第19話 12月25日 桜木南病院・森野こころ
ナースステーションで森野こころがカルテのチェックを行っていると、尾崎玲華に声をかけられて手を止める。
「森野さん、私もう上がるから、あなたも巡回終わったら、今日はもう上がっていいから」
「はい」
じっと見られていることに気づいて声を掛けた。
「なんでしょうか」
「神谷先生はあなたの手に負える相手じゃないから。あんまり近づかないほうがいいわよ」
尾崎が神谷と以前に付き合っていたという噂は知っていたが、まだ諦めていないということだろうか。尾崎ぐらいの美貌があれば、いくらでも新しい彼氏は作れそうだが、なぜそこまで神谷に固執しているのかは謎だった。
「……ご忠告ありがとうございます」
「ぼさっとしてないで、早く巡回に行きなさい」
尾崎に睨まれて、仕方なく森野はナースステーションを出て行った。
小児科の病棟では入院している患者のためにクリスマスツリーやオーナメントが飾り付けられていた。いつもの殺風景な廊下や病室に比べたら煌びやかだ。
だがその華やかさが寂しさをより色濃くすることもある。
いくら華やかにしても、長く入院している子供達にとっては、家族と過ごせない寂しさを埋めることにはならない。
巡回しているときも、いつもより元気のない子供が多い気がした。特に兄弟や姉妹がいる子供はそれが顕著だ。自分以外の家族が楽しいクリスマスを過ごしていると想像できるだけに、病室に残された自分が惨めでちっぽけな存在に感じられるからかもしれない。
子供は一人では生きられない。だがすべての子供に幸せな家庭があるわけではない。森野の家庭も崩壊していた。その引き金を引いたのは森野自身だ。
これ以上、生きていくことは許されないと考えていた森野を救ったのは一人の看護師だった。何度も一緒に泣いてくれて、抱きしめて、叱ってくれた。本気で心配してくれた人がいたから、森野は今もこうして生きている。
自分もあの看護師のように、誰かを救えているのだろうか。そう思いながら森野はすべての患者の巡回を終えた。
病室から出ようとした森野に声をかけたのは有村勇太だった。
「夏目先生の下の名前って知ってる?」
「波流……だったかな」
そう答えた森野を見ようともせず、スマートフォンの画面を見たまま勇太は質問を続ける。
「何歳だっけ」
「二十五歳だけど、そんなこと聞いてどうするの」
「じゃあ、やっぱり夏目先生も死んじゃうのかな」
「死んじゃうって、どういうこと」
勇太はスマートフォンの画面に表示されているリストを見せた。
綺麗な消え方はじめましたへようこそ。
ゆうた様。
これまで裁きを与えた愚者のリストはこちらです。
▼U・S 51歳 運送中の事故で死亡
K・E 49歳 新築マンションの工事現場で死亡
M・Y 26歳 強盗事件でほかの客をかばって死亡
U・T 10歳 爆弾テロに巻き込まれて死亡
I・K 45歳 飲料水の毒物混入で死亡
N・H 25歳 爆弾テロに巻き込まれて死亡
森野はリストに表示されているイニシャル、年齢、死亡内容にデジャブを覚えた。ここ数日で起こった事故や事件と類似しているものがある。
「僕が選んだ人、みんな選んだ方法で死んでいくんだ。これただのゲームのはずなのに」
勇太がいつも遊んでいたのはこのアプリだったようだ。リストに『N・H 25歳』という記述を見つけて森野は眉をひそめる。
「トラックやマンションの事故も、コンビニ強盗も、最初はたまたまかなって思ってたけど、ちょっと当たりすぎて気持ち悪い」
「偶然……じゃないかな」
「でも、だってほら」
勇太はテレビの画面を指差した。ワイドショーが流れている。
「只今、桜木南ショッピングモールから中継しています。ご覧ください。もうすぐオープニングセレモニーが開かれるということで、たくさんのお客さんが集まっています」
大きなクリスマスツリーの周りに人だかりができている。中継しているタレントの後ろに、夏目波流の姿が映った。
「十時から行われるセレモニーには班目議員も参加されるということで、さらに混雑が見込まれます」
森野は腕時計を見た。九時半を過ぎている。
勇太は不安そうにテレビの中に映っている夏目を見つめている。
「僕、やっぱり死神なのかな。僕が選んだからみんな死んじゃったのかな。この『N・H 25歳』っていうのが夏目先生だったりしないよね」
森野は勇太の頭を優しく撫でる。
「大丈夫。気にしなくていいから。同じイニシャルで同じ年齢の人なんてたくさんいるしね。勇太くんは死神なんかじゃないよ」
ぎこちない笑顔で答えた森野は、足早に病室を出て更衣室に向かう。
夏目の家で薬を発見した時点で、漠然とした不安はあった。階段を踏み外した時の様子がおかしかったのも確かだ。
まさか。そんな。嫌な予感がした。
森野は急いで着替えを済ますと、スマートフォンを取り出し夏目に電話をする。
「早く。出て、お願い」
呼び出し音がずっと鳴ったままだ。電話を切って、森野は走り出した。
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