第2話 私の妹 - 2


 月之世 綴(つづり)は、家族を愛していた。

 妹の廻は素朴で優しくて、人を疑うことを知らない天使のような子だった。綴が勉強で疲れているときはいつも体調を気にかけ、メイドにでも教わったのか、温かい紅茶を持って行ってやることもあった。そんな優しい妹を綴は自慢に思っていた。

 父親の聡(さとる)は何でも知っていた。世界のこと、宇宙のこと、植物のこと、音楽のこと、機械のこと――綴が疑問を投げかける度に、聡は答えを与えた。綴は自分の世界が広がる喜びと、父に少しずつ近付けるような期待から、様々な疑問を抱いては聡に解を求めた。聡明な父を綴は心から尊敬していた。

 だからこそ、廻から授業の話を聴いた際のショックは大きかった。綴にとって憧れである聡明で優しい父が、妹にそんな冷たい態度を取っていたなんて――最初は何かの間違いだと思った。勉強に関しては自分ほどでは無いにせよ、廻だって素晴らしい才能を持っている。きっと父はそのことについて知らないだけなんだ――そう思った綴は、ある日聡にそのことを話した。だが、父の反応は綴の予想していたものとは全く違った。

「月之世の跡取りに必要なのは、動物と無意義に戯れる才能でも、味の濃い紅茶を淹れる才能でも無い。過去と現代を学び、未来を見据え、何が価値あるものかを判断し、選択する力だ。お前にはその力がある」

父に褒められて嬉しくないと思ったのは初めてのことだった。綴が欲しかったのはそんな答えでは無く、ただ一言――廻のことを認めてくれる言葉だけで良かった。しかし聡は、綴の大事な妹の才能を無意義だと言い捨てた。幼い頃からずっと綴が尊敬していた月之世聡という男は、この日から綴の憧れでは無くなった。



「おや、綴。ピアノの練習は終わったのか」

 私が食堂に入ると、食後の紅茶を飲んでいた父が声を掛けてきた。いつもと変わらない、優雅で穏やかな父の笑顔――その微笑みが妹に向けられていないことを知ってからは、大好きだった父の笑顔を素直に受け止めることが出来なくなっていた。

「ええ、少し遅くなってしまいましたけど」

 父が合図をすると、専属の料理人が昼食を運んできた。料理が全て揃い、料理人が厨房へ姿を消すのを確認してから、私は努めて平静を装い話を切り出した。

「廻から聞きました。超能力の研究について」

「そうか、ならば話は早いな。私もそのことについて話しておこうと思っていたところ  だ」

 何故三人が揃っている時に話して下さらなかったのですか――そう問い詰めたいところだったが、無駄な問い掛けだと理解しているので止めた。三人でいる時にこの話をすれば、私が反対して廻を庇うことを父は察していたからだ。廻と二人きりの時に話をしていた方が父にとっては都合が良い。

「私の知人が超能力の研究を行っていることは聞いているね? 彼の研究が進めば、人類は更なる境地へと足を踏み入れることになる。廻にはその手助けをして貰おうと思ってね」

「何故廻を? 超能力の発現は既に成功している筈です。必ずしも廻でなければいけないということはないでしょう」

「いいや、廻でなければ駄目なんだ」

 父は断言した。普段と変わらない優雅な笑みが、私の心を見透かしているようで居心地が悪い。

「確かに綴の言う通り、被験者は他にも存在する。だが彼らでは仮に超能力が発現したとしても、それは一時的なものに過ぎない」

「一時的なもの?」

「そうだ。まず、超能力発現実験の被験者達はほとんどが成人している。そして、彼らの内超能力が発現した者ほぼ全員が、一日で能力を失っているのだ」

「超能力を、一日で失っている……?」

「ああ。しかし、超能力を失わずにいた人間が唯一人存在した。彼は被験者の中で唯一の未成年者だった」

「え――」

 私は唖然とした。だが、ここで冷静さを失えば父のペースに飲まれてしまう。私は心を落ち着かせるよう自らに言い聞かせてから、父を真っ直ぐに見据えた。

「廻と脳波が酷似しているというのが、その未成年の被験者ですか」

「察しが良いな」

「ですが、それなら未成年の人間全てに超能力者としての素質があるのでは?」

「いや、試しに知人が教授をしている大学で、健康診断という名目のもとに未成年の学生達の脳波を検査してみたが、被験者の彼と脳波が似ている人間は一人もいなかった」

「そんな……」

 眩暈がした。ならば、やはり廻に超能力者の素質が……? ――いや、惑わされてはいけない。そもそもそんな研究自体、真っ当に行われている保証など無いし、今の話も父の出任せという可能性もある。父は自分にとって目障りな廻を、それらしい理由を付けて遠くへ追いやりたいだけだ。廻を愛しているなら、そんな胡散臭い研究に関わらせること自体しない筈なのだ――

「綴」

 父の声で私は現実に引き戻された。この短時間で得た情報を整理する為とはいえ、沈黙の時間を作ってしまったことを私は悔いた。父のことだ。私が動揺していることなどとっくに見抜いてしまっているだろう。

「心配はいらないよ。実際、この実験で体調不良を訴えたり、後遺症が残った者はいない。それに、廻自身も取柄の無い自分にも別の才能があると分かって喜んでいたぞ」

それは、聞き捨てならない発言だった。

「取柄が無い……? 貴方が認めてあげないだけでしょう。あの子の絵の才能も、優しさも」

「それは月之世家にとって無価値な才能だと言っただろう」

「怪しげな研究に使えそうな脳波を持っていることが価値のある才能だとでも!?」

 思わず席を立ってしまい、声を荒げてから、私はしまった、と思った。興奮する私とは対照的にに、父はいつもの落ち着いた表情で私を見ている。そして、ふぅと息を吐くと、ゆっくりと席を立った。

「急な話で混乱させてしまったようだな。済まない。この話は後日、廻も交えてゆっくり話すことにしよう」

 そう言うと父は、メイドを呼んでティーカップを下げるよう命じた後、食堂から出て行った。

 やられた――こうなることが分かっていたから、なるべく平静を装っていたのに。私が少しでも冷静さを欠いたなら、父はそれを理由に話をうやむやにするつもりだったのだ。そして、私の知らないところで廻をその気にさせるよう動くに決まっている。

すっかり冷めてしまった昼食を、メイドが片付けて良いものかと私を心配そうに見ている。私はそんな視線を気に掛けることすら出来ず、己の無力さに苛まれ、立ち尽くすことしか出来なかった。

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