epilogue
その日、橋山がバックヤードにて用度品を整理している時であった。
「あー、今日は納品多すぎてほんま疲れるわあ!」
「ほんまやなあ。」
丁度売り場から戻ってきたであろう品出しアルバイト二人の声が橋山の耳に届いた。
その場から橋山の姿が見えないのであろう、二人は更に世間話に花を咲かせ始める。
「そういえばさあ、知ってる?四階の社員の例のあの人、とうとう結婚するみたいねんて!」
「あ、そうなんや!?へえ、おめでたいなあ。
となるとこの店でまだ結婚してへん社員っていったら、誰になるんやろ?・・・ああ、橋山さんがいるなあ。」
「ああ橋山さんなあ。でもあの人は一生独身なんちゃう?結婚できるって感じの人ちゃうやん!?」
あはははは、と笑い声が響く。
・・・ほっといてくれ。
不憫なことにこんな話が始まったため、橋山は物音一つ出すことができず、じっとその場で待機していた。
「それにさあ、デリヘルの方もまだ使い続けてはんのちゃうの?
一生のパートナー見つけるより、そっちの方で間に合わはうんちゃう?ああいう人って。」
どさりと持っていた用度品を落としてしまった時にはもう遅かった。
はっとしたアルバイト達が音のした方に駆け寄ってみると、バツの悪そうな橋山がちょこんと突っ立っていた。
「うそ・・、橋山さん!?」
「・・・どうも。」
「ああ・・何か、すみません・・・。じゃ、仕事戻ります・・・。」
そう言うと一人は若干気まずそうにしながら、すぐにその場を立ち去る。
もう一人もそれに倣って、ここを後にしようとした。
「あの・・・。」
橋山は呼び止めた。
「・・・いつから、知ってはったんですか?」
「へっ?」
橋山の質問に戸惑いを感じたものの、流すのも悪い気がしてアルバイトは素直に答える。
「もう随分前からですよ。まだ袖谷さんがいはった時に。」
そりゃそうか・・・。
じゃあ僕が分かってへんかっただけで、結局社員全員が知ってったってことか。アルバイトまで知ってるってのはそういうことに違いない。
そんな橋山の心中を察したのか、アルバイトは言葉をつけ足す。
「あの、一応言っておくと、このこと知ってんのは品出しアルバイトだけやと思います。
袖谷さん、品出しには何でも話してましたから。品出しの人も他の社員さん達には何も言ってないと思います・・。」
どうだか・・・。
しかしたとえ今皆が知っていたとしても、僕がそれに全く気付かなかったくらい自身の職場生活に何も影響は出なかったのだ。
恥ずかしいと言えば恥ずかしいが、自分が一番危惧していた事態は発生していないのだ。これで十分と言えるのかもしれない。
「あの、ちなみにですね・・・」
橋山は目を伏せつつアルバイトの方を向くと、こうつけ加えた。
「今はそういう店、一切使ってないんで。そこんとこ訂正、お願いします。」
「・・・。」
始めは呆然と橋山を見つめるアルバイトだったが、きっと内心は恥ずかしい思いを抱えながら懸命に橋山は抗議しているのだろうと考えると、何だか可愛らしく思えた。
思わず吹き出してしまう。
「橋山さん、それはわかりましたけど、別にまた使っていいんちゃいます?そういう店。
私達もう大人なんですから、公私混同しない限り誰も茶化したりしないと思いますよ?・・・じゃあ私も仕事戻りますね。」
・・・今さっき随分茶化してなかったか?
そうは思ったものの、橋山の口元にはなぜだか笑みが零れていた。
*
夜の帳が下りる頃、繁華街はより一層淫靡な匂いを醸し出す。
その日も橋山は遅くまで上司達の飲みに付き合わされた後、一人だけ皆とは違う反対方向の帰り道を歩いていた。
奴らの恰好の獲物である。
そこかしこから有象無象が寄り付くと、橋山に下劣にも刺激的な誘惑の言葉を浴びせた。
ああ早くここから出たい・・・。
その時だった。
「私の店、どうですかあ・・・?」
本当に客引きする気があるのかどうかというぐらい気怠げな声が前方から聞こえた。
聞き覚えのあるその声の方を振り向くと、紛れもなく見知った女が立っており、ちらしを配っていた。
女の顔がはっとしたものに変わる。
おそらく僕だと分からずに適当に声をかけていたのだろう。
不本意で仕方ないが、相変わらず縁のある女だなと思う。
「・・・とりあえず、ちらしだけ貰います。」
「・・・どうぞ。」
それだけ交わすと、あっさり二人は離れていった。
一瞬だけちらしに目を通すと、折り込んでかばんにしまいこむ。
大通りが視界に入り始める。どうやらもうすぐここを抜けられそうだ。
橋山はほっと安堵した思いを胸に、家路へと足を進めるのであった。
嬢と僕 @arara
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