第12話 報復
グレイは夢を見るということがあまりない。それでも時折、暗闇の中で自分が生まれ出たという事実を『記憶』と『記録』の中で垣間見ることがある。それを夢というのであればそうなのだろうが、グレイは気にしたことがなかった。
その夢の中でグレイは自分の傍に無数の『機械』がずらりと並んでいるということに気が付く。その機械たちはどれ一つとっても同じ姿がなく、多種多様だった。
それら以外にも機械はたくさん並んでいた。その機械の周りを人間たちが群がり、各部の調整を行っている。人間たちは自分の周りにもいた。自分を覗き込むのは老人だった。老人は淡々と機材を使って自分の体を調整していた。
煩わしい。グレイの中に生まれた感情は怒りだった。夢の中で、グレイは腕を振るった。それだけで老人の体は細い枝のようにぽっきりと折れ、切断される。不思議と悲鳴は聞こえなかったが、視界の中に映る人間たちは逃げ惑っているのがわかる。
グレイは自分の体を拘束するあらゆるものを引きちぎり、慟哭した。
目に映る全てを破壊し尽すように暴れた。拳を振るい、柱を振り回し、銃弾をばらまいた。気が付けば自分の周りにいた機械たちは消えていた。人間たちも消えていた。
また暗闇だった。
「それでいい」
その声は背後から聞こえた。老人の声だった。
「お前は、それでいい」
振り返るが、姿は見えない。だが、再び背後から老人の声が聞こえる。
いや、その声は頭の中から聞こえているようだった。グレイは頭を抑えてうずくまった。
「全て壊せ」
耳鳴り。グレイの頭に老人の声が何度も反響した。
「壊せ! 壊せ! お前は全てを壊す存在だ!」
「…………!」
その瞬間、グレイは目を見開き、身を起こした。
じろっと窓の外を確認する。ぽつぽつと灯りのついた夜の街の景色が広がっていた。しかしグレイはそんなものには目もくれず、街の分厚い外壁を眺めた。
「チッ……先手を打たれたか」
髪の毛をかきむしるように起き上がったグレイは気だるさを感じさせる足取りでベッドから降りる。
ポケットに手を入れ、まるで散歩に出かけるような足取りで歩き始める。
その背後からまばゆい閃光が迫っていた。
***
その日の夜、男たちはあまり酒を頼まなかった。金を使いすぎたのである。
それはつまり、結局ツケの大半を払えないということなのだが、今回に限ってはソゾウ婆さんもアンナもそれをとやかくということはしなかった。それでもきっちりと男たちの有り金を巻き上げるぐらいはするのだが。
男たちも、二、三は文句を言うが、なんとも言えない空気が漂う店内の中で、声を荒げるのだけはやめた。
商人がきた日の夜は大抵こうだ。バカみたいに金をはたいて、ろくに使いもしない嫁や女たちの好きなものを見栄を張って買う。
結局の所アンナの言う通りになってしまったのだ。それでも臆面もせずにこうやって飲みに来るあたり、彼らも意外と図々しい所がある。
だが、それでも微妙な空気の店内を感じ取ってちびちびと酒を飲んでいた。
この空気の原因はアンナだ。どうにも顔が暗い。珍しく病気かとも思ったがそんな様子はなかった。男の一人がわざと怒らそうと、アンナのお尻を触ってみるが、ひどく低い声で「やめて」とだけ返ってきたので、これは一大事だと仲間内で集まって耳打ちをするのだ。
「ありゃなんだ? オロに振られたか?」
「バカ、逆ならあるだろうがよ」
「じゃなんだよ? 気味が悪いぜ」
「あれじゃねーのかよ、あれ、女のさ」
「だったらソゾウ婆さんが休ませるだろ。あれの日は嫁が怖いんだ」
あれこれと意見を交わすが結局結論は出ない。まぁ思春期のそういう年頃、色々あるのだろうという決着で片付いたのだが、やはりそれでも張り合いがなかった。
「おいアンナよぉ、そんなしけた面されちゃ酒がまずくなるだろが」
ついに直接文句をいう男も出てくるのだが、アンナは妙に素直で、「ごめん」とだけ言ってカウンターの前に座った。
そして男たちはまた集まって、話し合いを再開する。
「ありゃ重症だな。理由はわからんが」
「今更しおらしい女でも目指してるわけでもねぇだろ? んだよあれは」
「わかれば苦労はしねぇよ。お前、ババアに聞いて来いよ」
「やだよ、なんで俺が」
やいのやいのと会話を続けていると、ドンとテーブルに鍋が置かれる。緑色をしたスープが入った鍋だった。
運んできたのはソゾウ婆さんでいつも異常に険しい顔をしていた。
男たちは、スープをよそい、黙ってそれを飲み始めるが、そのあまりの苦さに舌を出す。
「なんだこれ……おい、ババア! 何作った!」
「うるさいね、野菜スープだよ」
ソゾウ婆さんは厨房に戻りながら怒鳴り返した。
「嘘つけ! 草の味しかしねぇぞ!」
男は文句を言ってもそれを食い続ける。
「肉ばーっか食ってるからたまにゃ野菜を食えっていうあたしの老婆心だよ。ありがたく受け取りな」
そう吐き捨てるソゾウ婆さんはフライパンで野菜炒めを作り始める。
「チッ! どうせ肉の準備してなかったんだろうが」
ぶつぶつと文句を言いながらドロドロの緑のスープをかき込む男たち。一気に食べたせいか、のどのあたりに違和感が出てきて吐き気すら催すが彼らは根性でそれに耐えた。
「うげぇ……暫く青物は食いたくねぇなこりゃ」
「同感だ。おいババア! 肉だ肉!」
「やかましい! 今焼いてるだろ!」
やっといつもの調子が出るかと思っていても、アンナだけは変わらず陰鬱としている。
こうなってくると男たちもアンナを気にするのをやめた。相手をしてもつまらないし、そんな空気に引き寄せられて自分たちまで暗くなっては酒は楽しめない。
ソゾウ婆さんも手伝わないアンナを叱ることはしなかった。好きなだけウジウジしてればいいときついことを言ってきたが、ようは無理をするなということなのだ。
「こんばんわー」
どうにもオロという少年は、妙な空気の時に店に来る宿命があるらしい。
「珍しいな、小僧が夜中に店にくるのかよ」
「酒はやらねぇぞ」
男たちは珍しい客を歓迎していた。
アンナがあの調子ならまだオロの方が愉快なのだ。
「いいよ、酒臭いは嫌いだし」
「いうぜこの小僧」
正直な態度も今では許せる。男たちは、無言でオロを手招きすると、近寄ってきたオロをぐいっと引き寄せてまた顔を突き合わせる。
「なんです? 臭いですよ」
オロは怪訝な顔をして見せるが、抜け出そうとはしなかった。
「おい、お前アンナがあの調子な理由知ってるか?」
男の一人はオロの言葉に一瞬、眉を顰めるが、それよりもという感じでアンナの方を顎でしゃくって見せる。
オロはそれに従うようにアンナの方を見ると、椅子の背もたれで頬杖をついてぼけっとしているアンナが目に入った。
視線を男たちの中に戻したオロは小さい声で囁いた。
「なんです、あれ」
オロとて、アンナのあのような姿を見るのは珍しいことなのだ。
「俺たちが知りてぇよ」
こいつでもダメかと言った感じで呆れたような顔をする男たち。突き合わせた顔を離して、全員が背もたれにのしかかる。
「何か酷いことでもいったんじゃないの?」
オロも本気でそんなことを言ったわけではない。あのアンナがその程度の言葉で傷つくとは思えないし、ここの連中がそこまで酷いことを言うとは思えなかったからだ。
「バカいうなよ」
「そうですよね」
「それより、オメェ何しに来たんだよ」
まずいスープをよそう別の男にそういわれて、オロはハッとした顔をしながら男たちの集団から離れていく。
「ごめん、おじさんたちとのんきに話してる暇はなかったんだったよ」
「言ってろガキが!」
軽い嫌味を言ってみせたオロは男たちの反論を背中に受けながら、元気のないアンナの横に座る。
「婆さん、なんか一つ」
「ほらよ」
注文をすると作り置きしてあったらしい野菜炒めが出てくる。相変わらず冷えていた。
オロは構わずそれを一口かじって、暫くは咀嚼をしていた。ちらっとアンナの方を見るが、変化はない。ぐだっている。
「……」
二口目を口に入れたあたりでオロもこれは異常事態だなと感じていた。
「ねぇ」
「なに、あっちいって」
「なんで元気ないの?」
「うるさいわねぇ……たまにはこういうこともあるわよ」
「アレの日?」
「ぶん殴るわよ」
「ごめん」
オロは取り敢えず野菜炒めだけは完食しておこうと思い一気に口に放り込んだ。大量の野菜とギトギトした油が口の中で混ざって気持ち悪い感じがしたが、それを飲み込むと、一息つけて、またアンナへと声をかける。
「まさかと思うけど、商人についていけなかったことを後悔してるとか?」
オロの言葉にわずかにアンナの肩が震える。
「やっぱり」
「違うわよ」
否定して見せるが、アンナは顔をオロには向けなかった。
「ま、いいけどさ」
オロは背もたれにのしかかって頭の後ろで腕を組んだ。
「別にさ、焦らなくなっていいんじゃないの?」
「うるさい」
「そりゃ俺もいつかは街を出たいけど、物資もないし、それに十四、五なんて都会じゃまだ子ども扱いだよ? 働く以前の問題だ」
「いい、私、街でない」
まるで駄々っ子のような返答にオロも困りはてた。アンナは本気で機嫌が悪くなると大人びた見た目に反してかなり幼い反応を返してくる。
しかもこうなるとかなり面倒臭く、何を言っても逆張りしてくるので、会話にならないのだ。
「ねぇ本気で何あったのさ。そういうのって吐きだすといいっておじいちゃん言ってたぞ」
「もういいでしょ! ほら、食べたんなら帰った帰った」
アンナはオロを押し出すようにして店の外まで連れていく。オロもそれに逆らわずにされるがままに歩いていった。
「お、二人で駆け落ちか!」
「そうなるかも!」
男の一人が冷やかしを飛ばしてくるが、反応を返したのはオロだけだった。しかも返事をした瞬間に背中を叩かれた。
「いてて……殴ることはないだろ?」
店先に出たオロは口をとがらせる。
アンナはそっぽを向いていた。さっさと帰れという態度だというのはわかった。
「はぁ……まぁいいけどさ」
オロは背中をさすろうとするが、腕が届かないので、あきらめた。
「今のアンナには何いっても無駄だろうし、明日また来るよ」
「二度と来なくていいから」
「わかったわかった」
本当、子どもだなぁと感じたオロはアンナの黒髪をくしゃくしゃと撫でまわしていた。
当のアンナはびっくりして、ちょっと悲鳴を上げたが、すぐにオロの腕を振り払って、キッとにらみつけてくる。
「なにすんのよ変態!」
「あっはっは! なんだいつもの調子が出るじゃないか!」
ムキになって反応してみると、オロは屈託のない笑顔で笑っていた。
「やっぱアンナはそうしてる方がいいって。んじゃ、また明日なぁ!」
笑ったままオロは走りだして、帰路につこうとする。
アンナは足下に転がっていたコンクリートの小さな破片を掴み、
「うるさぁぁい! 顔見せるな変態野郎!」
と叫んでオロに放り投げるが、オロはそれをひょいっと避けると、また笑っていた。
「あんにゃろう……」
ベーっと舌を見せるアンナだが、一体なにバカなことをやっているんだろうと自覚すると、ちょっと恥ずかしくなってすぐに顔を戻した。対して乱れていない髪をせっせと直しながら、もう一度オロの走っていった方向をにらむ。
(何なのよあいつ)
なんだか見透かされていたような気がして納得がいかなかった。しかも半ば意固地になって落ち込んでいた気分も無理やり元の調子に戻されたことにもなんだか恥ずかしさといらだちが生まれてくる。
オロの思惑通りに自分が動いていたんじゃないかと思うと言葉には言い表せないむずがゆい感情が出てくるのだ。
「いぃー!」
子どもっぽいと思いつつもアンナはもう一度その方向に舌出した。そこまですると、なんだかいままの悩んでいたのがバカなんじゃないかとも思えてきた。これもオロの作戦通りだとすれば気に入らないが、まぁ落ち込んだままというよりはマシかなと、どこか落ち着きも取り戻していた。
「ほんと、嫌な奴」
アンナは無意識のうちに自分が笑っていることに気が付いて、すぐに顔を横に振った。
なんで自分は嬉しがっているんだろうと不思議に思いながら、アンナは、店内へと戻っていく。
その瞬間であった。
「……?」
パッとアンナの周囲が明るくなる。まるで昼間のような光だったが、この街に夜中をここまで照らす光源はない。
では一体なんだと思った時には、光は店の二階を飲み込み、轟音と衝撃がアンナに降りかかり、アンナの体を吹っ飛ばしていた。
「きゃあぁぁぁ!」
悲鳴をあげて、転がるアンナ。痛みはさほどなく怪我も腕を擦りむいた程度だったが、異様な程に心臓が鼓動していた。それは突然の衝撃のせいだ。
しかし、不思議とアンナの思考は冷静で、光に飲み込まれた店の二階を見ると、そこに泊まっていたはずのグレイがどうなったのかと心配になったし、一階にいるソゾウ婆さんや男たちはどうなったんだと不安になり、何とか体を起こす。
すると、店の中から男たちが慌てて出てきて、こちらを発見すると「おぉい!」と叫びながら駆け寄ってくる。
「アンナ、無事か!」
「う、うん! おばあちゃんは!」
「大丈夫だ、店の中にいる。瓦礫も落ちてこなかったが……」
男はそういって綺麗にえぐり取られた二階部分を見る。そこには何もない。良く見れば、遥か遠くの壁まで大穴が空いているのが見えた。
「何なんだ一体……」
その疑問に答えるように、奇声と複数台のエンジン音が街の響き渡る。
「お、おいこれってまさか」
男の一人が青ざめる。それを始まりに、街全体が騒がしくなってきた。家の窓を閉めるものや逆に外にでて街の奥ににげようとする者たち、トラウマがよみがえったのか意味もなく泣き叫ぶ者もいた。
一瞬にして静かな夜は、叫喚の渦へと変貌した。
遠くで銃声が聞こえる。エンジンの爆音が、野獣のような咆哮が、再び街を支配したのだ。
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