真相

「それで、説明してもらおうじゃないか。昨晩の一件、アレは一体なんなんだ」


所轄の取調室で、風間は大和に尋ねた。

あの一件の後、普通に帰ろうとした大和と少女を捕まえて、署まで連れてきたのである。

昨晩は大和も少女も寝てしまって全く話を聞くことが出来なかった。

それで今日こそは、と意気込んでやってきたのである。


「仕事だよ」


ここ1時間は何を聞いても返ってくるのは簡単な言葉ばかりで要領を得ない。


「だから、それはどんなものなのかって聞いてるんだ!」


強く机を叩き、威嚇する。

ともすれば恫喝とも取られかねないそれは、風間のキャリアの中で培ってきた一つの技術であった。


「…歪を正す。それが仕事。内容は昨日見たようなのと変わらない」


大和は大して動じた様子もなかったが、しばし考えたように顔を伏せると、淡々と語り始めた。


「歪とは何だ」


「そのままの意味だよ。例えば…そうだな」


そういうと彼はどこからともなくハンカチと小銭を取り出した。

手荷物は全て取り上げたはずだ。

風間は頭が痛くなる。きっとこれも昨晩と同じようなものなのだろう。

こんなことがまかり通る世の中になれば、それこそ警察権力は機能を停止する。


そんな風間の心配を他所に、大和はピンと張ったハンカチに小銭を置いていく。

全て一円硬貨だ。

全て起き終わると、ゆっくりとそれを持ち上げる。


「例えば、このハンカチが世界だとして、この小銭をヨゴレだとする」


「ヨゴレ?」


仏教用語か何かだろうか。耳馴染みのない言葉だが、聞いたことはあるような言葉のようにも思えた。


「流れの淀んだ物や人のこと。彼らはまだ軽度だ。陰鬱な気持ちを持っている程度のね」


十円硬貨を乗せていく。

少しハンカチは弛んだが、まだ硬貨はしっかりと残っている。


「これがある程度進んだヨゴレ。この辺から自殺する者も出てくる」


陰惨な内容を口にする割に、その口調は変わらない。


「でもこれは自然なことだ。気分の落ち込み具合によってヨゴレは濃くなるし、気分が晴れれば彼らは陽の側に回る。これで均衡は取れているんだ」


「これでか?」


「陽の精神が下から支えているから、これが均衡だ。-があれば+もある。そうして世界は収支を0で合わせようとする」


「修正力…」


昨晩大和が口にした言葉を思い出す。

あの時は一割も理解出来なかったが、何となく要領をつかんできた。


「厳密には違うけど、今は概ねその理解で問題ないかな。とにかく世界はこうして均衡を保っている」


しかし、と大和は続ける。


「例外のないルールはない。というとパラドクスかな?でも、この均衡を破るものが時々出てくる」


「それが昨日の…」


「そう、霊体は殆ど彼岸に身を置いているから、時々ああいう【神秘】を持ったものが出てくる。彼ら歪は人間とは桁が違う」


そう言って、大和は五百円硬貨を取り出した。

それをハンカチに落とした途端、ハンカチは大きく垂れ下がり、置かれていた他の硬貨も五百円硬貨に引き寄せられるように中央に集まった。


「こうして、普段なら飛び降りる程でもなかったヨゴレは触発されて爆発する。これが今回の飛び降りビルの真相だろうね」


弛んだハンカチを見て、風間は舌打ちした。

これはどう足掻いても警察には解決不可能な事件だ。


不観測者からの殺人。


世界の生んだ例外犯罪。


それで無辜の民が死んだ。

その事に、風間は憤りを感じていた。


「それでお前は…この例外を取り除く仕事をしている、と」


「そう。歪は放っておけば陰のヨゴレを引き寄せる上に、陽の住人さえ傷つける。だからこうして歪を正してるんだ」


「なぜ警察に言わなかった」


聞いても無駄とはわかっていても、聞かずにはいられなかった。

言われていたとしても、確実に無下に扱っていただろう。

わかっている。


わかっていても、聞かずにはいられなかった。


「俺たちは【神秘】を暴いてそれを自分の技術に、【魔法】に変える。人の手に余る【神秘】は、人が扱える【魔法】になった瞬間から効果が大きく減衰する。そしてそれは、知られれば知られるほど進行していく。例えば…」


そう言って彼は紙とペンを求めた。

風間は自分の手帳とペンを差し出す。


そこに大和は円を描いた。

まるでコンパスを使ったかのような丸い円だ。


「これが【神秘】の総量だとする。使うことによって減ることはないし、一般人になら知られることで減ることもない」


そして大和は円の中点を通る直線を引いた。

これで半円が二つになった。


「ただし、【神秘】は暴かれることによってその全てを減衰させる。【神秘】は失墜し、【魔法】という技術に成り下がる。俺の使う【魔法】は、この減った残りで出来てる」


今度は残った半円をまた半分にする。


「【魔法】は残された【神秘】とも言える。信仰が形になったものが【神秘】。人の手に届かない、わからないことにこそ意味がある。一人だけ知っていたら半円分使えたものが、二人知るともう半分になり、3人知ると三分の一に、そうしてどんどん減っていく」


半円が分割されていく。

線が増えれば増えるほど、一つ一つの円の面積は減っていく。


「誰もが使える【魔法】は、それこそジョークグッズ程度の力しか出せなくなるわけだ。これで、減っていくって言うのは理解できると思う」


実際はそうでもなかったりするけど、と言いながら大和はペンを置く。

半円は線が引かれすぎて、黒で塗りつぶしたかのようだ。


「つまり、【神秘】は暴くが【魔法】は秘匿するというのが俺たちの不文律なわけだ」


「でも、お前はあの時俺たちを拒まなかった」


昨晩、ビルの前で大和は確かに風間の呼びかけに応じた。

風間は彼を見たわけではない。彼の通った感覚があっただけだった。

大和は呼びかけを無視してビルにはいることもできたはずなのだ。


「俺もこの業界では異端な部類だけど、警察って大勢で調査とかするでしょ。同業者ならともかく、足でまといになる一般人が大勢いると流石に困るよ。あの時は刑事さん二人だけだったし、その位なら何とかなりそうだった。それに…」


「それに?」


大和は風間の目を覗き込んだ。


「刑事さん、見込みがありそうだったから、見せた方が早いなと思ってさ」


まるで、風間を見ているのではなく、風間の目を見ているかのように、彼は笑った。


「見込み…?」


「刑事さんはいい目をしてる。比喩でも何でもない。その目は特別だ」


大和は風間の目から目を離さない。


「勘が冴えると感じたことは?」


「見たこともない景色を見たことがあると思ったことは?」


「全くの初対面なのに事件の犯人を確信したことは?」


「感情に色がついているように見えたことは?」


矢継ぎ早に大和が質問を投げかける。

彼はそれらの事象が風間に起きたことがあると確信していて、事実、風間にはその経験があった。


「なんで…そんなことを…」


「ビンゴだ」


無邪気な笑顔。

風間にはそれが、悪魔の微笑みに見えた。


「刑事さん、名前は?」


「…風間だ」


「風間さん、あなたの目は特別だ」


もう一度、確かめるように大和は告げる。


「その目は『透析眼インビジブル』。『見通す目』なんて呼ばれてる『千里眼』の亜種。魔法師の中でも一部の人間しか持ってない『魔眼』だ」


「は?」


「風間さん、あなたが俺の姿隠しに気付いたのもあなたのその目があったからだろう」


風間は目眩がした。

何が透析眼インビジブルだ。

何が魔眼だ。

そういうのは十代の読む小説ライトノベルの中のものだろう。

三十代半ばの独身刑事に備わっていいものではない。


「それじゃあ、この目がそんなに特別だってんなら俺をどうにかするってことか?」


「いや、あなたには俺の手伝いをして欲しい。その目は貴重だ。風間さんがいいなら…」


「断る」


何が楽しくて拘留してる相手にスカウトされなければならないのか。

昨晩の一件で大和と自分の住んでいる世界が違うことは承知していたが、ここまでコケにされると怒りがこみ上げてくる。


「そうか、まぁ今はそこまで逼迫してないし、風間さんに任せるよ」


少しは落ち込むかと思ったが、全く気にした様子もなく、それが風間を更に苛つかせた。


「お前…ッ…!」


風間の髪が天に達してきたところで、取調室の扉がドンドンと荒く打ち鳴らされた。


「誰だ!」


「桂木です!先輩、先ほど彼らを釈放しろと連絡が…」


「はァ!?」


「思ったより遅かったな…じゃあ風間さん、また気が変わったら連絡くださいね」


あっさりそう言うと大和は立ち上がり、部屋から出ていく。

風間とすれ違う時にもう一度名刺を渡して、彼は少女と共に出ていってしまった。


「先輩、アレなんだったんですか」


「…俺に聞くな」


吐き捨てるように呟いてから、煙草に火をつける。

いつも苦い煙草が、この時はいつも以上に苦く感じた。

酒の一杯でもあおらないとやっていられない気分だった。そのまま酔いに任せて、全てを忘れ去ってしまいたい気持ちをぐっと抑えて、名刺を見た。


「秘蹟探偵事務所 東雲大和」


怒りがぶり返してきた。

今日はもうこいつのことを考えるのはやめよう。

風間は心に固く誓った。

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