めんどうなやつ

遊び疲れた私は、おだやかになった湖面こめんただよいながら、すっかり暗くなった空を見上げる。

空に光るまばゆい十字星が私を照らして、水際みぎわに体を横たわらせているアイネの視線をき付ける。


翼を小刻みに揺らすアイネは、満天の星空が映る湖面を見て、うっとりと、満足そうに瞼を閉じる。

私が一瞬だけアイネから目を離すと、大きなドラゴンの代わりに、髪の長い綺麗な女性が立っていた。


湖を漂って水際みぎわに辿り着いた私の手を引っ張った女性は、とても整った顔立ちをしていて、左の目尻にある黒子ほくろが印象的だった。


「お腹が空いただろうクライネ、暗くなってしまったが、これから街に行くぞ」


「その村長みたいな喋り方はアイネさんですか、残念な美人さんなんですね」


「ふんっ、残念だが私は男だ。こんな見てくれをしているがな、証拠に胸は無い。触ってもらっても構わぬ」


「それ私に言いますか、隣に並んでも大差たいさ無いくらいですから私」


私の胸が小さい所為せいもあるのかもしれないが、頭に手を置かれてわしわしと撫で回されて、これからだと励まされる。

よく食べて、寝て、ストレスが無ければ大きくなるとアイネは言うが、既に14年も生きて来た私の身長は138センチしかない。


それに対してアイネは、180くらいありそうで、すらっとした長い脚で、完璧な体型をしていた。


「何が食べたいのだ?」


「贅沢は言いません、出来れば久し振りにお肉が食べたいです」


「ほう、ならばドラゴンの尻尾肉は」


「遠慮しておきます」


そうかと言ってまたうなり始めたアイネは、再びねたようにそっぽを向いて、歩く速度を少し早くする。


「もう勝手にしろクライネめ」


むくれながらそう言って翼を広げたアイネは、夜空に飛翔ひしょうしてどんどん小さくなっていく。

じじい臭い喋り方をしているのに、子どものようによくねる。


悠久ゆうきゅうの時を生きるドラゴンなのに、子どもよりも子どもっぽい人だ。

暫く背中を眺めていると、背後で重い足音が響き、木の陰で大きな影が動く。

この平和な森で獰猛な獣は出ないと思っていたが、目の前に現れたそれは、私を絶句させるには十分過ぎた。


「この森に餓狼が居るなんて……なんで……」


主に山に出没する餓狼は、この森に存在していない筈だが、目の前の木の陰から、確実に私を狙っている。

怪しく光る眼光は私の足を地面に縫い付け、怯え切った体から、言葉さえ平気に奪う。


木の陰から飛び出した餓狼は私と急速に距離を詰め、鍛え抜かれた脚で跳躍し、鋭い牙と爪を剥き出しにして、立ち尽くす私に飛び掛かってくる。

餓狼の爪が目前に迫った刹那、空から落下して来たアイネは、私に飛び付いた餓狼の隣に着地して、手に持っていた大量の花を私に差し出す。


「この花綺麗ではないか? お前もそう思うであろう、のう犬っころよ」


「んっと、この花はこの森でもよく見ますよ」


震える声を必死に抑えて、固まって瞬きをするアイネの前で平然を装う。


「なっ……私は見たことがなかったの……いや、見た事があるぞ、あぁ、ある。よく知っているぞこれは、この森にしか生えないがよく見るヤツであるな」


それに対して手遅れな見栄を張ったアイネは、誤魔化す様に尻尾をゆらゆらと大きく揺らす。


「守護者なのに?」


「なのにだ。素直に喜ばぬかたわけ、クライネのように白くて綺麗であろう」


「いえ、私よりも遥かに綺麗です。どちらかと言えば、髪も肌も白いアイネさんの方じゃないですか?」


この森以外でも結構ある事は黙っておくとするが、いつ餓狼が動き出すかと言う方が不安でならない。


だが、アイネに首根っこを掴まれている餓狼はすっかり大人しくなり、体に花を飾られてオブジェと化している。

手に持っていた花が無くなったアイネは餓狼を解放して、翼をぐったりとさせる。


明らかにヘコんでいるアイネの顔を見上げると、綺麗な瞳はどこえやら。死んだ魚よりも酷い目をしていた。

荒んだ瞳の前に、逃げた餓狼が落としていった花を出して、髪飾りみたいに自分の髪に着ける。


「良いでしょ、この綺麗な花」


「そうじゃな、流石私だ」


ぱっと顔を明るくさせ、機嫌を直して歩き出したアイネは、尻尾を小刻みに揺らしていて、嬉しさが隠し切れていないでいる。

餓狼が尻尾を振るのと同じ感覚なのだろうかと思い、好奇心で尻尾を掴んでみると、びくんと跳ね上がって、膝から地面に座り込んでしまった。


「こ、これ、やめぬか。ドラゴンの尻尾には神経が沢山通っておってな、餓狼の肉球と同じ位敏感だと覚えておけ」


「はーい。ほら立ってください」


冗談半分で尻尾を指先で撫でると、腰に手を回されて、一瞬で空高く舞い上がる。


「そんな事をするやつは、体で分からせねばならんようだな」


「わぁーっ! あれがアイネさんの居た湖で、あっちには私の村があります、ぎりぎり副都の壁も見えますよ!」


「あ、あぁ、そうだな……そうだ……な」


「分からせるってこれですか? 高い所は嫌いじゃないですよ、どきどきはしますけど」


「いや、もう良い。そんなに嬉しそうな顔を見せられたら、ここから落とそうとした私が悪人みたいになるではないか」


「えー、落とそうとしてたんですか? 鬼、人で無し、阿呆あほ鬼畜きちくドラゴン」


すで戦意喪失せんいそうしつしているアイネは、私の背中に顔を埋めている。

私の気が済んでからしばらくくして地面に降りると、次は木の根元に咲いていた花を、アイネが小さな声で愛で始める。

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