第15話 12月22日 桜木南町・藤崎理玖
突然降り出した雨は、いつの間にか小ぶりになっていた。
黄色いテープが張り巡らされているコンビニエンスストアでは、警官や鑑識係がうろうろしている。店内には血が飛び散った跡が、まだ残っていた。数時間前に強盗に入った犯人が逆上し、若い女性客をナイフで刺し、犯人が自ら命を絶つという事件が発生したからだ。
藤崎理玖は女性が刺されて倒れる姿を、道路を挟んで向かいのカフェでずっと見ていた。
死んだ女性客というのは松河弥生だった。すべてを諦め、腹を括った弥生に、望み通りに綺麗な消え方を用意してやったのだ。
藤崎は弥生の最後の姿を思い出していた。
刺された時は痛かっただろうか。痛みに顔を歪めながらも、もうこれで終わりにできるというような、少しだけ笑みを浮かべた瞬間があったような気がしていた。もしかしたら、そうあって欲しいと考える自分の願望が見せた幻想だろうか。
そんなことを考えながら、藤崎は少しだけ残っていたコーヒーを飲み干した。
事件があったコンビニの三軒隣には、リーベストアという新しいコンビニができていた。開店祝いの花輪がいくつも並んでいる。今回の事件のスポンサーはそのコンビニだった。海外出資の新しいコンビニチェーン店だが、日本に進出するにあたり、これまで君臨してきたコンビニ各社を蹴落とすために、この事件はセッティングされた。
これは始まりにすぎない。いずれまた別のコンビニでも事件が起こる。事件があったチェーン店も含めて、すでに普及しているコンビニはどれも危険だと印象付けるために、畳み掛けるように発生する予定になっている。
今回の強盗事件は、最初は浮浪者が金に困って突発的に事件を犯したようにしか見えないだろう。だがきっと警察が調べていくうちに、その浮浪者が事件を犯したコンビニと同じ系列でフランチャイズ契約をしていた元オーナーだったとわかるはずだ。
元オーナーが破産して浮浪者にまで転げ落ちるまでにそう時間はかかっていない。オーナーが開店してから売上が安定してきたところで、すぐそばに同じ系列の直営店を作られ、売上が激減するように仕組まれていた。赤字経営でも賃料、売上金の送金が義務付けられ、アルバイトの給料未払いや、超過労働問題で追い込まれて、やがて契約を更新してもらえず借金だけが残されるところまでがワンセットだ。
仕事を失った男から家族は離れ、落ちるところまで落ちて浮浪者になった男は、汚い消え方を望んだ。
金もいらない。ただ自分を陥れた会社にダメージを与えたい。そう願っていた。
浮浪者がたった一人で死んでも効果は薄い。世間の人々に可哀想だと思わせるために弥生の死が追加されたというわけだ。
きっと警察もマスコミも真面目に調べるだろう。たまたま居合わせただけの若い女性が犠牲になったと思っているのだから。しかもその女性は大学まで行ったのに奨学金を返せずに、生活に困っていた経済的弱者だ。可哀想と思わせるには完璧な人選だった。
「ラストオーダーとなりますが」
ウェイトレスに声をかけられた藤崎は席を立ち、金を払ってカフェを出た。
雨はほとんど止んでいる。
しばらく歩いていると着信バイブが鳴った。藤崎は道の真ん中で足を止めて、スマートフォンを取り出した。
「愚者の裁きが承認されました。
報酬が確定しましたのでご確認ください。
M・Y 26歳 ※※※※※※円」
あのコンビニで弥生が死んだおかげで生み出された金額が記されている。この金を受け取る権利がどれくらいあるのだろうと、藤崎はぼんやりと考えていた。
「大きいお鍋ないの?」
聞き覚えのある声が聞こえた気がした。藤崎がスマートフォンから顔を上げると、スーパーから出てくる森野こころが見えた。ビニール袋を手に持っている。
先に店から出て待っていた男の隣に並んだ。眼鏡をかけている優男だ。
「ラーメン作る用の小さい鍋ならあるけど」
「そうきたか」
「あ、でもフライパンはあった気がする」
「そっか。ならなんとかなるかも」
森野こころは男に笑いかける。いつものような、誰にでもまんべんなく見せる作り物の笑顔ではない。心から笑った時だけに見せる無邪気な笑顔だ。
森野が小さい頃に両親と一緒に撮影したという写真の中でしか見せたことがない本当の笑顔だった。
「あ、すみません」
道を歩いてきたカップルにぶつかられ、藤崎の手からスマートフォンが落ちた。拾い上げると画面のガラスにひび割れが入っている。舌打ちをしながらスーパーの方を見るが、もう森野と男の姿はなかった。
スマートフォンの画面にできたひび割れを見ていると、藤崎の心にも消せない亀裂が出来たような気がしていた。
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