第6話

 捜査に進展がないまま迎えた金曜日の昼過ぎ、猪山いのやま署生活安全課の三橋警部から『被害者の物と思われる所持品を発見』と連絡を受けた久賀と雅季は、さっそく彼を訪ねた。 

 猪山署は鳴海東署から四十キロメートルほど離れた、県の北部を管轄する警察署で規模は小さい。

「こちらが、そうだと思いますが、確認してください」

 三橋は小柄で頭頂部が薄く、目の小さい男だった。だが、目つきは鋭い。

 こげ茶のスーツの下には、濃緑のセーターを着ていて、胸ポケットから眼鏡の端が覗いていた。セーターは丸い腹のあたりの毛玉が目立つ。

 雅季が久賀を紹介すると、三橋は予期せぬ検事出現の困惑を隠さなかったが、それでも会議室に二人を案内した。机上には赤いワンピース、証拠品袋に入った靴、イヤリングが並んでいた。久賀は鞄から有馬樹生がプリントアウトしたそれらの画像を出して比べた。雅季もイヤリングの袋を手に取り、三橋に「間違いありません」と頷いた。

「通報は中古品を扱う店で、あれだ、リサイクルショップか、だったんですけどね。持ち込んだのはここら辺でも問題児で……」

「未成年ですか」

 久賀の問いに三橋は目で応えた。

「高校生ですよ。名前は小谷洋平こたに ようへい猪山高校いのこう三年。彼は窃盗、恐喝の常習でね。その店は初めてだったんですが、店員が新聞に出ていたワンピースを覚えていましてね。なんでも自分も欲しかったらしくて、即通報ってわけです」

「イヤリングは片方だけですか?」

 雅季が袋を持ち上げる。

「ええ、それだけでしたよ」

「少年はまだこちらに?」

「一応取り調べはしましたけど、いますよ」

「彼と話をしてもいいですか」

「構いませんけど……」

 捜査で参考人と話をするのはあくまで警察の領域で、三橋にとって検事の申し出は予想外だったに違いない。顔に戸惑いを浮かべ、警部は頷いた。

 久賀と雅季は三橋と一緒に取調室に入った。少年は不機嫌そうに顔を歪め、両手をズボンのポケットに突っ込み、脚を机の下に伸ばしていた。髪は脱色し過ぎて白く、強張っている。調書を持った久賀が少年の向かいに座り、雅季はその後ろ、三橋はドアの横に立った。

「私は検事の久賀だ。こちらは鳴海東署の篠塚さん。小谷洋平くんだね。もう一度、話を聴かせてもらえるかな」

「全部話したっつの。何度も同じこと言わせるな。ダルい」

 小谷洋平は久賀を上目で睨んだ。

「うん。でも大事なことだからもう一度、頼むよ」

「だからぁ、大川の高架下に袋を捨てたやつがいて、そいつがそのまま行っちゃったから、オレがそれ拾ったんだよ。ゴミ拾ってオレがそれ、どうしようが勝手だろうが」

「遺失物横領罪は一年以下の懲役、または十万円以下の罰金、科料となる。君はまだ未成年だから、家庭裁判所から出頭命令が来るかもしれない」

 小谷は机の下で脚を組み替えた。まだ久賀を睨んだままだったが、顔に緊張が走った。久賀は調書を広げ、言った。

「男が車から降りて、紙袋を捨てた。それ、いつ? 何時頃だ?」

「火曜日の……夜、一時くらい」

 脅しが利いたのか、少年は素直に答えた。夜中の一時に未成年がそんな場所で何をしていたかはこの場合、追求しないことにし、久賀は質問を重ねた。

「土手の上にBMWが停まって、そこから男が高架下に紙袋を投げ捨てた。君は彼に声をかけている。何て言ったの?」

「まじ、オレの真横に袋が振って来たから、アタマ来て土手駆け上がって『こんなとこにゴミすてるな』って。でも、そいつ、無視してすぐに車に乗った」

「男の顔は見た?」

 小谷は首を振った。

「ちょうど、外灯が壊れてるところだし。でも、中肉中背って感じだった。あの体格は女じゃない。キャップみたいの被ってたし。車は、あのマークが見えたからわかったけど、車種とかはわかんねえ」

「普通のセダン? 四つドアの」

「そんな感じ」

 少年は久賀の顔を見続けていた。表情は相変わらず憮然としていたが、嘘をついている様子はなさそうだ。

「それから、君は袋を拾った。それからどうした?」

「中見たら、洋服と靴と耳につける、……ピアス?」

「イヤリング」

 雅季は言った。少年が顔を上げる。

「それ。全部新品っぽかったから、普通に売れると思って」

「そういうことは初めてじゃない?」

「黙秘オーケー?」

 久賀は質問を変えた。

「イヤリングは片方だけしかなかったのか? それとも君がどこかに落とした?」

「そっちのきれいな刑事さんにだったら、正直に話してもいいんだけど」

 久賀はそれを無視した。

「証言が違ってくると、偽証罪も疑われるけどいいのかな」

「未成年だからって馬鹿にすんなよ。オレ、まだ売ってねえし。店に持って行っただけだし」

「おまえは質問に答えろ!」

 小谷が息巻くと、三橋が横から怒鳴った。そのドスの利いた声音に、小谷の視線が揺れた。

「もともと一個だけだ。どうせ売れねえと思っけど、一応持っていった」

 久賀が肩越しに雅季を見たので、首を横に振る。質問はなし。調書の確認すべき点も全て拾った。三橋に目配せをし、雅季と久賀は一緒に取調室を出ると、調書の写しと証拠品を受け取って鳴海署東に戻った。

 雅季が久賀を地検で降ろして鑑識に証拠品を回した後、刑事部屋に入ると机に瀬戸修二の聴き取り調書があった。それを読み終えると雅季は溜め息とともに頭の中でその名前の上にバツ印をつけた。 

 もし、安田里穂が瀬戸と特に懇意にしているならば、『男女関係のもつれ』で彼こそがマル被(被疑者)では、と期待を抱いていたのだが、それは調書によって砕かれた。

「同性愛者じゃ、ねえ……」

 反面、里穂が瀬戸を相談相手として選ぶのもわかる気がした。同性の付き合いと言うのはなかなか難しい。女同士だと常に自分と相手を比べるという、パワーバランスが裏に潜んでいる。相談を親身に聞く振りをしていて、その心中では人の不幸を自分の優越感に変えている場合が多い。それを知りつつ、相談するのは馬鹿らしいが、どうしても話を聴いてもらいたい。そんなとき相談相手が同性愛者であれば、普通の男性よりは女性の気持ちを汲むだろうし、女友達のようにすぐに噂が広がることもあまりない。里穂が『マリア』に出入りしていた理由も、もしかしたら有馬と話すのが目的だったのかもしれない。意外と彼女には同性の友達がいなかったのではないか。

 捜査会議の後、雅季は読み終わった調書の上に肘をつき、両手で顔を覆った。頭が重い。目の奥の痺れを感じて瞼を閉じ、考えた。

 会議に寄せられた報告も全く芳しくなかった。手がかりが全く無い。安田里穂の周りにはこれだけの人がいるのに、被疑者はまだ一人も絞れない。

 少年が見た男は誰だろう。たぶん、犯人だ。BMWに乗っていた。レンタカーとは考えにくい。つまり、経済的に余裕がある。それでは里穂の車はどこに? 男と被害者の関係は? 思考を巡らせていた雅季は、誰かの手が肩に置かれ、飛び上がらんばかりに驚いた。

「く、久賀さん……」

 コートを着たままで真横に立つ久賀は、心配そうに雅季を見下ろしていた。

「戻られたんですか。あ、まさか捜査本部に発破かけて来たんですか?」

「いえ、直接こっちに。彼等に嫌われているのはじゅうぶん自覚していますから、余計嫌われるようなことはしませんよ」

 雅季は机上のペットボトルを取り、水を飲んだ。それでも久賀の不意の出現に高まった動悸はなかなか治まらない。久賀は根古里の椅子にコートをかけ、席に座る。

「急ぎの用件を片付けて来たので、当分こちらに集中出来ます」

 雅季は会議の報告をし、瀬戸修二に関しての書類を渡した。久賀は一通り目を通すと、黙ってそれを雅季に戻した。思うところは雅季と同じだろう。

「犯人の行動範囲が広がりましたね。そして、ほぼ男と断定してもいいでしょう」

 雅季は頷いた。

「どうしました?」

 久賀は穏やかに訊いた。彼が雅季の心を読んだように絶妙なタイミングで訊いてきたことに驚いた。雅季はその声音に、つい事件に関する考察を吐露した。

「捜査方針が間違っている気がするんです」

「それは、どういうことです?」

 情けなかった。自ら、当初の目論見が外れていたと認めなくてはいけないのは、刑事としての勘が未熟だと証明するようなものだ。その反面、久賀に聞いて欲しいと言う気持ちもどこかにあった。久賀は今は自分のパートナーだ。中立な立場で自分の話を聞き、一緒に道を見つけてくれる。そんな期待があった。期待。期待など。いままで自分がずっと避けていたのに。でも、なぜか久賀は期待に応えてくれると、この数日で雅季は感じ始めていた。

「今まで私たちは、犯人像を、安田里穂に特別な感情を抱いている者として、捜査していました。でも、それは間違いではないかと」

「犯人と思われる男が、彼女の所持品を捨てたから?」

「はい。もし、犯人が殺人を犯すほど里穂を愛していたならば、彼女が身に着けた物を捨てないでしょう。それも誰でも拾われるような場所に。せめて燃やすとか。大事な物なら他人には絶対に渡したくないと思うのが普通じゃないかと」

「ええ、絶対に渡したくないですね」

 久賀は雅季から視線を外さず、きっぱり言った。雅季はその強い眼差しに一瞬怯んだが、そのとき久賀が「それで?」と継いだので、かぶりを振って応えた。

「わからないんです。ホシが一体何を考えているのか。捜査を進めるのに、その人物像が浮かんでこないんです。我々はホシの動機を見つけ、彼の行動の意味を突き止めなくては、先を読むことが出来ません。でも迷路の、同じ場所を闇雲にぐるぐる回っているような気がして……」

 久賀は机の上で両手を重ね、やや身を乗り出した。

「被害者を愛していなかったとしたら、目的は何だったんだろう」

 雅季が口を開く前に、久賀は続けた。

「犯人の目的は安田里穂ではなかったのかもしれない。つまり、個人的には無関係で、もっと別のこと……心臓が関係している。大体、彼女の心臓でなければならなかった理由は?」

「あ、花嫁……。推測の域ですけど、もしかしたら、犯人は始関さんのようにタウン誌を見ていたのかもしれません。新婚の女性が狙いだった……」

 雅季はふとあることに思い当たり、電話の受話器をあげた。

「それについて、有力な意見をくれそうな人いるんです」


 *

 

〈ちゃんと食事しろよ〉

 ラインのメッセージをチェックした晴美の頬が緩む。

 丞くんはやさしい。すごく忙しいらしく、ほとんど家で顔を合わせることはないけれど、ちゃんとこうして気にかけてくれる。ママからはまだメールは一通だけ、電話も来ていないのに。まあ、そこは丞くんがフォローしてくれてるからなんだけど。

〈大丈夫。丞くん今どこ〉

〈鳴海。篠塚さんと休憩〉

 久賀の返事に晴美は今度はにやりと笑う。また、篠塚さんだ。過去のラインメッセージをスクロールする。

〈篠塚さんと、調べもの。遅くなる〉

〈夕食、残さなくていい。篠塚さんと弁当食べた〉

〈『兎や』の塩大福、美味しいって。篠塚さんのお勧め〉

 彼の「し」の予想変換のトップはつねに『篠塚さん』に違いない。

 ていうか、篠塚さんって誰よと晴美は心中、独り言つ。まあ、大体想像はつく。たぶん、あの可愛らしい――年上に失礼かもしれないが――刑事さんだろう。

(普段ぜんっぜん隙ないのに、こういうところはダダ漏れなんだよなあ、丞くん)

 晴美はハンバーガーショップの二階の窓際に座り、ネオンの灯った駅前のロータリーを見下ろした。ハナキンの七時過ぎは、駅前も人や車の往来が忙しない。今日は予備校に話を聞きに行き、カリキュラム表と申込用紙をもらって来た。ネットでも申し込めるらしいが、久賀に頼まれていたハンドクリームも買うのに、街に出て来たのだった。

 デパートでハンドクリームをゲットし、銀行に記帳しにいくと、いくらか振り込まれていたので本屋に寄ってまんがと小説を買った。そこで既に6時を過ぎていた。家に帰って作るのも面倒だったので、ここでテリヤキチキンバーガーを食べ、まんがを読みながらアイスティーを飲んでいたとき、久賀からメッセージが入ったのだ。

 そうだ。デパ地下に『兎や』が入っていたら、塩大福お土産にしてあげよう。そう思って、アイスティーの残りを音を立てて啜った時、「ねえ」と背後から声がかかった。振り向くと、見覚えの無い女子二人が立っていた。たぶん、歳は自分と同じくらい。二人とも同じ学校の制服を着ていた。短いスカートから出ている黒タイツの脚は、一人は細くてもう一人は太かった。

顔は、前者がツインテールで、後者はショートボブ。普通に可愛い。

「あのさ、あたしらあの予備校に通ってるんだけど、さっきあんた、溝端と話してたよね」

 溝端恵里佳みぞはた えりか。予備校の受付で、晴美がうっかりトートバッグを落とした時、ぶちまけた物を拾ってくれたのが、恵里佳だった。恵里佳のバッグについていたアニメキャラクターのアクリルキーホルダー《アクキー》が、晴美も好きなキャラなのをめざとく見つけ、話が盛り上がって駅まで一緒に行き、ラインのIDも交換したばかりだった。溝端は高二だと言っていたから、きっと彼女たちもそうなのだろう。 晴美は素っ気なく言った。

「それがなにか?」

「あの子と付き合わない方がいいよ」

「なんであんたたちが決めるの?」

「少なくとも、あんたよりは溝端のこと知ってるから。学校も一緒だし」

 ツインテールが薄く笑った。

「あの子、ちょっと危ないよ」

 ショートボブが晴美に近付く。そのとき晴美の手の中でスマホが震えた。

「危ないって、どういう意味」

「溝端、なんか天使とか悪魔とか、そういうの信じてるグループのメンバーなんだって」

「宗教ってこと? なんか買わされるとか?」

「そうじゃないんだけど、ヤバいんだって。呪われるかもよ」

 晴美は思わず噴き出した。そのリアクションに二人は顔を見合わせる。

「ヤバいのは、あんたたちの方じゃないの?」

「ちょっ! うちらは親切心で教えてあげてんだからね!」

「後悔しても知らないし!」

 晴美はボア付きのミリタリージャケットを着るとトートバッグを肩から下げ、彼女たちの声を振り切って店を出た。

 ポケットからスマホを出してラインを開く。久賀かと思ったら、溝端恵里佳だった。

〈今度、うちに遊びにおいでよ〉

 メッセージの下で、晴美の好きなキャラクターのスタンプがピースサインをしていた。

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