第20話 黒と金

 アンナに指輪を届けたグレイは残り二つのコンテナを破壊、囚われてた者たちを助け出すと、そのまま背後に鎮座するカンパニーの移動支所を見上げる。穢れを知らぬ無垢な白は、この場に起きた惨状など意に返さないと言わんばかりに静寂を保っていた。


 だが、その見せかけの偉容はグレイには通用しない。彼の高感度センサーはその内部で慌ただしくカンパニーの人間たちがうごめいていることを察知していた。反応から見るに武器を構えた兵士たちがやっと動き出したようだった。


 グレイはその行動の遅さと稚拙な武器しか用意されていない兵士たちを哀れに感じていたが、それだけで、向かってくるならば容赦はしないことだけは確実だった。

 馬鹿正直に支所のハッチから身を乗り出す二人の兵士を撃ち抜く。


「撃ってきたぞ!」

「は、反撃だ!」


 威勢だけは良い。だが、その動きは素人まるだしであり、これならば、ならず者のハイエナたちの方がまだ戦い方を知っていた。


 だが、グレイにはそんなことは関係ない。一気に駆け出したグレイは重厚な鎧に似合わずほぼ一瞬で兵士たちの群れへと突撃していた。兵士たちはこうなってもまだ引き金を引けていなかった。安全装置を解除していないのだ。


 そんなことに気が付いた時には既に遅い。先んじて支所の入口付近に集まっていた兵士たちはグレイの拳によって首を折られ、頭を粉砕され、体を折り曲げられていた。


「うわぁぁぁぁ!」


 やっと安全装置を解除した兵士たちだったが、乱射されたマシンガンはグレイだけではなく、味方すらも巻き込んでいた。

 さっそくそこに統率という言葉ない。グレイが適当に腕を振るえば兵士たちは絶命していく。邪魔な障害物をどかすように、羽虫を追い払うように、グレイは突き進む。


 それでも、任務に忠実な兵士たちは列をなして進んでくる。全てはマニュアル通りの動きだが、それをサポートするはずの者などここにはいない。混乱の中で彼らが頼れるのは訓練で教えられた動作だけだった。たとえ警報が鳴ろうと、仲間が死のうと、自分が死のうと、もはや彼らはそう行動する以外に考えが浮かぶような心理状態ではなかったのだ。


 施設内は本来ならば清掃が行き届き、清浄な空気が循環し、心地よいクーラーの風が吹いていたはずだった。だが、今は違う。兵士たちの絶叫と硝煙が漂い、けたたましいアラートと血はあたりを赤く染めあげていた。


 戦闘の余波によって破壊された壁からは内部の機械が露出し、ガスや液体を噴出して、それに引火してスプリンクラーが作動するが、既に無駄なことだった。グレイにより無秩序な破壊と兵士たちの混乱は、いまだ破壊の手の届かない区画にまで及んでいたのだ。


 たった一体のアンドロイドの侵入だけで、この施設の全システムは麻痺した。待ち受けるのは自壊するかどうかであるのだが、騒ぎ喚き、混乱するだけの人間たちはそんな危機的状況すら予測できるはずもなかった。ただ自分が死にたくないという欲望だけで行動しているに過ぎないのだから。


 グレイは標的を探していた。目の前を逃げ惑う兵士たちではない。壁や机の隅で隠れる研究員でも職員でもない。

 ガチャッガチャッと無機質な足音が騒がしいはずの施設の中に響く。そこにいる人間たちにしてみればそれは死神の足音に聞こえただろう。発狂して逃げる研究員姿の男がグレイの横を通り過ぎる。グレイはその男に手を下さなかったが、そのすぐ傍で露出していたパイプから噴出した蒸気がその男の体を焼いた。それを見ていたもうひとりの研究員は何を思ったかグレイに突撃していった。


 当然、兵士でも何でもない研究員は簡単に掴まれ、喉を潰されかける。

 グレイはパクパクと空気を求める研究員を引き寄せ、漆黒の瞳を向けながら、「死にたくなければガキどもと逃げるのだな」とだけ言って放り投げた。研究員は悲鳴を上げながら、逃げ去っていく。


 その後も無謀な戦いを仕掛けてくる兵士を撃ち殺し、逃げ惑う研究員たちを無視して進んでいくと階段を発見する。当然のように上階へと昇ったグレイだったが、その瞬間頭上から機銃が浴びせられる。侵入者を迎撃する機能が働いたらしい。同時に毒性のガスが噴射されるが、アンドロイドであるグレイには通用しなかった。


 だが人間はそうはいかない。不運にも同じ階にいた者たちの下へとガスが降りかかる。一気に広がったガスは施設内の人間たちの喉を焼き、内臓を犯していく。息ができずにもだえ苦しみながら彼らは死んでいった。

 口元を抑えたところでこの毒ガスからは逃げられない。経口摂取だけではなく皮膚を含めたあらゆる部分から内部に浸透していくものだったから。


 ガスの噴射は十秒ほどで終わる。その直後に空間内のガスを吸い上げるように機械が動く。後に残ったのは毒によって変色し、泡を吐き出し、血反吐と汚物をまき散らし、苦しみの中で死んでいった兵士たちの姿だった。

 そんな地獄のような空間をグレイは突き進む。暫くすると広間に出る。椅子や机が丁寧に固定されおり、作動したスプリンクラーが周囲を濡らす以外に被害は見当たらなかった。


「……」


 グレイが入ってきた扉のちょうど向かい側から黄色いスーツを着た男が現れる。レオンだった。残った左目はもちろん、えぐられたはずの右目からは敵意がむき出しになっていた。ひび割れた顔は人とも獣とも区別できない程に歪んでおり、人工表皮がドロドロに解け始めていた。


「ハイエナどもめ、役に立たん」


 スプリンクラーから降り注ぐ水がレオンに当たるたびに蒸発していく。レオンのボディの表面温度は既に二〇〇度を超えていた。その温度は今なお上昇しているのがグレイにはわかった。


「だが……ククク……貴様に借りが返せれるというのは喜ばしいことだ」


 レオンは両手で自身の顔の皮膚を引きちぎっていく。べりべりと引きはがされていく人工表皮の下から、獅子の顔が現れ、獣の唸り声が移動支所の至る所へと木霊した。


「ユーカンスからの命令が。貴様を破壊しろとな」


 『変身』を遂げたレオンは鬣を展開する。ぶわっと放熱された熱気がスプリンクラーの水を弾いていく。


「ほぅ……」


 対するグレイは余裕の声を上げた。


「面白いこというな」


 グレイはくいっと右手で招き寄せるような仕草をして見せた。


「ほざけ!」


 レオンが飛びかかる。周囲に降り注ぐ水を蒸発させながら、一直線にグレイへとその爪を立てる。

 二撃! 両腕の爪を交互に振り下ろしたレオンだったが、それは容易くグレイの片腕で防がれる。だが、レオンの攻撃は止まらない。すぐさま右足による蹴りを放つ。棒立ちのグレイの脇腹に直撃するコースであった。


「なに!」


 だが、それよりも先にグレイの拳が突きだされていた。鈍い金属同士の激突音が響く。胴体を殴られたレオンは机や椅子を巻き込みながら吹き飛んでいく。


「うっ……くそ!」


 すぐさま態勢を立て直す。しかし顔を上げた瞬間、レオンの顔面が蹴りあげられる。火花を散らし、下顎をわずかに歪ませたレオンの体が宙に浮く。


「ハッ!」


 そしてグレイはすかさず宙に浮いたレオンに拳を叩き込み、広間の壁へと吹き飛ばした。

 レオンは壁を突き抜け、瓦礫に埋もれながら、腹部と口部に異常を検出する。そして今の自分の姿を認めることができなかった。


(バカな! バカなバカな!)


 瓦礫を跳ねのけ、爪を白熱させながら邪魔な壁を斬り裂き、グレイの灰色のボディへと振り下ろす。だが、爪が届くよりも先に再び拳が撃ちこまれ元いた瓦礫へと押し戻されてしまう。


(全ての性能が私を越えているとでもいうのか!)


 それは、到底認められるものではなかった。なぜなら自分は最強の兵士、決して死ぬことのない戦闘マシーン、黄金の獅子をかたどった無敵のアンドロイドなのだから。


「私は誇り高き獅子だぞ! この砂漠の王者なのだぞ!」


 レオンの戦闘回路は激昂していても冷静な判断を下させる。全ての攻撃は急所を的確に狙っているものだった。首を、胴体を、関節部分を……だがどれ一つ、かすることすらできない。レオンの計算は完璧である。常人であれば避けることなどまず不可能な速度で寸分たがわず振り下ろされる爪は、必殺の攻撃だった。

 だが、その腕はあっけなくグレイに掴まれてしまう。


「前にも言ったな」


 グレイが力を込めると、レオンの腕はきしみ、スパークを走らせる。


「ペラペラとうるさい猫が。獅子を名乗るなどちゃんちゃらおかしい」

「オオォォォ!」


 レオンは咆哮した。尾てい骨部分に装備された尾が伸びてグレイの首に巻きつく。


「ムッ……」


 残った腕でその尾を掴むグレイだが、尾もまた爪と同様に白熱化する。流石にグレイもわずかだが苦痛の声を上げた。


「私を侮辱する機械め! 旧式が!」


 レオンはなぜそんな言葉を吐いたのか、高性能AIをもってしてもわからない。人間で言えば無意識から出た言葉だ。その無意識が目の前の灰色のアンドロイドを旧式だと識別していた。

 だが、レオンはそれを考えるよりも、次第に目の前の憎いアンドロイドを破壊しなければならないという意識に占領されていく。破壊しなければならない……この灰色の機械を……それは、自分の使命なのだから。


「オオォォォ!」


 レオンの咆哮が空気を振動させる。レオンは両腕のフレームが歪むことなど構わずにグレイを押し出していく。壁を突き抜けて、いくつもの通路を通り抜けていく。

 こいつはここで破壊しなければいけない。

 そして、最後の壁をぶち抜いた時、二体のアンドロイドは施設の外へと躍り出ていた。


『レオン! 何をしている! 商品が逃げるではないか!』


 ユーカンスの甲高い声が通信越しに聞こえる。


「黙れ! 私はこのロボットを!」

『命令だレオン! 商品を逃がすな! 多少の傷をつけても構わん! 貴様の失態を取り戻せ!』

「ウガアァァァ!」


 そんな命令は到底受け入れることなどできない。だが、レオンは、怒りの叫びを上げながらもグレイを開放して、壁に叩きつける。

 鬣が展開して、エネルギーを充填、目標はハイエナたちの乗ってきたトレーラーである。商品たちはそれを使って逃げようとしていた。充填が終了すると同時にレオンはビームを放つ。

 トレーラーはビームに飲み込まれ、横転して爆発した。

 唖然とこちらを見上げる商品たちを見下ろすのにちょうどいい残骸に着地して咆哮を上げる。

 それは、怒り、虚しさ、そして嘆きの声だった。

 一方解放されたグレイは舌打ちをしながら首を撫でる。損傷はないが、あのような隠し玉があるとは思ってなかった。


「所詮は命令に従うだけの戦闘用か。哀れな飼い猫だな貴様は」


 グレイは大穴が開けられた壁から、咆哮を続けるレオンを見下ろした。漆黒の瞳と灰色の顔からはなんの表情もうかがうことはできないが、もし彼が人間の顔をしていれば、きっと薄ら笑いを浮かべていただろう。

 なぜならグレイは、今のレオンの姿を見て、滑稽だと感じていたのだから。


 ***


「なに!」


 アンナたちが振り返る。後ろについてきていた少女や幼い子どもたちはその場にしゃがみこんで新たな混乱に恐怖していた。


「あいつ……!」


 閃光が走った先、そこには金色の獅子が廃墟の残骸の上に立ち、輝く鬣を月光に照らしていた。


「あの金色は……!」


 アンナはそのまばゆいばかりの金におぼえがあった。オロを斬り裂いた金色の光、間違いない。あの黄金の獅子こそ、オロを殺した張本人。アンナは確信した。


「オオォォォ!」


 獅子の咆哮が響く。空気を振動させる程の衝撃が、アンナたちにも伝わる。


「逃がしはせんぞ……人間ども!」


 黄金の獅子、レオンは怒声と共に跳躍、廃墟の出入り口付近に着地すると、片方しかない赤い瞳をギラギラと輝かせ、放熱された蒸気が獅子の口から吐き出される。姿勢を低く構え、両腕の爪を震わせながら、レオンはもう一度吠えた。


「私は与えられた使命は全うする! ロボットは命令を確実に実行する!」


 アンナは引き金を引いた。少年たちもそれに続く。

 だが全ての銃弾はレオンには通じない。


「ユーカンスの指令が下った! 腕や足の一本は覚悟しろ! 嗜好家どもには売れると言っている!」


 レオンが大地を蹴る。それは一瞬にして金色の閃光となった。


「あぁぁぁぁ!」


 アンナは避けない。それは恐怖によって体がすくんでいたからなのか、オロの仇を取ろうとしたからなのか、それはわからない。だが、アンナは一歩も動こうとしなかった。傍らに控える少年たちもそのアンナに感応したのか、涙を流し、足を震えさせながらも引き金を引き続けた。

 一秒と経たずに金色の閃光はアンナたちへと肉薄する。アンナは思わず目を閉じた。

 自分たちもオロと同じような無残な姿になる……そのはずだった。


 ガギンッ! 


 鈍い金属同士のぶつかる音がする。


「え?」


 ゆっくりと目を開けると、そこにはグレイが片手でレオンの体当たりを受け止めている姿があった。


「飼い猫が……」


 そう吐き捨てるグレイは思い切りレオンの胴体を殴りつけ、吹き飛ばす。


「首輪をつけられた獅子は曲芸でもしているのだな」


 グレイは両腕のアームガンをレオンに向けるとためらわず放った。

 しかし、撃ちだされる弾丸はなんら特殊なものではなく、通常弾であるために効果はない。それでもグレイは撃ち続けた。わずか数秒でアームガンの残弾はなくなっていたが、グレイは気にしたそぶりも見せずにアームガンを収納して、鼻で笑った。


「こい、獅子と名乗るなら食らいついてみせろ」


 グレイはトントンと人差し指で自分の首筋を叩いて見せた。


「猫にはできないだろうがな」

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