第14話 トラウマ

 深夜二時。俺は自室の机で大量の紙束とにらめっこをしていた。

 読んで読んで読んで読んで、たまに訂正。これを幾度となく繰り返し続け、今に至る。今の時点でやっと二割くらいいったかなというくらいだ。

 甘かったなぁ俺。先輩が出版してる本ぐらい事前に見ておけばよかった。見ておいたところで作業量が減るわけではないけど、覚悟しておくことはできたはずだ。

 先輩が出版していたガイドブックは小さめの辞書くらいの厚さがあった。しかも今回出版するのは二冊。なので俺とサクが一冊ずつ受け持つことに。

 辞書一冊分を最初から最後まで気を張りながら読み通す。それを三日でやれというのだ。普段の高校生活もあるのにこの作業量は無理ゲーすぎる。


 結局一日目は徹夜することになった。

 死人のような顔で登校し、友達たちに心配されつつなんとか授業を乗り切る。周りから不真面目な印象をもたれないように死ぬ気で目をかっぴらいて授業を受けた。先生にドン引きされたのは言うまでもない。

 休み時間もすべて作業にささげる。友達維持活動のことを考えられないくらいにはせっぱ詰まっていた。人物相関図の更新は数日後に一気にやることになりそうだ。これは土日がつぶれたな。

 朱音先輩は今日自宅に引きこもって作業するそうで、学校に来ていない。

 いくつか修正するか迷うような言い回しがあったため、この作業に慣れているであろうサクに助言を求めるべく一年一組に向かう。先輩と連絡をとろうとしたらつながらなかったから仕方なくだ。一刻も早く作業を進めたい。


 サクに何度もメッセージを送ったり電話をかけたりしても反応がなかったため、直接会いに行くことに。大方、作業に集中しすぎていてスマホを見る余裕などなかったのだろう。

 サクぐらいの美少女だったら固定ファンがわんさかいるはずだ。一年生だけでなく、二、三年生にも。そんなサクと知り合いだという事実を知られるわけにはいかない。だからなんとかしてサクに俺がスマホに送ったメッセージに気づいてもらわないと。

 前に雑談したとき、教室での席が廊下側の一番後ろになってラッキーと言っていたため場所は把握済みだ。しかもその位置なら周りに気づかれないようそれとなく声をかけることができる。

 挙動不審にならないよう堂々と廊下を歩き、目的地へ。


 案の定、サクは一心不乱に自分の机で紙をめくっていた。

 早速声をかけようと教室に近づいたところで、ふと違和感を感じる。

 教室中を見渡すと、すぐにその違和感が何なのか気づいた。

 サクの周りだけ、ぽっかりとスペースができていた。まるでそこに壁でもあるかのように。

 そしてクラスメートたちの奇異の視線。悪意とは違う、単純に異物でも見ているかのような目、目、目。

 サクもそれに気がついているはずなのに何も反応を示さず、視線さえ動かさないまま淡々と作業に没頭している。

 胸に鋭い痛みが走った。

 今のサクに、中学校時代の俺が重なる。

 自ら頑なに壁を作って。

 自分からは一切周囲と接触することをせず。

 でも心の底では、求めている。

 それ以上見ていられなくなり、サクのいる教室に背を向け、駆け出す。

 何をやっているんだ俺は。サクが教室でどう過ごそうが関係ないはずだ。ちょっと声をかけるだけなのに、なぜそれができない。

 頭の中では、かつての同級生たちのささやき声が反響していた。


「あれ、こんなやつうちのクラスにいたっけ?」

「グループ一人足りないね。仕方ない、あいつ誘うか」

「あいつっていてもいなくても変わらないよな。空気そのものって感じ。そもそもなんて名前だっけ」


 思い出したくもない過去を記憶の底に沈めながら自分の教室に戻り、力なく机に突っ伏す。

 たいした距離ではなかったはずなのに異様に疲れて過剰に息があがっている。

 それだけじゃない。原因不明の罪悪感が俺を襲う。

 やめろ。考えるな。俺には何もできなかった。できなかったんだ。

 忘れようとしてもさきほどの光景が脳裏にこびりついている。

 その光景の中にいたのはサクじゃなくて、俺だった。

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