえ、お休みのご様子でしたので」

 部屋の前で私が起きるのを待っていたであろうこの年配の男は、この家に仕える執事――名は須藤 源次(すどう げんじ)――である。短く整えた白髪に、180cm程の長身が特徴的で、凛としたその佇まいからは、あと数年で七十を迎えるという本人の年齢を感じさせない。

「それで、何かありましたか」

「はい。お父様から伝言を預かっております。今夜は急な食事会の予定が入ったので、  夕食は二人で摂って欲しい、と」

「……そうですか」

 父のことだ。私の前で廻の話をしたくないのだろう。口では三人で話し合おうと言いながら、本人にその気は全く無いのだ。

「分かりました。廻には?」

「これからお伝えに参ります」

「そう、では廻には私から伝えておきます。須藤は仕事に戻ってください」

「畏まりました」

 そう言うと、須藤は廊下の奥へ姿を消した。

 須藤は父が幼い頃から、月之世家の執事としてこの館に仕えている。あの無駄のない洗練された立ち振る舞いに、幼い頃は萎縮してしまっていた。だが、一度廻が中庭で遊んでいて怪我をしてしまったとき、駆けつけた須藤がすぐさま治療を施し、泣きじゃくる廻をあやしてくれたのを見てから、私は彼に強い信頼を感じている。忙しい父の代わりによく私たちの面倒を見てくれた須藤を、私は第二の父のように思っていた。

「さて、と」

 私は廻の部屋へ向かって歩き出した。窓から見える空は、まだ十五時過ぎだというのに暗い色をしている。その空模様がこれから先に良くないことが起こると予見しているように見えたのは、昼食時にあんなやり取りをしてしまったからだろうか。そんな柄にも無いことも考えているうちに、私は廻の部屋の前まで来ていた。

「廻、ちょっと良い?」

 ノックをして尋ねると、ぱたぱたという足音が聞こえてから扉が開かれた。

「お姉ちゃん?どうしたの?」

 私は先程須藤から預かった父の伝言を廻に伝えた。

「そっかぁ。じゃあ今日は、久しぶりにお姉ちゃんと二人っきりでごはんだね」

 廻はそう言って微笑んだ。父の仕事の詳細を私はよく知らないが、以前は仕事の都合上家を空けることも少なくなかった。しかし、ここ数週間父は家にいることが多かったので、廻と二人で過ごすのは、言われてみれば久々だと思う。

「そうね、久々に羽を伸ばせる夕食になりそう」

「もう、お姉ちゃんったら、お父様がかわいそうだよ」

 冗談で言ったつもりではないのだが――そんな本音を隠しつつ、私は廻と笑い合った。

「ね、お姉ちゃん。晩ごはんの時間まで私のお部屋にいない?」

「あら、珍しいわね。廻の方から誘ってくれるなんて」

「今日はお勉強もお休みだったし、ちょっと退屈してたから」

「そう、それじゃあちょっとお邪魔しようかしら」

 私は廻に促されるまま部屋へ入った。ウィルトン織の高級絨毯に、花台、寝台、背の高いフロアランプなどが部屋を彩っている。基本的に私の部屋と造りは同じだが、ベッドや椅子にちょこんと座っている可愛らしい友人達が、月之世廻という少女の人柄をよく表していた。私は適当なところに腰を下ろし、彼らに挨拶をしようとして、

「あら、この子は新入りさん?」

 箪笥の上に、見覚えのないうさぎのぬいぐるみがいることに気が付いた。廻に物心がつく頃にはいたであろうふかふかの熊の隣に、熊よりも一回り小さいその体がちょこんと収まっている。

「うん、この前源次さんがくれたの。なんかね、メイドさんたちが内緒で開いたパー ティーで貰ったんだって」

 そういえば聞いたことがある。一般的な社会では、大きな仕事を終えたときなどに、その功績を讃え合う為にパーティーを開くことがあると。普段の業務上では取れないコミュニケーションを取ることで、人間関係がより深まる……とか何とか。この館のメイド達も、父の仕事を祝う為にパーティーを開いているということだろう。何故内密に行っているのかは分からないが。

「ふぅん、須藤が、ね」

 私は思わず失笑してしまった。あの仏頂面が、こんな可愛らしいうさぎを抱えて立っている姿を想像して、そのあまりの不似合さにおかしくなってしまったからだ。きっとメイドの誰かからプレゼントされたは良いが、自分には似合わないなどと思って廻のところまでやってきたのだろう。それでも、私ではなく廻にあげたところを見ると、やはり私たちのことをちゃんと理解してくれているのだなと嬉しく思う。

「お姉ちゃんの部屋にはぬいぐるみさんいないよね。寂しくないの?」

「私は本があれば十分よ」

「うーん、もったいないなあ」

 ひとつくらい置いても良いかなと思うこともあるが、ぬいぐるみだって飾り気の無い私の部屋よりも、仲間がたくさんいる廻の部屋の方が居心地が良い筈だ。

「つづりちゃん、あそぼうよー」

 廻がぬいぐるみのひとつを操って私に寄ってきた。卵の殻を被ったひよこのぬいぐるみが、よちよちと私の足を上ってきている。

「ふふ、遊んでほしいなら頑張って私の肩まで辿り着いてみなさい」

 私は人差し指でひよこにちょっかいを出しながら挑発した。廻の人形遊びにはこうやって幼い頃から付き合っている。尤も、私はぬいぐるみを持っていないので、こうやって廻の人形の相手をすることが、私たちの人形遊びの主流となっていた。

「ううー、つづりちゃんのゆびがじゃまだよー」

「あらあら、貴方の先輩の熊さんはこれくらい平気な顔で上ってきたわよ?」

 廻が十一歳になってもそれは変わっていない。まだまだ子供だと言われるかもしれないが、私はそんな廻に癒されていた。こうやって廻の趣味に付き合うのが、私にとってはこれ以上ない至福の時間なのだ。


 その後は、新入りのうさぎの立ち位置を二人で考えたり、廻の描いた絵本を眺めたりしながら夕食まで過ごした。夕食の際も二人で他愛の無い話をして、夕食を済ませた後は廊下でお互いの部屋へと別れた。

「……ふふっ」

 部屋でベッドに腰掛けた私は、思わず笑みを零した。ああやって廻とたくさん遊んだのは久しぶりな気がする。最近は廻と会っても、父の廻に対する態度がどうしても頭をよぎり、心に靄がかかってしまうようになっていた。だから、今日の午後から父が不在だったのは幸運だったかもしれない。家であの澄まし顔を見なくて済むというのが、相当私の心を軽くしていたようだ。

しかし、廻に話そうと思っていた超能力の研究については、結局何も話せなかった。私自身あまり話したくないと思っていたのもそうだが、久々に廻の楽しそうな笑顔を見たら、とてもそんな話をする気にはなれなかった。父が持ってきた無粋な研究の話題で、廻の顔を曇らせるようなことはしたくなかったからだ。

また明日から考えよう――そう割り切った私は、途中まで読んでいた推理小説を開きながら、今日の出来事を思い返して、また小さく笑みを零すのだった――。



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