第9話 12月25日 桜木南ショッピングモール・夏目波流
ここで死ぬんだよな。
ベンチに座っていた夏目波流は、晴れやかなセレモニーの舞台を遠くから見つめながらぼんやりと考えていた。
ショッピングモールに集まった客のほとんどは、巨大なクリスマスツリーを見上げている。オープニングセレモニーのステージで、ツリー点灯のカウントダウンが始まったからだ。
国内最大級という称号を久しぶりに塗り替えた桜木南ショッピングモールは、花・鳥・風・月と名付けられた四棟で構成されていた。その中でも一番大きな花館でセレモニーは行われている。
桜の広場と名付けられたホールを取り囲むように、エスカレーターが三階まで螺旋状に配置されていた。吹き抜けのすべての階から見ることができるほどに大きなクリスマスツリーは圧巻だ。ライトアップされたら、さぞかし綺麗だろう。
テレビの中継も入っているようだ。笑顔で観客に手を振っていた議員がスイッチに手をかける。いずれ総理になるのではないかと噂されている若手議員の班目響也だ。
狙われているのはどうやら彼らしい。会ったこともない人間が殺される場面に立ち会うために、夏目はその時を待っていた。
何度か森野こころから電話があったようだが夏目はずっと無視をしていた。声を聞いてしまったら決心が揺らいで、ここから逃げ出してしまいそうだったからだ。
よりによってこんな日に。これも運命だろうか。
夏目が一年で一番嫌いな日はクリスマスだった。両親を事故で一度に失った最悪な日だったからだ。
なのに街も人もどこもかしこも煌めいている。まとわりついてくるような甘ったるい雰囲気が苦手だった。幸せでないものには居心地が悪い。誰かを愛して、誰かに愛されている者にしか居場所がない、そんな独特な匂いで充満していた。
生きる気力のない人間には息苦しい。眩しすぎる。
「夏目先生……どうして」
聞き覚えのある声に夏目は顔を上げた。白い箱を持った宇月拓海がこちらを見ている。
そういうことか。その瞬間すべてを理解した。
赤いリボンがついた箱は、一見するとただのクリスマスプレゼントに見えるが、中身はきっと爆弾なのだろう。
「死ぬために決まってるだろ」
夏目は力なく笑う。
「綺麗な消え方させてくれよ」
すべてを終わりにしたかった。だから、ここに来たのだ。
「なんで来ちゃうんだよ。わかってんのか。巻き込まれて死ぬんだぞ」
「そのために来たんだ」
「あの森野って看護師のこと好きじゃないのか」
「……好きだよ。だからこそ、大事な人たちに迷惑をかけたくないから死ぬんだよ」
「ばかじゃないのか」
前にも同じようなことを言われたことがあったなと夏目は苦笑する。
「お前に言われたくないよ。拓海だって、妹のために死ぬつもりなんだろ」
「仕方ないだろ。お金がなきゃ、雪音は死ぬんだから。だから俺はやらなきゃいけないんだ」
拓海はセレモニーが行われているステージに向かって行く。人混みに紛れて拓海の姿は見えなくなった。
カウントダウンがもうすぐ終わる。若手議員の班目響也がスピーチを始める前に、最前列に行くつもりだろう。夏目もいずれ同じ場所に向かわなければならない。
「夏目くん!」
息を切らせた森野こころが駆け寄ってきた。泣きそうな顔をしている。こんな顔を見たくなかったからここに来たはずだったのに。どうして森野がここにいるんだ。夏目は信じられないという表情で森野を見つめた。
「ずっと電話してたのに」
夏目は目を逸らした。何も言わずにベンチから立ち去ろうとしたが、うまく足に力が入らずによろけそうになり森野に腕を掴まれる。
だがうまくバランスを取れなかった夏目は、そのまま倒れて尻餅をついた。引っ張られるように森野も床に膝をつき馬乗りになる。
「どうして言ってくれなかったの」
「言いたくなかった……森野にだけは。同情されたくなかったんだ」
森野の顔が歪む。唇が震え、必死に涙をこらえているようだった。
「ばかね。私が何年看護師やってると思ってるの」
夏目の頬に手のひらが触れる。冷え切った指で涙を拭われ、自分が泣いていたことにようやく気がついた。
「精一杯生きようとしている人に同情なんてしない。そんな失礼なことできない。手を差し伸べることは同情とは違う。寄り添うことは同情とは違う。人が人を助けるって当たり前のことをするだけ。夏目くんが拓海くんにそうしたみたいに。そのぐらい私にもさせて」
カウントがゼロになり班目議員がスイッチを押すと、大きなクリスマスツリーが点灯した。LEDライトが規則正しく色を変え始める。
「もう家族なんていらないって思ってた。誰も好きにならないようにしてた。私のせいで家族が壊れてからずっと。でも夏目くんとはどうしても一緒にいたいって思ってしまった。初めてちゃんと好きになった人をこんな形で失いたくない」
班目議員のスピーチが始まっている。
肩を揺らして森野が泣いている。頬に落ちた涙の粒に色とりどりのライトが反射していた。
「できることは全部する。何もしないうちに諦めないで。ただのわがままだってわかってる。でもお願いだから私のために生きてください」
強く抱きしめられて、夏目は動けずにいた。何もかもが信じられない。森野の告白も、森野に抱きしめられていることも。
嘘みたいだ。もしかしてこれは頭がおかしくなって幻覚を見ているのだろうか。そう思えるぐらいに、夏目の心は混乱していた。
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