クールである事と
「あの……わたしのやってたあれ……見ました?」
いきなり諸問題の核心を突いてきた。
クール、実にクール。
そして僕からすれば面と向かって答えたくない問題でもあった。
(どう答えたって角が立つに違いないじゃないかよぅ!?)
苦悩にのたうつ僕の脳内など関知しない様子で、河嶋さんは身じろぎせずにこちらを見つめていた。
あの光景を見てしまい、思わずツッコミを入れた時は真っ赤だった頬の色も今ではすっかり月明かりに劣らぬ白皙の色に落ち着いている。
(──そう、落ち着いてるんだよ)
彼女の沈着ぶりが伝染したのか、僕の心も多少は平静さを取り戻しつつあった。
人間、頭に血が回ると冷静さを保てず、まとまる考えもまとまらなくなるものである。そう、ここは彼女のクールさを見習って静かに、静かに相手を刺激しない最適解を
(……クール?)
ようやく思考力が平常値に戻ったのか、僕は状況の根本的な不可解さに気付く。
(河嶋さんは、何故あんな事をしていたのか)
いや、あれが見間違いだなんて事実を妄想に置き換えるつもりはない。ないのだが、僕の目撃してしまったあれの意味合いは見たままと異なっていた可能性が閃いたのだ。
さっきから心の中でも具体的な表現を行わなかったあれ。
即ち『
由来は諸説あるが、よく知られる『午前2時頃、誰にも見つからないよう、呪いをかける相手に見立てた藁人形に釘を打ち付ける』スタイルは江戸時代に完成したとされている『呪殺』──憎む相手を呪い殺す儀式である。
見たままをいえば、河嶋さんが丑の刻参りをしていた、という話になるのだが。
(はたして彼女のように理知的な人が、本気でこんな迷信に手を染めるだろうか?)
そう、迷信。
丑の刻参りは割と有名な呪いの儀式であると同時に、かなり有名な迷信──合理的根拠を欠いた『まじない』である。
百歩譲って彼女が憎む人間、呪い殺したい程に憎む相手がいたとしても、それを為すのに『呪殺』なんて手段を本気で取るタイプの子には思えない。
そして僕は彼女の儀式を見てしまったが故に回想できる事がある。
問題の情景、彼女が一心に槌を振るう横顔を思い出せば、そこには滾り燃え上がるが如き憎しみの感情などは浮かんでいなかったし、
(ついでに言えば時間もいい加減で恰好も雑だよね)
丑の刻参りはその名の通り『丑の刻』、午前1時から3時までの間に行うのが通例で、また白衣、白装束を纏う事とされている。
しかし目の前の彼女は21時頃、白い服は着ているが着物ではなくワンピース。他にも
(うん、絶対本気でやる気なかったよね)
冷え切って冴え渡る僕の頭はそう結論付けたが、そうなると彼女の行為にはどんな意味があったのか。
「うん、申し訳ないけど見てしまった。だけど──」
やる気のない『まじない』をひとり行う事の意味。
おまじないを行う女子の精神状態、或いは集団心理。
そういったものに僕はご先祖代々の職業柄、多少は詳しいのだ。
「あれは罰ゲームか何かかな?」
「……え」
僕の言葉が図星を突いたのか、河嶋さんの表情が僅かに曇る。
古来より多種多様な形で存在する、いや、今もなお増え続けている『おまじない』の類。
そんなおまじないの中には「いや、これ実行すんの無理じゃん?」という物も多く含まれており、丑の刻参りなどはその代表例だともいえる。
ラッキーカラーはピンク、だから今日はピンクのリボンをつけよう──そんな簡単な気分を変えるおまじないに比べ、準備するのも実行するのも非常に面倒な、根拠不明の代物も世に溢れている。
人の心理とは面白いもので、努力には等価の成果が望まれるのか「困難を伴えばこそ実現できればより効力がある!」的な物の考え方がある。
その一方で、やってみて効果がなければ嫌だという思いも作用する。いわゆる徒労、報われない努力を厭う心理である。
実行の難しいおまじないがある、きっと他の簡単なおまじないよりも効果があるに違いない、けれどやってみても無駄だったらどうしよう──こんな思考の果てにおおよそ辿り着く結論は、
(誰かにやらせてみる、だよなあ)
おまじないに限らず、スイーツの味でも評判のイケメンがいるカフェの噂でも別に珍しい事ではない。百聞は一見に如かず、しかし一聞でも体験者の情報はないよりある方がいい。
だから集団は誰かに『最初』の人身御供を差し出すべく、失敗のリスクを背負ってまで自分がやりたくない事を誰かにさせる口実を作るのだ。
それが「罰ゲーム」と称する、学生コミュニティでよくある面倒の押し付けである。あまりにも行き過ぎるとイジメに発展しかねないのだが──
「まあ嫌々やらされてるんじゃなければ別にいいんだけど──」
「あの」
目は口ほどに物を言う。僕の言葉を切った彼女は、物静かなクールフェイスにどこか子供じみたキョトンとした眼差しを浮かべていた。
ふむ、何かおかしい事を言ってしまっただろうか。
「何故そう思われたのか分かりませんが、あれはわたしが自発的にやってた事なんです」
「……………………そ、そう、デス、か」
根本的な誤りを指摘され、僕は舌がもつれて怪しげな外人タレントっぽい口調になってしまった。
一見理知的に見える彼女、しかし『内面如菩薩外面如夜叉』などの言葉通り、表面上は穏やかでも内心は誰かが憎くて憎くて仕方ない、誰かを呪い殺したい程に憎しみを抱えた子だったとは。
「でも見られてしまったんですよね……また最初からやり直しです」
消沈の言葉を吐く呪いの主・河嶋さん。まだこの上で効力も怪しい呪いを続けると宣言したに等しい彼女に僕は底知れぬ恐怖を覚える。
「22日目で失敗……やっぱりこの神社だと人目に付き易いんでしょうか、でも近所に他の神社も無いし……」
丑の刻参りを22回もやっていた事実を告白され、募る恐怖。つまり彼女は高校に入学した頃からずっと毎晩、この山で釘打ちをしていたというのか!
さらにこの恐るべき少女は次なる計画を立てている。既に僕という有象無象に興味を亡くしたように、僕の目の前で。
「でも100日続けるとなると、近所じゃないと難しいんですよね」
(……うん? 100日?)
「一晩で同じ効果が得られるって話も聞くんですが、それだと見つかる率が高くなりそうなので、どうしたものでしょう」
(一晩で100日と同じ?)
丑の刻参りは回数をこなす程効力があるとされている。
されているが、特に一定の回数・日数をこなすべしという規定はない。「100日に分けて100回すべし」という決まりは絶対に存在しないと断言できないが、存在しても極めてマイナーなルールだろう。
一方、古来より受け継がれる伝統的民間信仰に「100」の数を絶対視する物がある──
「仕方ないですね、今度はもっと慎重に……」
「あの、河嶋さん」
「あ、はい、失礼しました。ちょっと考え事を」
思案に没頭していた彼女が僕の存在を思い出したようだ。少し慌てたように顔を上げる。
「一言言わせてもらってもいいですか」
「……はい?」
僕は許可を得て、大きく息を吸い込み、全力で吐き出すように告げた。
「お百度と、丑の刻参りは、別ですから!!」
彼女は感情的にならないクールな少女である、それは間違いないと思う。
されど僕は知った、クールである事とアホである事は矛盾しないのだと。
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