0.命墜ちるまで

/それは呪いのように

天を衝くような高層ビルが立ち並ぶ。

空さえ濁らせる大気の匂い。

雑踏と喧騒。

味のしなくなったガムをいつまでも噛み続けるような倦怠感が、この街の全てだ。


誰もが生きていながら死んでいる。

顔も見えない電話先の相手に、申し訳なさそうな顔でサラリーマンが手刀を切る。

粉の仮面を被った女が、甘い声で男に声をかける。


この摩天楼は、まるで檻の壁のようだ。

一度迷い込むと抜け出せない鉄の檻。


この迷宮は、まるで何でもあるような顔をして口を開ける。

入れば二度と出られない、一方通行の大きな口。


夢を追う者はここが楽園かのように語り、この地に足を踏み入れる。

だが、ここでは誰もが一人だ。


孤独に歩むしかない。

孤独に生きるしかない。

そして、孤独に死ぬしかない。


夢は現実の前に敗れ、彼らに待っているのは雁字搦めの人生だけ。

テレビの中の世界はほんのひと握りの勝者のもので、彼らには指さえ届かない。


ここに来れば夢が叶うのではない。

ここに来た者の中から勝者が選ばれただけのこと。

自分が特別だという自信は打ち砕かれ、惨めなプライドが自分の全てを否定する。


ここには誰もいない。

自分を持て囃した太鼓持ちも。

自分を案ずる親切な友人も。

孤独の渦に溺れた愚者の末路は一つだ。


死。


彼らは生きていても死んでいる。

心臓が動いているか、そうでないか。

それだけの違いだ。

夢という燃料を喪った者はみな屍だ。

生きているだけ。

彼らは直ぐに価値のない肉塊に身をやつす。


あのサラリーマンのように。


あの女のように。


物言わぬ機械のように。


現実という嘘を真実だと自分を騙して。

ただの歯車に成り下がる。

その事実に耐えきれない者は身を投げる。

いとも簡単に。

人形の糸が切れたように。



そう、あのビルに立つ屍のように。



屍が脚を踏み出す。

あれは死への行軍だ。

軍靴の足音は聞こえずとも、喇叭ラッパの音は聞こえるだろう。

それを持つのは悪魔だが、その音に貴賎などありはしない。


さぁ飛べ、さぁ飛べ。

どこまでも遠くへ、どこにも行けないその足で。

周りの悲鳴は、もはや歓声だ。

私は頬が吊り上がるのがわかった。


もっと高く。もっと速く。

目頭が熱くなる。だがそこからは何も溢れはしない。


さぁ飛べ、さぁ飛べ。

周りの悲鳴は、もう聞こえない。

誰もがその屍の動きを見守っていた。

無音の歓声が、屍を囃し立てる。

そして、屍は空を舞った。


一歩/空を踏む。


二歩/世界は反転し。


三歩/まだ火は消えず。


四歩/ぐちゃりとあかが舞う。


何を思っただろう。何を感じただろう。


安堵だろうか?恐怖だろうか?


それとも、後悔だろうか?


ただ一つ言えることは、もうその思いに何の価値もないということだけ。


過去の遺恨も、

現在の悔恨も、

そして未来さえも、

あの屍は喪った。


堰を切ったように、喧騒が息を吹き返す。


目を覆う者、叫ぶ者、写真を撮る者、もう動かなくなったそれを見て取る行動は三者三葉だ。


私はただそれを見ているだけ。

何もしない。何も思わない。


いや、ただ、他人事のように。



羨ましい、とだけ思った。

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