第17話 12月25日 桜木南信販・藤崎理玖

「いくらなんでも、これまでとはやり方が違いすぎんだろ」


 藤崎理玖は、電話の向こうの相手に苛立っていた。相手は黒風という組織の名前も知らない男だ。


「彼をこの世界に引き込んだのは、君ではないのですか。本人が望んだのですから問題ないのでは。その覚悟がない人間にあの金額は払えませんよ」

「そう……だけど」


 藤崎はイライラしながら机を指で叩く。


「最初は違う依頼だったはずだ。直前で変更するってのは、あんまりだろ」

「それなりに大きい仕事ですから、情報漏えいを防ぐためですよ。心変わりをして逃げ出されても困りますから。ギリギリに内容を変更することも致し方ないかと」


 男の声は冷たかった。


「今までやってきたことと何が違うのですか。死にたいと思う人を死なせて、お金をあげるだけです。人助けですよ」

「ちげぇーよ!」


 藤崎が怒鳴った声で、店の奥にいた事務員の真木桜がこちらを見た。慌ててスマートフォンを隠すように手を当て、小声で話す。


「こんなの人助けじゃねぇ。ただの人殺しだ」

「なら代わりにあなたがやればいいと思いますよ。間違いなくあなたの人生は終わりになるでしょうが。その覚悟があってあなたはこんな戯言を言っているのですか。どうせできもしないくせに」


 電話の向こうで笑っているのが聞こえる。


「……なんだと」

「いまさら偽善者ぶっても無駄ですよ。君みたいなゴキブリはいくら良き行いをしても、ゴキブリのままなのですから」

「俺はゴキブリじゃねぇ、人間だ」


 相手に電話を一方的に切られて、藤崎は苛立ちまぎれに立ち上がる。思わずスマートフォンを投げそうになったが、桜の目線に気がついてやめた。


「大丈夫なの?」

「なんでもない」


 桜が心配そうに見ながら言った。


「なんでもないことないでしょ」 

「だから、なんでもないって言ってんだろ!」


 肩に置かれた桜の手を無意識のうちに振り払っていた。

 藤崎の背後に社長の不破が立っている。


「なんだ、なんだ。喧嘩か。そんなに溜まってんなら、今夜一発、夜の街に行っとくか?」

 不破はイヤらしい笑みを浮かべている。


「だから、行きませんって」

 藤崎は心底イヤそうな顔をする。


「同棲してた女に振られてカリカリしてんだろ。失恋を癒すのは新しい恋って言うし。ここはもうね、桜ちゃんと付き合っちゃえよ」


 不破が藤崎の机に置かれていた筒状の五百円貯金箱を持ち上げる。中の重さを確認しているようだ。ジャラジャラと音を立てている。


「結構入ってるねぇ。ほらこれ使って、温泉旅行にでも出かけてさ。やることやって、仲良くすればいいんじゃねーの」


 藤崎は貯金箱を奪い返して不破を睨みつけた。


「これは森野に返す金ですから。勝手に使ったら社長でも容赦しませんからね」

「健気だねぇ。振られた女のことなんか忘れちまえばいいのに。そのほうが楽だよ、人生」

「社長と一緒にしないでください。飯、行ってきます」


 コートを着た藤崎は店を出て行く。路地裏を抜けて商店街に出ると、街はクリスマスのネオンや飾り付けで煌びやかだった。必要以上に体を寄せ合っていちゃついているカップルも多い。


 精神的にも物理的にも一人ぼっちになった人間にとっては目にするもの全てが嫌がらせのように感じられていた。


 とっととクリスマスなんか終わってしまえばいいのに。

 イラつきながら藤崎は商店街をぶらつく。ふと不動産屋の前で足を止めた。結局どんな部屋がいいのか未だに決められずにいた。


 森野と暮らせないのであれば、正直どこでも一緒だし、どこでもいい。だからこそ決められなかった。決めてしまったら、本当に森野との関係が終わってしまったということに向き合わなければならないのが辛かったのかもしれない。


 家賃代わりに払うと言った貯金箱の中身も、まだ森野に渡せていなかった。顔を合わせる勇気がなかったからだ。どんな顔をして会えばいいかわからない。きっとズルズルと先延ばしにしたまま渡せないまま終わるのではないか、そんな予感がしていた。


 もともと藤崎が金を貯めていたのは、売りに出されたまま買い手のつかない実家の一軒家を買い戻すためだった。一家心中を図った父親が妻と息子と娘を殺して自殺した現場となった家だ。いくらクリーニングやリフォームをしたとしても、そう簡単に売れるわけがない。


 事件当時小学五年生だった藤崎は、修学旅行に行っていて奇跡的に助かった。旅行の途中で連れ戻され、わけも分からないまま児童養護施設に入れられた。知らないうちに親戚の手によって、実家が転売業者に二束三文で売り飛ばされていたとわかったのは中学に上がったころだ。


 他人にとっては悲惨な事件があったおぞましい家でしかないだろうが、藤崎にとってはそれまで過ごしてきた思い出の詰まった大切な場所だった。たとえそれが見せかけの家族の残骸でしかなかったとしても。いつか買い戻す。それだけを目標にしていた。


 中学の頃から少しずつ貯金をし始めた。街金の仕事をするようになってからは、綺麗な消え方の斡旋でかなりお金も貯まった。

 だがマンション建設で取り壊しが決定したとなると、もうなんの意味もない。


 馬鹿みたいだ。

 藤崎はこみ上げた怒りを制御できず、無意識のうちに物件情報が貼られているガラスを拳で叩いていた。ガラスの向こうから店員が睨みつけている。藤崎は舌打ちをすると、店の前から立ち去った。




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