一歩

「橋山あ!前もこれ言ったやろがあ!」


「あ、はあ・・・すみません・・・。」


「すみませんちゃうやろが!お前がちゃんと全体通知しとらんからこういうことに・・・」


店長の説教はとにかく長い。そして煩い。

たとえ僕だけのせいではなくてもだ。


しかし、これを少しでも穏便に、そしてなるべく早く終わらせたければ、ただひたすら彼の言葉の合間に「はい」という肯定と「すみません」の謝罪を入れるしかない。


橋山のそんな姿は周りの社員にとっても見慣れた光景であった。

視界の片隅に入りつつも、電話応対やパソコン作業に没頭し、ただ嵐が過ぎ去るのを待つのみである。



ただ一人を除いては。



橋山の姿を頬杖をつきながらぼーっと見つめる存在がいた。


不意に橋山と目が合ってしまったものの、一切動じることはない。

数秒凝視した後、ぷいとパソコンの画面に目を移す。

他の社員とは対照的に一切何の作業も行うことなく、ただ画面の中を見つめ続けるばかりだった。


「ちょっと袖ちゃん!ちゃんと仕事してる?」


前方に座る女性社員がいさめた。


「・・・。」


緩慢な動作でパソコン脇に置いている大量の紙束の内の一枚を手に取る。

それをリーダーに読み込ませることで、パソコン内に情報を収める。

彼女に課せられた数少ない仕事の一つ、伝票計上であった。



・・・またこいつは。



そんな姿を横目で見た橋山は、イライラした気持ちがわき上がるのを感じずにはいられなかった。


今日は計上係があの女子一人しかいないのだ。

この時間にあれだけの量がまだ残っているようでは、到底彼女の就業時間で終わらすことは無理だろう。

ともすれば、残った分は今日のメンバーだと僕がやるしかない。

畜生・・・、繁忙期が近付いているため、自分の仕事だってまだ残ってるというのに・・・



「橋山あああああ!!!」



これにびくっとしたのはもはや橋山だけではなかった。

完全無視を決め込んでいる他の社員達も、さすがに一斉に店長と橋山の方を向く。


「お前・・・、さっきから話聞いとんのかっ!?」


店長は完全に激昂している。目が夜叉のごとく血走っているではないか。

こうなってはもう遅い。あの女子に気を取られ過ぎ、完全にこっちの話をおろそかにしてしまった僕のミスだ。


こんな時にだけこちらを一切見ることもなく、仕事を続ける女の態度に更にイライラしながらも、橋山は更に長引いた説教の受難に、ひたすら耐えるのであった。





橋山が自宅に帰り着いたのは、もうじき明日の日付けに変わりそうな真夜中のことであった。


電気をつけるのと同時にクーラーも入れる。蒸した空間に冷気が一気に入り込むのがたまらなく心地よい。

コンビニで買った粗末な弁当を机の上に置くと、ソファにごろりと横になった。



今日も疲れた。しかしそれもいつものことだ。

店長の怒りも、仕事のフォローも、耐えうるのも気に掛けるのも全ては主任である僕の役目なのだ。

その分、毎月がっぽりと増える残高が橋山の人生最大の楽しみといっても過言ではなかった。



だがやはり、それでもあの女子、袖谷の態度はどうにかならないものか。



袖谷は約一年ほど前から、橋山勤める西急ホールディングス株式会社に契約社員として入ってきた二十歳そこそこの女子だ。


入ってきたばかりの頃から素行はそれほどよくはなかったのだが、それは日増しに酷くなっていき、今では就業中の居眠りや脱走など、もはややりたい三昧、職務怠慢が常習化している状態であった。


何度も他の社員同士で袖谷素行改革のための話し合いを行い、様々なアプローチを試みているものの、一向に彼女が改善する兆しは見えない。


なぜ辞めさすことができないのか?仮にも契約社員であるのに・・・。

そんな声も周りからちらほら聞くことはあるのだが、それができないのは彼女が特別枠で社員になっていることに起因していることを橋山はよく理解していた。




もう袖谷のことを考えるのはやめよう。

それより明日は休みなのだ。何も考えず今はただゆっくり過ごしたい。



弁当を食べ終える頃には食欲も満たされ、橋山にはリラックスした気持ちが戻り始めていた。

そんな状態で何気なくパソコンで遊んでいる内に、ふとブックマークのエロサイトにカーソルが動いていることに気付いた。



一発抜いておきたいな。



その瞬間、ふとこの前目にしたヘルスのちらしが脳裏をよぎる。


・・・もしかして、今こそヘルスを使う時なのではないか・・・?

何せ明日は休みなのだ。


部屋をぐるりと見渡してみる。寝室を除いて、今自分が使っているリビングは綺麗に整頓されていると思う。呼ぶなら絶対この部屋だ。ソファがあれば何の問題もないだろう。


「いやいやいやいや!!」


橋山は思わず大声を出してしまった。


何を自分は冷静に、ヘルスを使うことをさも当然のように話を進めているのか?

本当に・・・、本当に自分の家に知らない女を呼んでやってしまおうというのか・・・?



この僕が・・・?



ブックマークからひとまず離れると、橋山は「ヘルス」、「初めて」のキーワードを打ち込み、とりあえず検索をかけてみることにした。


しかしながら、デリヘルの仕組みや利用者の体験談、ヘルス嬢の選び方など、さまざまな情報を吸収していく内に、橋山はどんどんヘルスを身近なものへと感じていくというぬかるみの中へ陥っていく。



デリヘルを利用するなんて、何も特別なこととちゃうんちゃうか・・・?


もうええやん。これ使ってみてもええんちゃうか・・・?


すっかりその気になった橋山は今度は自宅周辺のおすすめヘルスで検索をかけてみる。

口コミ上、優良店と名高いヘルスサイトを見つけると、ヘルス嬢の一覧リストをのぞいてみた。


どうせなら可愛い子がいい。でも可愛すぎるのは逆にこっちが緊張するからな・・・。

二十代前半ぐらいで、純朴そうないい感じの子、いいひんかな?

まあこんな仕事してるんやし、ほんまに純朴ってわけではないんやろうけど。


写真、スリーサイズ、コメント欄等、入念に確認し始める橋山は生き生きとしており、もはや先ほどまでの疲れや迷いはどこかへ飛んでしまっていた。


その内、何人か橋山の中でヒットした女の子を見つけたものの、既に出勤中の表示がついている子ばかりであった。


そりゃそうか。僕がいいって思う子はみんなも大体いいって思ってるってことやもんな・・・。


仕方なく、即出勤可の欄に切り替えてみる。


しばらくすると、少し太めの体型なのは気になるが、なかなか純朴そうな雰囲気をもつ女の子を見つけた。

バスタオル一枚でちょこんと壁に座る姿はなかなか可愛らしい。


名前は「みなこ」、二十歳か・・・。


まあ、ここらで手を打つか。


こうしてようやく橋山は、ヘルス嬢を呼ぶのに至ったのである。

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