第15話 指輪

 マッダバファミリーの襲撃は十分程度のものだった。

 だが、そのわずかな時間の中で、街の被害は甚大であり、広場や道路には住民の死体がいくつも転がっていた。


 死者の数は百を超えていたが、街の住民の総数からすれば少ない方だ。

 それでも死者が出たという現実は、彼らに深い傷を作る。


「おい、生きてるか……」


 ソゾウ婆さんの店の常連たちがのそのそと店に集まってくる。周囲には他の住民たちの姿もあり、死者の家族がさめざめと涙を流している姿を端に、彼らは負傷した腕や額を抑えて被害の確認をしていた。


「マーティが死んだ」


 マーティーはアンナを店の中に放り込んだ男だ。面倒見のよい男だった。


「そうか……」


 男たちもどこか冷静だった。見知った連中が立て続けに死んでいくことに、なぜか現実味がなかったのだ。まるで悪い夢でも見ているかのような……それが逃避であることも理解はしていたが、そう思わなければやっていけなかった。


「ババア、くたばってないだろうな」


 店の奥、機関銃でずたずたになったカウンターの前で椅子に深く腰掛けたソゾウ婆さんがいた。衣服に多少の汚れは見えるが、ぴんぴんとしている。


「あいにくと無傷だよ」


 小さな溜息と共にいつものしゃがれた声が木霊する。


「みたいだな……」


 男たちも何をするわけでもなく、その周りに集まって、残骸をどかした。


「連中……好き勝手やりやがって!」


 ようやく落ち着くことができたためか、彼らの中にはやっと現状を受け入れて、改めて怒りを湧き上がらせるものがいたが、今となってはそんなもの無意味でしかない。

 男たちは、びくびくと隠れることしかできなかった自分たちを恥じていた。だが、あんな大軍と武器を相手にどう立ち向かえばいいのか、今でもわからなかった。


「くそ! 手が震えてきやがった……」

「俺もだ……」


 ぶるぶると震えだす腕を抑えるように腕を組む。男たちの中には何の感情も示さない者もいたが、それを指摘してやるものたちはいなかった。


「アンナは?」

「連れてかれたよ」


 男の問いにソゾウ婆さんは吐き捨てるように答えた。


「街の若いもんは殆ど連れてかれたよ……連中め、人狩りをしたんだ」

「人狩り……」


 人狩りとはその言葉通りでハイエナなどが使える人間をさらう為に街を襲う行為のことだ。そうなればもう人間としての人生を諦めなければならないとまで言われている。男たちの顔が青ざめていく。さらわれた者たちの末路を想像してしまったのだ。


「若いってことは健康だ、それだけでも買い手は付く。こんな世の中じゃ、少しでも働ける見込みのある子どもは貴重な資源だからね」


 まるで他人事のように言うソゾウ婆さんだが、それはいつもの彼女の態度ではなかった。どこか、無気力な印象を見せていた。

 男たちは、流石のソゾウ婆さんも今回の事には堪えたのだと察したが、どう声をかけていいのかなどわからない。自分たちだって混乱しているのだから。


「連中、またここに来るのか?」

「知るかよ!」


 臆病風に吹かれた一人が頭を抱えてうずくまる。その姿にいらだちをぶつける者もいたが、騒動に発展する前に、その気力をなくしていた。


「おぉい! 誰か!」


 店の外で悲鳴のような声が聞こえると、その声の持ち主は瓦礫と化した壁から男たちの姿を確認すると、急くように手招きをしていた。


「なんだ、どうした?」

「お前ら、あのグレイって男がどこに行ったか知らねぇか!」

「グレイ? 大暴れした兄ちゃんか? 見てねぇが……」

「急いで探してくれ、オロがあいつを呼んでるんだよ!」


 その男はそれだけを伝えると、また他の場所へと走っていく。その慌てようは普通ではないと感じた面々はぞろぞろと店の外に出て、何となしに周囲を見渡す。


「おい、あいつの態度、なんかおかしくねぇか?」

「あぁ……」


 男たちは何か言い知れぬ不安を抱いた。あいつは一体なんであんなに慌てていたのだろう?

 しかも、どうやらその騒ぎは街全体に伝わっているようだった。数人の女が、「オロが!」と顔を青くして、街の出入り口へと走っていく。

 捕らわれずに済んだ子どもたちも、一斉にオロの名前を叫んで向かおうとしていたが、出入り口付近から戻ってきた別の大人たちにせき止められていた。


「おい! 何があったんだ!」


 その一人を捕まえて、事情を聞きだす。


「お前らか! オロがヤバイ!」

「ヤバイってお前……」

「とにかくやべぇんだよ! あのグレイって男はどこにいるんだ!」

「そんなの俺たちだって知らねぇよ!」


 相手の口調が粗っぽくなってきたので、男たちも怒鳴り返す。押し問答が無駄だと判断した男たちは、人だかりを押しのけるように進んでいく。

 次第にざわめきが大きくなり、先頭を突き進んでいた男の人がやっと人ごみをかき分けると、そこには無残な状態となったオロが横たわっていた。


「お、オロ! お前!」


 男たちが一斉にオロに駆け寄るが、半身がちぎれ飛んだオロに触れようとはしなかった。少しでも触ればそれだけでオロが死んでしまいそうだったからだ。

 そう、オロはまだ生きていた。だが、肉体の損傷、流れた血の量を見れば、もう助からないのは彼らでもわかる。

 しかし、オロにはかすかに息があった。奇跡と言いたいが、こんな状態で生きながらえていることが奇跡でも幸運でもない。早く楽にしてやった方がいいはずだと男たちは判断していたが、自分たちの手で、オロにとどめを刺そうとは思わなかった。


「ぐ、グレイ……さんは?」


 今にも消えそうなかすれたオロの声が聞こえる。男たちはどうすることもできない。


「オロ、もうしゃべるんじゃない。いてぇだけだ!」

「グレイさんを……」


 オロは、目が見えていないのか、焦点の合わない視線を虚空に向けていた。

 男たちも、周囲の人々も、何を施せばいいのかまったくわからなかった。早く楽にさせてやれという視線をかけよった男たちに投げかけるものもいるが、口には出さなかった。


「おい! グレイって奴はどこにいるんだ!」


 誰かが叫ぶ。

 その瞬間、バイクのエンジン音が響き渡った。

 人々はその音の方へと視線を向ける。そして、人だかりがわかれていき、一本の道を作る。その道の奥、グレイは塗装のされていない灰色のバイクにまたがっていた。それは、オロの祖父が弄っていたものだった。

 グレイはエンジンを切ると、オロの傍まで寄ってくる。


「このエンジン……グレイさんだね?」


 オロは音のする方へと顔を向けるが、それすらも激痛を感じるのか、顔をゆがませる。


「な、なぁあんた!」


 人だかりの中から一人の男がグレイの腕を掴んだ。今のグレイはサングラスをしていない為に、そのナイフのような鋭い視線を男に向けられた。

 男はその視線に対して情けなくも小さな悲鳴を上げたが、それでもグレイの腕を離そうとはしなかった。


「あんたすげぇやつだろ! 子どもたちを助けてくれよぉ!」


 泣きつく男はグレイの腕から足へと抱きついた。その姿はみじめであったが、周囲の人々はその男に同調していた。


「そ、そうだよ! さっきもあたしらを助けてくれただろ!」


 中年の女がヒステリックな声で叫んだ。それに釣られるように他の者たちも同じような言葉を次々とグレイに投げかける。


「黙れ」


 だが、グレイのその重い一言が周囲の人々は押し黙ってしまう。そして、足に抱きついていた男を、グレイは払いのける。


「助けたければお前たちでいけ。俺には関係ない」

「そ、そんな! 俺たちに戦えっていうのかよ!」


 誰かがまた叫んだ。


「武器はそこらへんにある」


 グレイの言う通り、彼が始末したハイエナたちの武器はそこら中に転がっていた。


「あいつらをどう追いかけろって言うんだよ!」

「車もあるだろ」


 言い訳がましい意見もグレイには通用しない。

 そんな人々を適当にあしらいつつグレイは、やっとオロの下にたどり着き、立膝をついて、オロにその目を向けた。


「おじいちゃん、死んでたでしょ?」

「あぁ。機関銃が直撃したのだろう。即死だ」


 オロは「やっぱりか」とつぶやいた。


「いきなり凄い音がしてさ……いくら呼んでも返事がないし……そうか、やっぱ死んじゃってたのか」


 話す度に激痛に襲われるのか、オロの表情が険しくなる。


「そのバイクは……おじいちゃんがやるって言ってたからね。あげる」

「そのつもりだ」

「けど……ただじゃダメ」


 オロはせき込み、血を吐くと苦痛に顔をゆがませるが、すぐに口角をあげて無理やりにでも笑みを作った。


「砂漠のさ……ルールだ。交換だよ……豚の世話の手伝いだけじゃ、バイクはやれないよ」


 オロは、残った右腕を震わせながらポケットを漁ろうとするが、もう持ちあがらせることもできず、ただ痙攣させるだけだった。


「右のポケット……」


 オロの言葉に、グレイはオロの右ポケットを漁る。そこには、オロが露店で買った玩具の指輪があった。指輪はどこも壊れてはいなかったが、ほんのわずかに血がかかっていた。


「それ……さ……今日、アンナにあげようと思ってたんだよね……けどアンナ、機嫌悪かったし……やめたんだけど……もう、俺じゃ渡せないからさ」


 オロの声は小さくなっていた。


「いつか、街の外に出てさ……都会で、本物買ってやろうって思ってたけど、無理だよなこれ」


 オロは血を吐きながら、笑った。


「今更だけどさ、街に出る目的が出てきたんだよね。アンナと一緒に生きたい。そんな夢がさ……もう、無理だけど」

「もういい、喋るな」

「グレイさん……そのバイクをやる代わりに、この指輪、アンナに絶対に届けてほしい……あいつ、結構子どもっぽいから、こういうの好きなんだ……」


 グレイは小さく頷くと、そのおもちゃの指輪を胸ポケットにしまう。


「絶対に、無事に届けてくれよ……交換条件だ……これができないなら、バイクはあげない」

「届けよう」


 そのグレイの言葉はどこか優しいとオロは感じていた。フッと笑みを浮かべると、オロは息を大きく吐く。


「あぁ……まったく、こんなことになるならもっと早くアンナを連れ……出して」


 その言葉を言い終わる前にオロの意識は消えた。

 グレイは目を開いたままのオロの瞼を閉じてやると、バイクへとまたがる。


「ちょっと待ちな!」


 エンジンをかけようとするグレイを制止したのは、ソゾウ婆さんだった。老婆とは思えない程に力強い足取りは、大股であり、すぐにグレイの下へと歩み寄った。

 ソゾウ婆さんはグレイの傍に立つと、その近くで息絶えたオロの姿を見る。


「こんな若い子どもが、こんな死に方をする……全部あんたがここにきたせいだよ」


 ソゾウ婆さんの声は冷たかった。


「お、おいババア……」


 常連の一人がやめさせようと声をかけるが、「おだまり!」と一喝され、引き下がる。


「オロの依頼、反故にしようってんなら、許さないよ」

「どうするつもりだ?」


 グレイはじろっとその瞳をソゾウ婆さんに向ける。

 ソゾウ婆さんも一歩も引かなかった。


「あたしがあんたを殺す。どんな手を使ってでもね」

「フッ……」


 グレイはニヤッと笑みを浮かべる。


「それは怖いな」


 そうとだけ言うと、今度こそエンジンをかける。どっと真っ黒なガスが噴き出す。質の悪いエンジンを使っているせいだった。グレイは構わずアクセルを握りしめ、全開にする。


「気が変わった。小僧の依頼だけは受けてやる。他は知らん」


 異音をたてながら、しかしどこか安定したその奇妙なバイクを駆り、グレイは一瞬にして砂漠へと躍り出る。

 背後でソゾウ婆さんの声が聞こえた。


「ガキどもが戻ってこなかったらあんたを追いかけて殺す! あたしゃ言ったことは絶対にやるからな!」


 グレイは答えない。だが、その表情は獰猛な獣のような笑みを浮かべていた。

 砂を巻き上げ、灰色のバイクが疾走する。防塵用の装備はしているが、当てにはできない。だが、それでもグレイはアクセルを緩めない。

 彼の目は、遥か前方をかけていくハイエナたちの姿をしっかりと捉えていた。

 獲物の姿を、そして破壊すべきターゲットの姿を、グレイは決して離さなかった。

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