第5話 12月22日 桜木南神社・夏目波流

 宇月拓海はまだ小学生だ。お金も持っていないだろうし、そんなに遠くまで行っていないはず。そう思いながら、夏目波流は子供が立ち寄りそうな場所を順番に探していた。


 学校のグラウンドや、近くのコンビニにはそれらしい姿はない。公園のブランコがすこし揺れている。だが人影はない。


 街灯の下を黒い影が通った。黒猫が路地裏へ走っていくのが見える。その路地は夏目が普段は通ったことがない道だった。猫だけではなく子供が好きそうな狭さだなと思いつつ、路地裏に足を踏み入れる。


 表通りは大きめのビルが並んでいるのに、一本奥の細い道に入ると下町のような風景が広がっていた。錆びた赤いポストや夏は朝顔が咲いていたであろう植木鉢、補助輪付きの自転車といったものが道をふさいでいる。


 小さい頃は学校帰りによく探検だといって、こういう狭い道を選んで帰って、時々道に迷っていたなと懐かしく思いながら、夏目は道を進む。


 突き当たりを曲がると、急にひらけた場所に出た。

 赤い鳥居が見える。

 生い茂る大きな樹木に守られるように、古びた神社があった。社前の階段に座っているのは拓海だ。森野こころに電話で伝える。


「見つけました。神社です」

「よかった。すぐにそっちに行くから」


 夏目は、拓海のそばに駆け寄った。

「拓海、みんな心配してるから。帰ろう」


 スケッチブックを見ていた拓海が顔を上げた。

「なんで俺に構うの。そんなに俺って、可哀想?」

「一言も言ってないだろ、そんなこと」


 拓海は夏目を一瞥した後、何もかもを諦めたような冷たい視線で暗闇の空を眺めながら言った。


「可哀想だって思うなら、代わってくれよ」

 拓海の投げつけた言葉は、夏目を一瞬ひるませた。


「さすがにそれは……無理な相談だな」

「医者なんか、人生バラ色なんだろ」


 夏目は苦笑するしかなかった。綺麗な消え方をしたいと願っているような人間でも、他人から見たらどうやら幸せに見えるらしい。


「そうでもないんだけどな」

「俺の人生はもう終わりなんだよ。優しいふりして近づいてくんな。迷惑なんだよ」


 拓海は階段から腰を上げると、夏目の横を通り過ぎようとした。だが夏目はとっさに拓海の腕を掴んだ。


「はなせよっ。自分より下のやつを見つけて優越感に浸りたいだけだろ。ばかにしやがって」


 拓海は必死に手を振りほどこうとしている。それでも離そうとしない夏目の体をスケッチブックで殴りつけた。

「うぜーんだよ。俺にこれ以上構うな、はなせっ」


 雨が降り出した。瞬く間に二人の体は濡れていく。拓海の目から溢れているのが涙なのか雨のしずくなのかわからない。だが目は真っ赤だった。


 この手は絶対に放してはいけない。そう夏目は確信した。


「そうだな。誰かの代わりになるなんて誰にもできない。でも、凍えてる人間を見たらコートやマフラーを貸してやることはできる。目の前に立って風除けになったり、裸足で歩いてるやつをおぶって歩くことぐらいはできるかもしれない。そんなことしかできないけど、それが人を人が助けるってことだと思う」


 暴れる拓海の体を引き寄せて、夏目はぎゅっと抱きしめると、そのまま軽々と担ぎ上げた。


「ほら、体が冷え切ってるじゃないか。帰るぞ」

「離せって、言ってんだろうがっ」


 拓海は体をジタバタとさせて暴れている。


「取るに足らないことしかできないけど、せめて手助けぐらいはさせてくれないか。施設に戻るのが嫌なら、今日は僕の家に来ればいい。とりあえず、風呂に入って、一緒に飯を食うぐらいならできると思うんだけどな」


 拓海を担いで歩き出した夏目は、神社の入り口に森野が立っていることに気づいた。


「ちょうどいいところに森野さん。今、こいつに家に来いって偉そうなこと言ったんですけど、よく考えてみたら、給料日前で金ないんでした。少しだけ貸してもらえませんか」


 そう言った夏目がくしゃみをすると、森野は吹き出すように笑った。 


「いいよ。どうせ家に食料とかないんでしょ? 今から一緒にスーパーに行こう。食事も作ってあげるから」


 森野はスマートフォンを取り出して電話している。病院と施設に連絡をしてくれているようだ。


 夏目に担ぎ上げられた拓海が、ぼそっと口にする。

「バカだろ、あんた」


「よく言われる」

 夏目は苦笑いをした。


「つーか自分で歩くから降ろせよ」

「逃げないって約束するなら」

「……する」

「本当に?」

「早く降ろせよ、みっともないだろっ」


 夏目が拓海を下ろすと、そっぽを向いている。いくら子供とはいえ、他人に抱っこをされるのは恥ずかしい年頃なのかもしれない。夏目は手を出した。


「それ、鞄に入れてやるから」

 また担がれては困ると思ったのか、大人しく言うことを聞くことにしたようだ。拓海は無言でスケッチブックを渡してくる。夏目は受け取り鞄に収めた。


「じゃあ、手をつなごう。そのぐらいなら、いいだろ」

 夏目の差し出した手を、拓海はしっかりと握った。

 よかった。これできっと大丈夫だ。夏目は胸をなでおろす。


 電話を終えた森野が、真剣な表情で夏目をじっと見ていた。一度は諦めた相手とはいえ、やはり見つめられるとドキリとする。


「夏目くんに、一つお願いがあるんだけど」

「な、なんですか」

「同じ歳なんだし、病院の外では敬語やめない?」


 なんだ。そんなことかと夏目はホッとする。言われてみれば確かにずっと敬語だったなと思い出す。


「あ、はい。じゃなくて、うん」

「それでよし」


 森野はにっこりと笑うと、拓海のもう一方の手を握った。


「じゃあ、スーパーまでダッシュだ」

 手をつないだ三人は、降りしきる雨の中を走って行った。



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