邂逅
「今月に入って5件目ですね、このビル」
摩天楼から、二人の男が出てくる。
一人は若い男。精悍な顔でがっしりとした体つきは、スポーツマンのそれだ。
もう一人はやややつれた中年男性。中肉中背でこれといった特徴はないが、鋭い眼差しがやけに印象に残る。こちらは先輩だろうか。
出てきたばかりのビルを見上げて、若い刑事が呟いた。
夕日が傾くこの時間、見上げたビルの反り立つ窓は、まるで死神の鎌の刃のように見えた。
「なんか憑いてんじゃねぇか」
先輩刑事が興味なさげに答える。
彼はおもむろにタバコを取り出し、紫煙を肺いっぱいに吸い込む。
苦い煙が舌を撫でるが、今はそれが心地よかった。ニコチンが脳を麻痺させるからかもしれない。いずれにせよ、こうして気を紛らわせないとやっていられない職業だった。
「やめてくださいよ…そういうの苦手なんですから」
「何年刑事やってんだお前。これから聞き込みだぞ、湿気た面してんじゃねぇよ」
「は、はい…」
彼らと入れ違いのようにビルに入る人影があった。
今このビルは立ち入り禁止だ。たとえこのビルの会社の社員であってもそれは変わらない。
本来ならすぐに咎めるべきそれはしかし、彼らは一瞬その人影を見逃しかけた。
いや、実際若い刑事はその人影に気づきもしなかった。今まさに、自分の隣を通り過ぎたにも関わらず。
余りにも堂々とビルに入ったからだろうか。
いや、違う。
意識の外から、ぬるりと内側に入り込まれたような気持ちの悪さが、先輩刑事の背筋を震わせた。
「おい止まれ」
「先輩?」
若い刑事は急に立ち止まった先輩刑事に驚いたように声をかけた。
先輩刑事の向いた先、そこには、キープアウトの黄色いテープで封鎖された無人のロビーしかなかった。
「どうかしましたか?」
「そこにいるんだろ。早く出てこい」
誰もいない。
確かに若い刑事にはそう見えた。
無人のロビーだ。ついに先輩も気が触れたか、と笑い話にしようと声を出しかけて、それは起きた。
「うん。見られた気がしたけど、ホントに気づかれたとは思わなかった」
そこには、確かに人がいた。
それも一人ではなく二人。
映画のコマを飛ばすように、何も無いロビーにその人影は立っていた。
一人は背の高い痩せ型の男。赤みがかった黒髪が風に揺れている。
もう一人は白い少女だった。
陶器のようなキメの細かい肌が、夕日を浴びてキラキラと輝いている。
若い刑事は、息をするのも忘れて少女を見ていた。
隣の男も均整のとれた顔立ちをしているが、少女はまるでヒトではないかのような可憐さで、天女がいるならば、きっと彼女のような清廉さだろうと確信するほど、その見目は人間離れしていたのだ。
「刑事さんたち、俺達はここに用があるから、ちょっと通して欲しいな」
男は柔和な雰囲気のまま、あくまでここを通るつもりらしい。
「通して欲しいなで通せるなら、お巡りさんはいらねぇよな」
先輩刑事が身構える。
それを見て若い刑事も正気にかえったようだ。
二人がジリジリと間合いを詰めていく。
「うーん、じゃあ刑事さんたちも付いてきてくれればいいのかな」
自分の置かれた状況が理解出来ていないとしか思えない呑気さで、男は刑事たちに提案した。
「…は?」
「俺達だって面倒なのは嫌なんだよね。さっさと仕事終わらせて帰りたいというか、とにかく迷惑にはならないようにするからさ」
「この状況が既に迷惑なんだよ…」
「先輩どうします…?」
「どうしますもこうしますもねぇ、公務執行妨害でしょっぴくしかねぇだろ」
「あー、なんかマズいなこれ」
刑事たちはゆっくりと距離を詰めていく。
すると、今まで一言も話さなかった少女が男の袖を引っ張った。
「どうした?」
「ヤマト、名刺」
「あぁ、名刺渡してなかったな」
男は懐に手を伸ばし、四角い紙片、おそらくは名刺をこちらに寄越した。
警戒しつつも名刺を手に取る。
そこには「秘蹟探偵事務所 東雲大和」とだけ書かれていた。
「探偵事務所?法律もしらない素人が…」
今まで得体の知れない不気味さを感じていた青年が、この一幕でただの素人だと分かると、それまでの危機感は霧散した。
最近では動画投稿サイトに動画をアップして食いつなぐような人種もいると聞く。事件の起きたこのビルは、最近そういった手合いもよく来ていた。
「確かに名刺一つで態度が変わるんだなぁ。あんまり良くなったとは思えないけど」
男…大和は苦笑しながらこちらに話しかけてくる。その雰囲気に、刑事と相対しているという緊張感はない。
その態度が、先輩刑事には気に入らなかった。
「あのね東雲サン、自分が今何してるかわかる?不法侵入と公務執行妨害、とにかく署まで付いてきてもらうよ」
「困ったな…さっさと終わらせて帰ろう」
大和が隣の少女に言うと、少女は頷いて走り出した。大和も彼女を追ってすぐに走り出す。
「ごめんね刑事さん!すぐ終わらせるから!追ってこないでね!危ないし!」
呆気に取られて何も出来ないまま、刑事二人はそこに取り残された。
「…桂木!追うぞ!」
先輩刑事…風間が若い刑事…桂木に向かって叫ぶ。
「は、はい!」
二人は急いで彼らを追う。かなり距離は開いたが、まだ追いつけない距離ではない。それに彼らはビルの中に入っていったのだ。どのみち追いつける。
この時はまだ、二人ともただの馬鹿な野次馬が小遣い稼ぎに来ただけだろうと考えていた。
今聞けば、この時彼らを追うのは間違いだったと口を揃えていうだろう。
だが、過去をやり直すことはできない。
運命は非情にも無関係の人間を否応なしに巻き込んでいく。
それが自分の意思でも、そうでなくとも。
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