彼女はクールである

「まだ丑の刻じゃないよね!?」


 謎の光景に直面し、深い考え無しに放った僕の脊椎反射ツッコミは、空気と共に視線の先の彼女をも震わせた。

 ビビクンと水揚げされたエビめいたリアクションを示した彼女は2~3秒ほど全身の動作を停止させた後、ギギギと音がするようなぎこちなさで僕の方を向いた。


 これが首だけ90度、或いは身体ごと奇妙に捻じ曲がって──というシチュエーションであれば僕はホラーワールドにご招待されていたのかもしれない。

 しかし幸いな事に──僕にとって幸いな事に、目の前の彼女は怨霊でも呪い人形ではなく、血肉を持ったクラスメートだったのだ。


 だがこんな現場を目撃された彼女に幸があったかは不明である。


「……」

「……」


 日の暮れた山奥に潜む闇の中、僕と彼女の視線はお互いを探るように交錯する。相手の出方を見極める、それはまるで先に動いた方が負けるサドンデスの風情を醸す──


(いや、僕は何と声をかけていいのか、適切な言葉が思いつかないだけなんだけど)


 おかしな光景に思わずツッコミを入れ、こうして問題行動の主に見つかってしまった以上、見て見ぬふりで立ち去るのは難しい気がするのだ。

 挙動は停止したまま首だけ顔だけで僕の方を振り返った少女、確か名前は河嶋ナントカさん。

 木々の間から差す月の光は意外と明るく、クラスメートの表情を僕の目に届けてくれている。


 冴え冴えとした月明りが硬質に整った彼女の顔を青ざめて見せた……のはほんの一瞬。

 冷えた月が真夏の太陽であるかのように、照らされた彼女の顔はみるみるうちに紅潮していった。

 そう、例えるなら下駄箱にラブレターを仕込んでいるところを誰かに見つかった、その気まずさを10倍増しにした感じ。


 事の詳細は明瞭でなくとも、ここで何をしていたかはバレバレ。状況的に言い逃れ不可能な事態を目撃された故の瞬間沸騰。

 そんな稀有な現象を、感情を表に出さないイメージだった彼女に見る事があろうとは──そんなギャップにある種の感慨を覚えたのだが。


 真っ赤に熟れたトマトは枯れ果ててスカスカの朽ち木のように、一言も発する事なく硬直したままで。

 或いはマネキン人形のように、コテリと倒れ込む。


 河嶋さんは気絶した。


「ええー!?」


 まさか呪いの現場を目撃されたから呪い返しを受けたわけでもあるまいに、と馬鹿げた事を考えたのは、脈や呼吸の有無を確認できた安堵感からだろうか。


「とはいえ、どうしよう」


 気を失ったクラスメート、この場に放置して立ち去るのは人道的に問題があるような、そもそも彼女が倒れたのは僕が横から声をかけたからのような。

 軽く彼女の肩を揺さぶってみるも起きる気配はない。或いは逃避の成分も含まれているとなると、すぐに目は覚まさないかもしれない。


「あの状況でのツッコミに罪はないとはいえ、流石に放置は出来ないよなあ」


 頭の中に山の地図を広げ、現在地から休憩できる場所の方角に当たりをつけた。勝手知ったる山の中、だいたいの位置関係は方位磁石に頼るまでもなく分かるのだ。


「やれやれ……日課のジョギングのはずが、とんだオーバーワークだよ」


 ぐんにゃりと脱力している彼女を背負い、僕は目的地に向かった。


******


 とりあえず彼女を木のベンチに寝かせ、水に浸した手拭いを額の上に乗せて暫く。自販機で買った冷え冷えのミネラルウォーターを半分ほど飲み干した頃。

 のっそりと、どこかボンヤリした表情で河嶋さんはゆっくりと身を起こした。


「……ここ、どこ?」

「参道の真ん中あたりにある休憩場所だよ」


 返事があると思わなかったのだろう。戸惑いを乗せた緩慢を一転、機敏さを感じさせる鋭い動作で河嶋さんは僕の方を振り返った。


「山頂の三城神社が観光スポットになる前はお年寄り達の散歩コースでもあったから、彼らのニーズに合わせて中休みのスペースは用意されてたんだ」


 といってもせいぜい屋根付きの庇に木製のベンチが幾つかと自販機が3台程度の簡単な代物だ。それでも山中に気絶した子を放置しておくよりは安全な場所、のはずである。


「……」

「……」


 その山中でのファーストコンタクトに引き続き、沈黙のままに見つめ合う羽目に陥っていた。はて、向こうからは上目遣いでこちらを探る様子が窺える。

 ……まあ、分からなくもない。

 彼女からすれば、どうフォローしても怪しげな姿を他人に見られたわけで。


(だとすれば、あまり長々と会話するのはよろしくないと考えるべきかな?)


 というか僕としても話しかける内容に困る状況なのは変わらない。

 相手は全く親しくない同級生。ほぼ個人として接触した覚えのない間柄で、その記念すべき第1種相互接触があれでは……。


「お──」

「あの」

「あ、はい」


 お大事に、などと当たり障りのない言葉を残して立ち去ろうとした僕だったのだが、ほんの半歩、半呼吸の差で機先を制された。


「あの、確か三城さん、でしたっけ」


 僕が彼女を知っていた程度に彼女も僕を知っていたようだ。

 よかった、これで不審者として突然通報される的な事態は避けられそうだと思ったのも束の間、


(その反面、通りすがりとしてそれっぽい言葉を残して立ち去るのが難しくなった!)


 今を適当にやり過ごしても明日には学校の教室で顔を合わせるのだ。


(成程、僕がこの状況に泡を食ってた間に彼女は僕がクラスメートである事を看破した上で落ち着きを取り戻したのか、恐ろしい子!)


 ちょっとおかしな行動を取っていたところを目撃してしまったとはいえ、流石はイメージ・クールビューディ。僕などよりも余程早く心の整理を済ませたのかもしれない。


 さあ、そんな彼女が落ち着きを取り戻した状態で聞いてくるのは何だろう。

 この場所はどこか──いや、これはさっき答えた。

 であれば僕が誰か、だろうか。


 或いは──


「あの……わたしのやってた……見ました?」

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