15センチのおまじない

真尋 真浜

月明りの下

 既に春の夜も更け、肌寒く21時を過ぎた頃。

 僕が『彼女』を偶然見かけたのは、日課にしているジョギングの最中だった。


 月明りに照らされた白い背中。


 山間のジョギングコースは神社の参拝ルートとは少し外れた位置にある。健康に留意する人間以外が好き好んで踏み入ったりしないだろう山道、そこからさらに外れた場所を歩く女性の後ろ姿を「何してるんだ?」と小首を傾げる。

 視界の悪い夜、それも遠目から女性だと思ったのは『彼女』が白いワンピースらしき服装だったからだ。あれが女装で徘徊するのが趣味の男でない限りは女性だろう。是非とも女性であって欲しい、是非とも。


「にしても、女性ひとりで何を──」


 不可解ではあるが、理由が全く見当つかない事もなかったりする僕だった。


 この山の頂には縁結びの神様として知られる『三城神社』がある。

 某アイドルが旅番組で紹介し、その際に共演したレポーター役の俳優さんと半年の付き合いを経てゴールインした事で「神社の御利益か!?」と話題になり、ここ数年は県外からも観光客の訪れる観光スポットと化していたのだ。


 メディアパワー恐るべしというべきか、地元にお金を落としてくれるありがたい存在が増えた半面、厄介事や面倒事を持ち込む人間が増えたのも事実。

 わざわざ山頂への表敬コースを外れて進む人影ありけり。取り立てて人里から離れた僻地という程でもないが、夜もそれなりに更けた時間。万が一に山奥へと迷い込み、これまた遭難でもされれば寝覚めがよくない事請け合いである。


「まったく、面倒なものを見ちゃったよ」


 ジョギング中に保っていた規則正しい有酸素呼吸に溜息を差し込み、僕はコースを外れて道なき道を進む事にする。とりあえずのゴールは迷い人候補生の女性である。


 幸い雲ひとつ無く夜を照らす月明りに導かれ、視界の悪い山林の向こうで僕は『彼女』を探し当てる事が出来た。

 暗がりで見かけた後ろ姿よりも多少は明確に、しっかりと個人を認識できる程度の距離。


「……あれ?」


 迷い人未満の女性を追いかけた時、僕はどこかの観光客だと思っていた。わざわざ夜更けに山を訪れたのも、正式な山道を外れて登ろうとするのも、旅の恥は掻き捨て的な浮ついた心の為せるわざだと思っていたので。

 だから月明りの下、視力1.2の僕が捉えた事実に少し驚いた。

 月光に照らされた少女の横顔に見覚えがあったからだ。


(確か…………河嶋さん、だっけ)


 クラスメートといえど、特に親しい間柄でもない女生徒の認識などはこんなものである。花の高校一年生、入学から一か月未満であれば何をいわんや。

 むしろ姓だけでも覚えていたのは凄いぞ、たいしたものだ僕、と自画自賛してもいいくらいではなかろうか。


 左程親しくもない、否、まるで親しくもないクラスメートの少女。

 それでも姓を覚えていた程度には若干記憶に残っているごく僅かながらの印象では、あまり表情を変える事のないクールなイメージが先に立っていた。

 僕が遠目から女性だと見分ける事の出来た一因、背中まで伸ばした真っ直ぐな黒髪も彼女に生真面目感、硬質な印象を深くする。


 僕にとっては単なるクラスメート、特にお互いの事も知らない、涼やかで静かなイメージだった同級生。

 観光客にあらず、どちらかといえば地元民に分類されるだろう彼女は。


 神社の裏手にほど近い山林の一角で。


 白い服で金槌を携え、


 これはまた、古式ゆかしい──


「まだ丑の刻じゃないよね!?」


 脊椎反射で僕の放ったツッコミがこの場において最適だったかどうか。

 はたして、もっと他に言うべき台詞があったのではないか。


 神社におわす氏神様、ならびに大声の先でビクリと震えた彼女を含め、こんな僕の疑問に答えてくれる者は誰も居なかった。

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