第3話 事前の準備

 本番を明日に控えた七月六日。今日は事前の打ち合わせと必要な物の買い出しをしなくてはならない。

 町内会での打ち合わせを午前中に済ませた俺は、聡太の提案からいつもの三人で港に近いショッピングモールへ来ていた。


「あっつ〜。何で今日はこんな暑いのよ」


 気になっていた香里の機嫌も、相変わらずの立ち直りの早さだった。ギクシャクした空気は一日しかもたず、あっけらかんとこちらを小突いてくる始末だ。

 俺ならもう少し引きずりそうなものだけど、女の子は切り替えが早いというのはどんな場面でもそうなのだろうか。


「タカラ、水着どんなのが好き? ピンク? オレンジ? ビキニは駄目よ」

「前に買ったビキニは酷かったもんな。もう少し胸が成長してからにした方がいいよ」

「わかってるわよそんなこと!」


 怒鳴りつける香里は両手に持ったワンピースの水着をブンブンと振る。商品だからやめて欲しい。

 ショッピングモールに入るなり香里の買い物に付き合わされる俺達は、昨年のビキニ姿を思い出して苦い顔しか出来ない。香里は足が長くてシュッとした顔立ちの癖に胴体は子供体型だから悲しくなったのだ。

 そんな香里を気に止めない聡太は、時計を確認して予定を立て直していた。


「香里ちゃん。そろそろタカラくんの買い物を終わらそう。あとは法被を取りに行くだけなんだから」

「それもそうね」


 大人しく従う香里は水着を元の場所へ掛け直すと、一人でずんずんと仕立て屋へと向かった。俺達も香里を追うようについて行く。

 その道中、聡太はコソコソと耳打ちをしてきた。


「香里と喧嘩したんだろ? 大変だったんだぜ。タカラくんに嫌われたとか何で大学に行くんだとか」

「悪いな聡太。とばっちりだったな」

「それはいいさ。でも、香里ちゃんの事も考えてやれよ。何だかんだ心配でいても立ってもいられないんだから。あっちで何があるかもわからないし、もう会えなくなるんじゃないかって思ってんだよ」

「大袈裟だな。本土に行っても日本には変わりないのに」

「大袈裟にもなるさ。だって……」

「だって?」


 俺が振り向くと、聡太は口を固く結んでいた。これは聡太の癖だ。のらりくらりと生きているように見える聡太は、その実、どこまでも我慢強い。一度言わない方がよい、やらない方がよいと判断してしまうと断固として行動に移さない。そんな時、絶対に口を結んでしまう。

 コイツが言わないと決めたのなら、俺は聞かない。二人の背が今の半分の時から守っている決め事だ。


「タカラ〜。もう出来てるって。これでしょ?」

「あ〜うん、それそれ」


 一足先に法被の仕上がりをチェックした香里は、一度広げてこちらに見せてくる。

 新しい法被は赤を基調にしたシンプルなデザイン。昨年の青い生地に紫の文字が書かれた物より随分マシだ。あれはダサいと色んなところで言われたから。

 丁寧に畳む香里はいつもより女の子らしかった。島に残って、仕事を継いで、誰かと結婚して主婦になる。そんな想像をしてしまうと、少し虚しさを感じる。

 みんな、それぞれの道を行って、大人になる、いつまでも子供のままではいられないんだ。

 一番子供なのは、間違いなく俺だろうな。


「どうしたの?」


 少し笑いながら、香里は綺麗に畳まれた法被を差し出してきた。それを受け取り、俺も笑い返した。

 もう、昔みたいに時間はない。俺も進まないと。


「変な顔。普通に笑えこのやろー」

「や、やめろって!」


 香里は俺の頬を両手で掴んでぐにぐにと揉みまくる。その手を払おうとしても、香里は力が強くて上手く剥がせない。

 そんな俺達を見て、聡太はヘラヘラと笑っていた。このありふれたやり取りが、俺には心地よくて、少しだけ不安が薄れていった気がした。




 楽しい時間は早く過ぎ去るもので、いつの間にか夕方になっていた。

 二人を先に帰らせ、俺は一人で神社に寄り道をして帰ることにした。

 祭りのある神社はすでに出店が設置されており、何人かの大人はまだ準備を進めている。その脇を通り過ぎると、小さな道が山へと続いている。獣道だけど、小さい頃から隠れて一人で整備していたその道は、いまは普通に歩くことができる。


「明日、晴れたらいいな」


 俺だけの秘密の場所に続く獣道を見ながら、明日のことを考える。朝早くに起きて、港へ行くつもりだ。

 いつも通り、奈々美さんを迎えに。

 道の状態を確認出来た俺は、ようやく家へ向けて足を動かした。

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