第11話 少年と男
オロの家は何に使うのかわからないような機材やその残骸で埋め尽くされている。機械いじりの好きな祖父がどこからともなく集めてきたもので、中には商人が不要になった壊れた機械の残骸なども転がっている。
どれも使い物にならないくらいに劣化しているので、交換することもできないものだが、祖父はそれでもいいらしく豚の世話をしながらこの残骸を使って車やバイクを再現しようとしていたのだが、まともに動いた試しはない。
それでもめげずに作っているのは半ば意地に近い。
「ただいまじいちゃん、ダメだね。なんもない」
オロが商人たちの下に寄ったのは何も指輪を買う為だけではなく、祖父の為に不要になった廃棄機材をもらおうとしていたのだ。結局、そういうたぐいのものはもらえなかったので意味はなかったが。
「おぉ……帰ってきたか」
腰の曲がった祖父は、手を振って家の奥、本人はガレージと呼んでいる空間にいた。
「……?」
奇妙なのは、祖父の傍に家ではみない男がいることだった。
その男は、暗いガレージのさらに奥にいて、本人も黒い衣服を着ているせいか、気が付くのに時間がかかってしまった。
オロが近寄ると、やっとそれがグレイであることがわかる。
「あれ、おじいちゃんこの人……」
「あぁ、ハイエナを追っ払った奴だ。さっきふらりとやってきてな? わしの作品を見せてほしいっていうんだよ」
祖父はウキウキとしていて、機嫌がよかった。街の住民も祖父が一応機械いじりができるということでそれなりには頼りにしてくれているが、祖父の作るへんてこな機械だけは良い目を向けない。まともに動いた試しがないからだ。
「いやぁこの男は凄いぞ! 見ろ!」
「なにさ」
子どものようにはしゃぐ祖父は男が弄っているバイクをオロに見せびらかす。塗装もしていなければ、部品もかみ合ってない継ぎはぎのようなバイクだ。
「何も変わってないように見えるけど?」
しかし、それは以前から見ているもので何がどう変わったのかはわからない。
「わからん奴じゃな。おいグレイ、済まんが見せてやってくれ」
言われたグレイはバイクを弄る手を止めて、無言のままバイクにまたがる。ギギっと錆びた音が鳴るが、バイクは意外と安定していた。そして、グレイがキーをまわすと、今までかかることのなかったエンジンが始動し、ドドドという振動がガレージに伝わる。
「動いた!」
その光景は、流石のオロも素直に感心して、バイクに駆け寄る。
「凄いじゃん! なんで?」
「さぁな。グレイが弄ったら動くようになった。こいつは機械に詳しいぞ? あとで浄水器も見てもらおうと思ってな」
そういいながら祖父は馴れ馴れしくグレイの肩を叩いた。だが、意外とグレイの肩は硬かったらしく、祖父は掌の痛みを逃がすようにひらひらと振った。
「え、だけどグレイさん、いいんですか?」
「構わん。暇つぶしだ」
グレイはエンジンを止めてバイクから降りる。
「動かした。約束通りこいつはもらっていく」
どこか満足げにバイクのシートを叩くとそんなことを言い出す。
「おぉ! 構わんぞ! 他に何か欲しいものはあるか!」
祖父は自分の趣味が認められたことが嬉しいのか快諾して、いい気になっていた。
「ない」
それだけ答えるとグレイはガレージから出てくる。
オロはそれを見送ると、もしかしたらグレイは初めからバイクが欲しかったのではないかと思った。
意外とスペースを占拠する邪魔なものだったしなくなってくれたのはそれでよかったのだが。
「おじいちゃん、機械いじりもいいけど、豚に飯やったの?」
「まだだ、お前やっとけ」
上機嫌の祖父はそのまま他に機械に飛びついて分解を始めた。こうなってしまうと、豚の世話はオロがやるしかない。
溜息をついたオロは、豚の世話の準備に取り掛かろうとするが、その前にポケットに入れていた指輪を自分の棚の中に入れておく。誤って落として豚が食ってしまったら大変だからだ。
「さてと」
ちょっと気合を入れるようにオロは息を吐く。
豚の餌やりは結構きつい仕事なのだが、これをしないと自分たちの飯がないので、仕方がない。悪臭のする豚小屋に向かって、フンの処理をして、解体できそうな豚を選んで、それから餌をやる。
もう十年としてきたことだから、その動きは手早いものだった。
オロが準備を進めているとすぐ横からグレイの長身がぬっと現れた。
「うわ!」
グレイの体躯はかなり大きい。そして全身が真っ黒な衣裳で、かなり威圧的だ。オロは驚き、軽く尻餅をついた。
「ぐ、グレイさん」
グレイは無表情のまま、「等価交換だ」と呟いた。
「え?」
「掟なのだろう?」
「て、手伝うって事ですか?」
グレイは小さく頷いた。
なんだ、見た目と違って意外と律儀な人だ。関心を示したオロだったが、この男がつい先日にハイエナの連中を素手で蹂躙したことを思い出すとサーっと血の気が引くのを感じた。
「糞を処理すればいいのだろう?」
グレイはそんなオロのことなど気づいているのか、気づいていないのか、淡々と物事を進めていった。オロが何も言わずともグレイはてきぱきと処理をしていく。
呆気に取られていたオロも急ぎ処理を始めた。
作業はほぼ無言だった。グレイはそもそも積極的に会話をするような男ではないし、オロもつい最近知ったばかりの男に話題を設けられる程多弁ではない。それでも作業内容を説明するぐらいは出来た。グレイは要領が良いのか、オロが教えたことはすぐにできるようになった。豚の解体もむしろオロより上手い。
結果として普段なら二時間、三時間はかかる仕事が一時間と少しで終わったのは驚きだった。
「あの、ありがとうございました」
オロはぺこりと頭を下げる。グレイは無言だった。
「あの、良かったら少し話でもしません?」
そういった後、オロはなんでそんなことを言ったのかと思ってしまった。この一時間ちょっとの間にオロはグレイがそう簡単に腕力に訴えかける男ではないのだろうという認識を持った。必要以上に無言を貫き通すのは不気味ではあるが。
「…………」
グレイは無言のまま、豚の血で汚れた手を、これまたどす黒く汚れたタオルでふき取りながら、ちらっとオロを見た。またその後も無言だったが、そのまま小屋の入り口付近にドスンと腰を降ろした。
了承してくれたのだろうか? オロはグレイの行動をそう解釈して、隣に立った。
「何か飲みますか? といっても、うちにはお酒なんてないので、水しかないですけど」
「必要ない」
「そうですか」
話には聞いていたが本当に変わっている。それになんだが無機質すぎる。オロはちらちらと横目でグレイを観察した。グレイはサングラスをかけたまま、じっと前を見ている。特別、何かを眺めている様子ではない。ただそうしているだけのようだった。
「グレイさんって旅をしてるってことでいいんですよね?」
さて何を話したものかと思い、出てきたのがこの言葉だった。多分、この質問は何度も受けているかもしれないが、いざ改めて外部の者にする話題となるとそんな言葉ぐらいしか思い浮かばないのも事実だった。
「僕もいずれ街の外に出ようと思ってるんですよ。参考までにいままでどんな街を巡ってきたのか、聞きたいなぁ」
「別に……」とグレイは呟く。「何も面白い話はない。どこも死んだ顔がうろうろとしていた」
ぶっきらぼうな返答だった。しかしオロはその声音からは怒りであるとかそういう感情は感じ取らなかった。元々こういう喋り方をする人なのだろう。
「お前は……なぜ外に出たがる?」
「え? うーん……なんででしょうね?」
入口を挟んでグレイの隣に座りながら、オロは首を傾げた。思ってみればそんな理由考えたこともなかった。
「外に興味がある……じゃ、ありきたりですよね? けど、それぐらいしかないんですよね。グレイさんも見てわかるでしょうけど、この街も多分他の街も安全かもしれませんが、同時にいつ滅んでもおかしくない綱渡りのような生活をしてます。僕たち以外にも外に出る、都会に行くって人たちはたくさんいると思いますよ。みんな口に出さないだけで、こんな窮屈な生活には飽き飽きしてるんだと思います」
オロは不思議と饒舌だった。ふだん、こんなことを話す相手はアンナぐらいしかいない。街の大人たちは頭ごなしに否定してくるだけだし、アンナもアンナであれで気が小さいので、あまりこういうことを話し合うなんてことはしてくれない。
「だから、ですかね。何がしたいから外に出たいんじゃなくて、外に出て何がしたいかを確認したいんです。おかしい話ですよね? けど、ここじゃ僕たちの常識なんてのは、ここだけのものなんです。ハイエナだって存在は知っていましたけど、あんなに危ない連中だとは思っても見なかった。外にはあんな危険が山ほどあるんだってわかりました。だけど、それは同時に他にも僕たちの知らないことがいっぱいあるんだということにもなります。だから、外に出たいんです。その結果死んでしまうかもしれませんけど、ここで惰性的な生活を送って歳をとるよりはずっと意味があるんじゃないかって……」
「…………」
「あ、すいません。うるさかったですか?」
少し喋りすぎたらしい。オロは気分を害してしまったのかと思い、ちらっとグレイの様子を伺うが、彼は相変わらず無表情のまま、通りの方を眺めていた。つられてオロもその方向に視線を向ける。街の住人たちが商人を見送り、またぞろぞろと風化しかけた住居に戻っていく。それなりに賑わいを見せていた街の様子も一瞬にして気だるく、重たいものとなった。
「叶うと良いな」
突然、ぽつりとグレイが呟く。オロは信じられないという風な表情を彼に向けた。
「この星はどこも地獄だ。どこに行っても変わらん。無駄な幻想を追いかけるよりもここで静かに、惰性をむさぼる方がずっとましだ。それでも、お前がそう思うなら、叶うと良いな、お前の夢が」
それだけを言うと、グレイはカツカツと靴底を鳴らしながら歩いていく。
「だが、あの小娘を連れていくようなことはやめておけ。うるさいぞ」
それを言った時のグレイはほんの少し微笑んだようにも見えたが、それは気のせいだったかもしれない。相変わらず彼の顔は無表情でサングラスに視線が隠されている。オロは特別呼び止めることも、先ほどの言葉に返事を返すこともなく、グレイの背中を見送った。
「……聞こえてたのかな?」
先日の宿屋での会話。あの時、グレイの姿はなかったが、もしかしたら話を聞いていたのかもしれない。なんでそんなことを思ったのかは知らない。ただ、なんとなくそう思っただけだ。
***
「明日、出る」
グレイは帰って来るなりそれを告げる。
黒衣の巨躯がぬっとソゾウ婆さんを見下ろした。
「そうかい。見送りは……いらんわな」
ソゾウ婆さんはまた奇妙な色をした鍋をかき混ぜながら答えた。
「ま、あんたがいるとなんか嫌な予感がするんだ。危険な予感がね」
「ちょっとおばあちゃん!」
初めの頃の印象はどこにいったのか、ソゾウ婆さんは今ではグレイを毛嫌いしているようにみえた。その露骨な態度で気分でも害されたら何をされるか分かったもんじゃないと思ったアンナは二人の間に入って、苦笑いのような変な顔をして取り繕うとした。
しかし、グレイは何も感じていないのか、「そうか」とだけ答えるとそのまま、店の外にでてコンクリートの階段を登る音が聞こえる。
「もうおばあちゃん!」
「うるさいねぇ、本当の事なんだから仕方ないだろ」
アンナが口を尖らせた所で、言うことを聞くようなソゾウ婆さんではない。この頑固者めと内心思いながらも、確かにグレイがいては危険なのかもしれないなとアンナはどこかで感じていた。
それは昨夜にソゾウ婆さんが話したハイエナの報復の事がまだ記憶の片隅に残っていたからである。
「とにかく、これ以上街を荒らされたら商人が寄り付かなくなる。そうなったらこの街は死ぬんだよ。迷惑事を持ちこまない、払うものは払う客ならあたしゃ誰でも歓迎するが、あの男だけは見誤ったよ」
「けど、今の所報復ってきてないし」
「アホかいお前は。一日来なかった程度で安心してんじゃないよ。向うにだって準備ってのがあるんだ。街の連中ものんきなもんだよまったく」
「じゃ、なんでおばあちゃんは逃げようとしないのさ」
その疑問はついさっき思いついた。口々に危険だというソゾウ婆さんだが、今もこうして料理の仕込みをしている。本当に怖いのなら何とか逃げることを考えそうなものだが。
「今更どこに逃げるんだい? このおいぼれが砂漠の道を歩いてたら十分で干からびるよ」
ソゾウ婆さんは一端言葉を区切って、鍋の味を確認する。
口に含んだ瞬間、すぐに吐き出し、唾をあつめてもう一度吐き出す。
「逃げたいなら逃げな。商人も来てる。連中についていけば、どっかにはたどり着くだろうさ」
「そんな急に……」
したいのはやまやまだが、そんな気分でもなかった。
「はん、チャンスを逃がして後悔してもあたしゃ知らないからね」
ソゾウ婆さんはそれだけいうと店の奥に消えていった。
アンナは、重たい足取りで、店の窓から外を眺める。商人の一団が荷物をまとめていた。店じまいのようで、もう帰るのだろう。
あの集団に飛び乗れば、念願叶い街の外なのは間違いがない。
だが、アンナは、結局それができなかった。街の外の恐怖、ハイエナ、そして襲われた街の現実とその後のことを考えると、逃げていくようで、気が引けたのだ。
そして、商人たちのジープは街の外へと出ていく。
アンナは今更走りだそうとしても無駄だとわかっていたが、なぜだか足が店の外へと向けられていた。だが、アンナが店から出ると、既に商人たちの一団は砂を巻き上げて遥か遠くへと走り去っていった。
「……」
以前、男たちを意気地なしとののしったことを思いだす。
「どっちがだ……」
一番の意気地なしは自分じゃないか。
アンナは唇をかみしめ、拳を握りしめた。
そして、肩を落として店に戻っていった。今日の夜の店の準備をしなければいけない。
ぼんやりとした頭は、街の外への切望をかき消そうと必死だった。
けど、そうしようとするたびに、後悔の念が次々とわいてきて、アンナはなぜだか涙が流れた。
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