第18話

 K市の外国人墓地は、市営の自然公園の一角にあった。

 応援のパトカーはまだ見当たらない。そのことに雅季は内心ほっとしていた。ここまで犯人を追いつめておきながら、目の前で横取りされるのはやはりいい気分ではない。

 公園の入り口には受付の小屋があり、夜間は封鎖しているはずの横開きの鉄格子の門が開いていた。車から降りた雅季は門を調べた。錠はピッキングで開けられたようだった。 

 公園内に通じる道は雪に覆われていたが、そこを通った轍の跡がほぼ満月に近い月光の下、くっきりと浮かんでいた。玉置は、ここにいる。確信した。

 車に戻った雅季は、無線で居場所と状況を報告した。

「外国人墓地は公園入り口から一キロメートルほど行った、右手の丘です」

 助手席でスマホを操っていた久賀が言った。

「では、行ってきます」

 グッと自分の方に身を乗り出した久賀に、雅季は咄嗟に左手を突きつける。

「約束ですよね。待ってるっていう」 

 不服の表情を浮かべた久賀に雅季は頷き、ドアを開けかけてから肩越しに振り向いた。

「エンジン切ってますから相当寒いですけど、自業自得ですからね」

「本望です。それだけでも篠塚さんと同じ気持ちを味わえるわけですから」

 久賀は雅季をじっと見据えた。

「気をつけてください」

 雅季は軽く頭を振って車から降りると、そのまま墓地の方向へ走った。

 気温がかなり低い。顔の表面が痛いだけではなく、網膜も痺れるようだ。息を吸い込むたびに冷気が肺に刺さる。目的の墓地は、等間隔に連なる鉄杭に鎖が巡らされ、区画されていた。天辺に十字架がついた石垣のアーチの横に、濃紺のBMWが停まっていた。

 玉置だ。雅季は周りへも注意を張り巡らせながら、慎重に車に近付いた。人が乗っていないことを確認して中を覗く。窓ガラスが雅季の息で曇った。車内は綺麗なもので、永瀬早紀が乗っていた痕跡は全くなかった。

 外国人墓地というだけあり、雪を纏った墓石のほとんどには十字架が掘られていたり、象られていた。墓石の間にはオベリスクも立っている。その時、視界の先で小さな光が動き、雅季の胸が高鳴った。足早に墓石の影に隠れながら進み、とうとう玉置の姿がはっきり見える場所まで近付いた。それぞれ高さの違う墓石の上に置かれたポータブル投光器が、玉置と永瀬早紀の姿を闇の中に浮かび上がらせていた。

 黒いワンピース姿の永瀬早紀は、すっかり雪を払った、横長の墓碑に寝かされていた。目は閉じているが、微かに上下する胸を見たとき、雅季はホッとした。

 玉置悟は濃いベージュのダウンジャケットにジーンズ姿で、黒のニットキャップを被っていた。彼は被写体のポーズを決めかねているらしく、彼女の上に覆い被さるようにして少女の手を動かしたり、たまに上から見下ろしたりして、スカートの裾を直した。その横顔は怖いほど真剣だ。何とかして玉置を早紀から遠ざけなくては。ここから彼に仕掛けるには玉置があまりにも少女に近過ぎた。動揺した玉置が早紀を襲う可能性は高い。

 雅季はそっとホルスターから拳銃を抜いた。隠れている場所から、再び周りを見渡す。墓地は鬱蒼とした木に囲まれているだけで、彼の注意を引きそうなものは見当たらなかった。

 一刻を争うというのに、気持ちばかり焦り、考えがまとまらない。

 久賀さん、私はどうすれば。

 不意に、近くの木から雪が落ちる音がし、雅木は息をのんだ。そっと玉置を見ると、玉置も手を止めて周りを窺っているようだった。それからすぐに近くのジェラルミンケースのほうへ屈み込んだ。カメラを取り出した。

『篠塚さんが、雪合戦しているのをベランダから見ました』

 突然、久賀の声が耳に蘇った。雪合戦。

『篠塚さん、コントロールいいですよね』

 今、玉置は被写体を写真に収めようとしている。撮影には光が必要だ。

 雅季は自分から一番近いポータブル投光器に目をやった。本体の薄型ライトを支えるのは細い二本のパイプ。そして、下方へ光を当てるために、墓碑とライトの足の間は石のようなもので傾斜が作られている。あの不安定な状態なら、雪玉をぶつければ落下するかもしれない。玉置がシャッターを切る音がした。

 玉置とその投光器の距離は目測で三メートル弱。それが早紀の安全を保証する十分な距離かはわからない。だが、賭けるしかない。彼が落下した投光器を拾う、そのときが唯一のチャンスだ。

 雅季は足下の雪をすくい、中に石を入れて丸く形作った。

 立ち位置を変え、シャッターを押しつづける玉置が雅季に背中を見せた瞬間、投げた。投光器は音も立てずに雪の中に落ちた。そこだけ雪が白く輝いている。光を失った玉置は体を起こし、首を捻った。カメラを片手にゆっくりと被写体から投光器の方へ進んだ。そしてついに地面の投光器に玉置が屈み込んだ。

 雅季が拳銃を強く握り、膝に力を入れたその時、不意に玉置が自分の方を向いた。相手の目は驚愕に見開き、固まった。気付かれた、と雅季が思った瞬間、玉置はぱっと身を翻して墓地の奥へと走り出した。拳銃を片手に墓碑の裏から飛び出した雅季は、なぜ彼がいきなり逃出したのか気がつき、愕然とした。

 あれほど注意をしたにも拘らず、パトカーが警光灯を点灯させながら墓地へ向かって来る。雅季は胸中で始関に呪いの言葉を吐き、玉置の後を追った。

「止まりなさい!」

 雅季は空に向かって発砲した。玉置は振り返もせず、走り続けた。雪を散らしながら、墓石をハードルのように難なく飛び越え、ぐんぐん距離を開いていく。狙撃しようにも、墓碑が邪魔をして、狙いを定めるのもままならない。雅季はひたすら後を追った。

 いつの間にか、墓地を抜けて林の中にいた。十メートルほど前を走っていた玉置がいきなり立ち止まった。転びそうになり、また走り出そうとする。また、つんのめる。雅季が距離の縮まった相手に向かってラストスパートをかけたとたん、ブーツのゴム底が滑った。あわや後ろからひっくり返りそうになり、なんとか踏みとどまった。

 玉置は依然、逃げようと手足を動かしている。だが、さっきほどの勢いはない。雅季も一歩踏み出し、やっとその理由が分かった。

 林は池に面していて、つまり、林を抜けた雅季と玉置はそれに気づかずに走り続け、今、凍った池の上に立っている状態だった。雅季のいる場所は、岸から約七、八メートルほどのところで、右手にはボート乗り場の小屋が見えた。シーズンオフだからか、ボートは陸に揚げられている。

「止まりなさい!」

 雅季は少しずつ池の中央に向かおうとする玉置に向かって警告した。池のほとりに到着したパトカーのライトに、彼の姿がはっきりと浮き上がる。雅季は慎重に足を運んだ。少しずつ、玉置の背中が近付く。

「止まりなさい!」

 二度目に叫んだとき、玉置はくるりと雅季に向き直り、腕を大きく広げた。雅季は銃口を玉置に向けた。

「手を背中に回して、そのまま膝をつきなさい!」

 玉置はライトの眩さに顔を歪ませた。笑っているようにも見える、不思議な顔だった。成人男性であるのに、ずっとあどけなく見えた。

「言われた通りにしなさい! 玉置悟。警察にはあなたを殺人容疑で逮捕状を請求できるだけの十分な証拠があります」

 玉置の笑顔がさらに広がる。

「あのパトカーの数を見たら、抵抗は無駄だとわかるはずです。一緒に来てください」

 雅季は一歩、また一歩と相手に近付いた。足下で「みしっみしっ」と氷が軋む音がすると、背中に冷や汗が伝った。

「殺したらいいんじゃないかな」

 玉置は朗らかに言った。

「え?」 

「捕まって、刑務所に入れられても、僕はなにも感じない。僕には感情が欠けているんだ。そして、判決を受けて死刑の日まで、僕は生き続けるわけだ。あんたたちの、全国民の税金で。それって、何か意味あるの? そんな人間を生かしておくことに。だったら、ここで殺した方がいいんじゃない? あんたにはそれが許されているんだし」

「あなたは柴山勝茂の手術を受けて、精神の支障を来たした。それだけでまた刑罰は違ってきます。精神鑑定を行い、減刑されることもあります。生きて罪を償うという……」

「償うって? あんたはなにもわかっていない。僕が生きていて誰が喜ぶの? 償うって、反省の気持ちがあってできることでしょ? 僕にはそれが全くわからない。僕は何も感じない。僕は生まれたときから、死んでるんだから」

「それは、あなたに頼る人がいなかったから。助けてくれる人がいなかったからでしょう。今私と一緒に来たら、専門家があなたを助けてくれるはずです」

「つまり、僕を病人扱いするってこと? この頭を治してから、苦しみを感じられるようになってから死ねってこと? あなたもなかなか残酷だね、刑事さん」

 はは、と玉置は乾いた声で笑った。

「母親が死んだとき、なんて言ったか知ってる? 知らないよね。『一人にしてごめんね。助けてあげられなくて』って言ったんだ。なんか、その時も、よくわからなかったんだけど、ただ、母親が泣いてるのは嫌だな、って思った。だって、僕がいて母親は幸せじゃなかったってことだよね。母親は僕のために何でもしてくれた。本当に。良くなるって聞いて手術もさせたし、最初にカメラを買ってくれたのも、あの人。母親は石崎勝茂が助けてくれるかもしれないって、連絡先を教えてくれたんだけど、見つからなくて、石崎についていろいろ調べたら、相当ひどいことしてるのがわかってね。自力でなんとかしようと思ったんだよ。自分で、自分で心を手に入れようとした。でも……」

 玉置はサーチライトをキラキラ反射する水面を見下ろした。

「もう、何もかもお終いだ」

 顔を上げた玉置の顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 お終い? 頭の中で問うと同時に、相手の考えを察した雅季は、一瞬パニックに陥った。銃を降ろした。

「なんか、話しただけでも気持ちがいいよ、刑事さん」 

「やめなさい! そこを動かないで!」

「もう、お終いにしようよ。僕も、刑事さんも」

 玉置がゆっくりと右足を上げた。それが降りていく動きが、スローモーションで見えた。

 

 *


 久賀は雅季が車を出てからしばらくして、彼女の後を追っていた。雅季に危険が迫っているときに、あんな約束なんて守れるわけがない。久賀は墓地に飛び込むと、雪に残された足跡を頼りに全速力で走った。

 俺はずっと彼女を追って来た。ずっと。長い間。追いかけていた頃の方が幸せだったかもしれない。近くにいると不安は募るばかりだ。現に今も……。

 もう、自分の目の前で雅季が傷つくのは耐えられない。今度こそ、俺が彼女を救う。今の自分はあのときの自分じゃない。

 光が見える。男が背中を向け、走り出す。ベージュの上着が闇に吸い込まれて行く。

「篠塚さん!」

 一瞬、逆光の雅季の姿がオベリスクに隠れた。再び久賀の目が雅季を捕らえたとき、彼女はすでに玉置を追っていた。

 久賀は永瀬早紀に駆け寄った。抱き起こし、外傷はないことにほっと胸を撫で下ろす。ただ、薄いワンピースを着ただけの体が冷えきっていた。顔もすっかり血の気を失っている。

 久賀は急いで自分のダウンジャケットで彼女を包み、その上から体を擦った。やがて来た救急隊員に引き渡す。彼等が毛布に包んだ永瀬早紀を運ぶと、久賀は再びジャケットに腕を通し、走った。林を迂回するパトカーの光を横目に見ながら、雅季の消えた林の中を疾走する。やがて視界が開けると、池のほとりの遊歩道に出た。池のこちら側には、等間隔にベンチが並んでいた。雅季はどこだ。久賀はぐるりと辺りを見渡した。遠目にパトカーが集まるのが見えた。

それらが池の方に停車するのを見て、まさかと思った。サーチライトの光の方へ首を捻る。

 雅季と玉置が水面に立っていた。ありえない。だが、その理由は池に近付くとすぐに知れた。

彼等は氷結した池の上にいるのだ。次の瞬間、久賀は顔を上げ、腹の底から叫んでいた。

「雅季さあああああああああんっ!!」

 辺りの空気を震撼させるほどの声量に、鳥が後方の林から羽音をさせて飛びたった。

「今すぐ、戻って!!」

 だが、雅季は気がつかない。それどころか、銃を持った手を真っすぐ伸ばし、玉置の方へ少しずつ前進している。いても立ってもいられなく、久賀はパトカーの方へ全力で走った。

「始関さん!」

 ロングコートに身を包んだ長身の男を制服警官の群れに見つけると、久賀は詰め寄った。

「どうして、誰も何もしないんですか!? 篠塚さんが……!」

「久賀検事。落ち着いて」

「落ち着いてなんかいられません! 氷は、氷が……」

「薄くなってる。昨日はだいぶ暖かかったから。この辺りはまだ厚みが残ってるらしいけど、あそこに今、彼等が立っているのも不思議なくらいだって。だから、今誰かがあそこまで行けたとしても、それから、どうなると思う?」

 肩で息をしていた久賀は、始関の険しい顔を見ると押し黙った。

「今、消防隊を手配している。あと、公園の管理人とボートも。見守るしかない」

 雅季が銃を持った手を下ろした。

『そこを動かないで!!』

 雅季が叫び終わると同時に、玉置が膝を曲げたまま片脚を高く上げた。

 ――うそ、だろ

 久賀が池に一歩踏み出した体は、直後に響いた銃声に固まった。

 目の先で、撃たれた膝を抱えた玉置が氷上で悶えていた。雅季はその場に尻餅をついている。

 雅季の名を叫ぶ自分の声がどこか遠くの方で聞こえた。五感が上手く機能していないようだ。

 始関が自分の腕を捕まえているようだが、その感覚すらよくわからない。自分の周りだけ真空状態のようで、全てが不確かだ。狭まった視界に、雅季しか見えない。こんなに近くにいるのに。どうして彼女の元に行けない? どうして触れられない? この体が邪魔だ。目の前にいるのに、また、俺は彼女を助けられないのか?

 やっと体を起こした雅季が走り出す。光の中にその姿が次第にはっきりするのを見て、久賀の意識が覚醒した。始関の腕を振り切り、雅季の元へ向かう。光に浮かび上がる雅季が、ぐんぐん近くなる。

「雅季さん! 早く……!」

 腕を出来るだけ前に伸ばす。四メートル……、あと、少し……。その手を、俺が必ず掴む。

「あ……」

 耳にしたのはどちらの声だっただろう。突然、雅季の姿が久賀の視界から消えた。

   


 氷に着地するたびに、一瞬体が浮遊感に包まれた。雅季は、冷水がブーツを舐めるのを感じながら、ひたすら足を動かしていた。何度もつんのめりそうになりながら、とにかく走った。直射するライトが眩しすぎて、何も見えなかった。

 でも、声だけは聞こえた。「雅季さん」と、ずっと自分の名前を呼んでいる人がいた。ただ、その声を目指して走った。

 岸まであとどれくらい? まだなの? 距離感が全く分からない。もしかしたら、永遠に辿り着かないかもしれない。やがて力尽き、氷は全壊し、池に呑み込まれる。

 その不安に、一瞬足の動きが鈍った。靴の下で、氷が砕けた。その瞬間、重力がなくなった。咄嗟に目の前の氷のにしがみついた。水に遣った下半身が痛い。あまりの冷たさに、呼吸が止まる。体の感覚が無くなる。

「雅季さん!」

 声が近い。「久賀さん」、そう答えたいのに声が出ない。口は開いているのに、喉に何かが詰まったかのように、空気が入ってこない。肺が、ぎゅっと押し潰されたままだ。

 近付いてくる逆光の黒い人影。

 滲む視界で、目の前でしゃがみ込む相手の輪郭を認めた。手が伸びて来て、凍った池の表面に張り付いている手を握った。強い力で引き上げられた体が、ぎゅっと抱き締められる。

「もう、大丈夫です」

 久賀の声が直に伝わる。大丈夫だと、思った。久賀にしっかりと肩を抱かれ、ほとんど引きずられるようにして――何度か足を滑らせながら――岸まで連れてこられた雅季が、ぬかるんだ土を踏んだとき、入れ違いに救急隊員と警察を載せたボートが岸を離れて行った。

 救急車の車中で濡れた服を脱ぎ、毛布の上からさらに滅菌アルミシートで体を包まれた雅季に、始関は簡単な事情徴収をした。久賀と始関、狭い車内で二人に挟まれるようにしてストレッチャーに座った雅季は、最初はあまりの寒さに吐き気がし、歯の根があわず、言葉を発するのもままならなかった。だが、青鞍が公園内の自販機で買ってくれたお茶を飲みながら、少しずつ話した。

 最後に、始関の顔を見据えて訊いた。

「発砲したのは、誰ですか」

「わからない。管轄の誰か。問いただしても誤魔化されるだけだと思う」

 始関は悔しげに顔を歪めた。

 あれは完全に不用意な発砲だった。間違っていたら自分の命はなかったかもしれない。

「もう、ここはいいですよね。早く病院に行かないと」

 雅季の話が終わると、ずっと黙って座っていた久賀が、痺れをきらしたように始関に言った。

「さて、久賀検事はどうします? 家に送らせましょうか。かなり遅くなってしまったし」

 始関に答えず、久賀は雅季をじっと見つめた。そこに再び始関の声が割り込む。

「久賀検事、だめですよ。篠塚くんは病院で一晩ゆっくり休まないと。それに独身女性の病室に親族でもないのに入るのは上司として僕が許可しません」

 雅季は脱いだ上着に手を伸ばし、ポケットからキーホルダーを出して久賀に渡した。

「あの、私の家に着替えを取りに行ってくれませんか? 明日、着るものが必要なんです」

 目の前に差し出された鍵と雅季の顔を久賀は当惑顔で見ている。雅季は久賀のスーツの胸にそれを押し付けた。

「お願いします。あの、じんちゃんに餌をあげてください。水槽の横にありますから」

 久賀は雅季の手を包むようにそれを受け取る。そして真顔で言った。

「それでは……つまり、下着は私が選んでいいんですね? 篠塚さんは何色がいいとか形とか、希望はありますか?」

 え、と雅季は目を瞬き、慌てて首を振った。

「ないです! 適当に、引き出しの一番手前にあるやつでいいですから!」

「ストッキングとタイツだったら、やっぱりタイツの方がいいですよね。寒いですし」

「しかし、珍しかったよね。久賀検事があんなに動揺するなんて。なあ」

 救急車を降りた始関が外で立っている青鞍に言った。

「当たり前でしょう! いつ氷が割れるかと思って……心臓が止まるかと思いましたよ」

「止まらなかったんだ」

「言葉のあやです」

「でも篠塚くんの下着のチョイスは、上司の務めだと思うんだ。それ、その鍵ちょうだい」

 始関が革手袋の手を伸ばすと、久賀はすかさずジャケットのポケットにそれを仕舞う。

「何言ってるんですか。逮捕状請求、その他諸々あなたの仕事はこれからでしょう。篠塚さんの下着取りにいってる時間なんか一秒だってないじゃないですか。迅速に送検してくださいよ。報道陣への対応だって。管理職の意味、よく考えて下さい。だから、下着を選ぶのは私です」

 二人の、あまりの低レベルのやりとりに業を煮やし、雅季はとうとう声を上げた。

「あの! 二人で『下着、下着』連呼しないで下さい! それに「選べ」なんて頼んでません! 取りにいくだけです! もう、いいです! 青鞍さんに頼みますから!」

「げえっ、自分ですか」

 青鞍が心底迷惑そうに顔をしかめた。

「ゲエってなんですか!?」

「だって、自分、命大事にしてますから」

 久賀と始関の鋭い視線を跳ね返す勢いで、青鞍は胸を張った。

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