第9話 密約の後

 会議室を後にしたユーカンスは傍にレオンを従わせて支部長室として使っている、かつての艦長室にいた。ユーカンスは部屋につくなり、部屋の隅においた保温ボックスからアツアツのタオルを取りだすと、それを広げ、すぐに手を拭いた。それはどこか神経質にもみえて、念入りに拭くので、手は少し赤くなっていた。


「あぁ! あぁ! 汚い!」


 先ほどのまでの余裕はどこに消えたのか、ユーカンスは甲高い声を上げていた。


「屈辱だ。あんな蛮族如きをここに招き入れること自体が屈辱だ。そうだろうレオン!」

「はい」


 レオンは小さく頭を下げて肯定した。


「それにあの悪臭だ。一体どれだけ風呂に入らなければあんな……あぁ虫唾が走る。貴様も見ただろ、奴らの歯の色を!」

「えぇ、品性が感じられない姿でした」

「そうだとも。いや、そうなのだよ! ハイエナなどという社会のごみどもに品性などありはしないのだ! それを、そんな存在の力を借りなければならない屈辱が……えぇい、臭いが気になる!」


 ひとしきりの罵倒を終えたユーカンスはデスクに設置された受話器を取ると、

「私だ、今すぐ会議室の消毒をするのだ。大至急だぞ!」とだけいって乱暴に受話器を置く。


 そうしてやっと椅子に座ると、いくらか落ち着きを取り戻したのか、ユーカンスは大きく深呼吸をしていた。それでも右手の指はせわしなくデスクを叩いていた。


「なぜ私がこんな砂漠の果てまで来なければいけないのだ!」


 落ち着いたはずなのに、ユーカンスは再びイライラがこみあげてきていた。左手の爪をかみなが、破片をポリポリと砕いていて飲み込む。


「人狩りなどという底辺の仕事をこの私が!」


 ユーカンスがこのようにイラつくのは、カンパニーにおいてこの仕事が花形どころか左遷されたも同然の職場だからだ。このように大型のマシーンを与えられるだけ、まだマシなのだが、それでも砂漠に放り出されるという立場は、カンパニーにおいては窓際なのだ。


 カンパニーは崩壊以前の技術を有する巨大企業である。兵器はもちろん日常生活においても砂漠の街とはくらべものにならない代物がそろっている。先ほどの濡れタオルの保温機もそんな代物の一つである。冷蔵庫があり、テレビがあり、クーラーがあり、そして汚染されていない飲料水や食料もある。


 カンパニーは都会の中でも限られたものしか属することを許されないエリートであり、この地獄の時代の中で唯一快適な暮らしを送れる存在がカンパニーの構成員であった。

 しかしながらカンパニーはその名の如く企業だ。そうなれば業績というものが重要なものとなる。平社員程度であれば日常の業務を行うだけでも十分食べていけるのだが、出世をしたとなると話も変わる。執り行うべき仕事内容も複雑になり、大きくなる。所属するポストによって違うとは言え管理職に就いてしまうとそれに見合った分の結果を残さなければこのような左遷を申し付けられることもあるのだ。


 ユーカンスが砂漠にいるということは、つまりそういうことなのだ。彼はカンパニーが求める業績を上げることが出来ずにいた為に、ここにいるのだ。

 彼自身、特別怠け者であったわけではない。強いて言うなればタイミングが悪かったのだ。

 しかしカンパニーは超実力社会であり、貢献できなければそれだけで価値がないと判断される。常に一定以上の結果をカンパニーに提示しなければ意味がない。できなければこのような結果になる。


 だがそれもある意味では仕方のないことだ。この地獄のような地上でかつての文明並の生活を送るともなればそれ相応の力を示す必要があるのだ。カンパニーではそれが業績というものになる。豊かな暮らしを手に入れたいのはユンカースだけではないのだから。


「たかが紙切れ一枚で左遷などと……クソ! 降格の方がマシだ!」


 こんな場所でうろうろしていればハイエナに襲われる可能性もあるし、それでマシーンを傷つけようものなら自分の給料からその修理費が飛んでいく。弾薬費もだ。

 ゆえにマッダバファミリーに戦車などを貸し与えれないのは、嫌味でもなんでもなく、それができないからなのだ。


「頼むぞレオン。もはやお前だけが頼りだ」


 そういう意味では、ユーカンスは幸運だった。マッダバファミリーをうまく抱え込むことができたし、こちらから余計な出費を出すことも防げた。相手が予想以上にバカだったのも幸いである。

 それに、彼の最大の幸運はレオンという存在である。彼は、カンパニー本社とは一切の関係がない戦力である。いうなればユーカンス個人が所有するものだ。このことは本社にすら伝えてない。


 レオンは、人間ではない。その見た目こそは、生身の人間のように見えるがこれは精密なカモフラージュであり、その表皮の下はかつての文明で開発された戦闘用のアンドロイドである。

 ユーカンスがレオンを見つけたのはこの砂漠に放り出され一週間と経った頃だった。廃棄された工業プラントが砂漠に埋もれていることは珍しいことではない。


 この地帯はかつての大戦の際に前線となっていたと聞いたことがあった。

 カンパニーであれ、ハイエナであれ、他多くの組織がこの手のプラントを探し出し物資などを得ようとするのはよくあることだ。それは、かつての文明が残した貴重な技術などが残っているからで、それをうまいこと利用すれば金になるのが、共通の認識である。


 ユーカンスもまた、左遷早々プラントを発見できた幸運に感謝した。とはいえ、小遣い稼ぎ程度の感覚でしかなかったのだが、そこで見つけたのは、新品同然で眠る一体のアンドロイドであった。

 彼が率いる部隊には、技術者らも乗り込んでいる。それもまた幸運であった。

 そして、目覚めたレオンの性能を知ったユーカンスはこれを利用することで、本社に大手を振って戻ることもできるし、人狩りすらも手間なくできる算段が付いたとほくそ笑んだ。

 人狩りなどというちんけな仕事をさっさと完了させ、その足でレオンを手見上げに本社へと乗り込めば、彼の地位がかつてのクーラーの効いた清潔なデスクに戻るのも簡単である。


 カンパニーにとって、技術力の塊であるレオンの存在は大きな業績となる。

 ユーカンスはスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩める。先ほどマッダバが掴んできた上着もさっさとクリーニングしたかった。彼はタオルをもう一枚取ると、それで顔を拭き、受話器を取る。


「私だ。スーツを洗いたい。それと、ジンジャエールを持ってきてくれ」


 部下にそう命じると、こんどこそユーカンスは落ち着きを取り戻した。


「レオン、仕事の方は頼むぞ」

「つまらん仕事だが、まぁいいだろう」


 口は悪いが、レオンは自分たちに従順だ。少なくとも命令違反をすることはない。それでもって戦闘力が高いアンドロイドなのだ。これは、本当に僥倖であった。


「お前が結果を出せば、上も貴様を評価する。そうなれば、お前が求める闘争の場はいくらでも用意できるのだ」


 戦闘意欲だけが異常にあるのが不安だが、それでも言うことを聞いているのであればそれでいい。


「期待しておくよ。戦闘は俺の使命だ。俺はその為に作られた存在だからな」


 レオンは口角を歪ませて笑った。獰猛な獣の如き笑みにユーカンスは一瞬だけ、ぞくりと寒気を感じたが、それと同時に部下がジンジャエールを運んできたので、意識をそちらに向けた。

 ユーカンスは部下が届けてきたジンジャエールを飲みながら、スーツの上着を持って行かせる。

 この安っぽいジンジャエールとも早くおさらばして、ビールを飲みたい。

 その為には街の一つぐらい潰しても構わない。全ては出世の為だから。

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