第6話 ハイエナの声

 店を飛び出た男たちは各々武器としてもってきた木材を構えていたが、装甲板をいたる所に張り付けて、さらには車体の上に巨大な機関銃を搭載したジープを見れば、一瞬にして戦意を失う。


「な、なんだあの化け物車は!」


 男たちとて、ハイエナとそれが操る武器を見るのは初めてなのだ。ちんけなチンピラの集団。そういう認識を勝手に抱いていた男たちだが、彼らが目にしたのは想像以上の存在だったのだ。

 ジープには三人の男が乗っていた。運転手、機関銃を建物や天井に向けて乱射する男、助手席に座り爆弾を投げつけている男だ。


 彼らは明らかに遊んでいた。下品な笑いを響かせて、銃砲からはつんざくような音が吐き出されている。爆弾の振動は住民たちを震え上がらせるが、運悪く巻き込まれて怪我をしたものや流れ弾が当たっているものを除けば死者らしいものは見当たらなかった。

 ジープはわざと速度を落としては逃げ回る住民を追いかけまして、適当な建物を破壊して回っていた。


「お、おい……」


 どうあがいても木材なんてバカな武器で敵う相手ではなかった。敵対する意志を見せれば機関銃で蜂の巣にされるか、爆弾で木っ端みじんなのは確実である。


「ゲッヘヘヘ!」


 機関銃を放つ男の笑い声が嫌に響く。

 ジープは人々を蹴散らしながら、集団となってしまった男たちを見つけると、そこに向けて加速を始めた。


「こっちにくる!」

「逃げろ!」


 屈強な男たちは、それでも鉄の塊には一溜まりもないと即座に判断して、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「ハッハァ!」


 その光景が面白いのか、ハイエナの男たちは叫び声に似た笑いを出しながらジープをジグザグに走らせる。出っ張った装甲板が住民たちに住居の壁を削る。

 ハイエナたちは逃げ惑う男たちを追い抜き、急ブレーキをかけてタイヤ痕を残しながら、男たちの逃げ道をふさぐように駐車する。

 その周囲には他の住民たちの姿も見て取れる。

 ハイエナたちは、それを見渡すとニヤっと笑みを浮かべてまた機関銃を天井に向けて掃射した。


「フンッ! テメェら、なんで俺たちが来たかわかるかよ?」


 派手は衣装をまとった運転手の男がジープから降りて、周囲の人間を見渡しながら叫んだ。

 住民はここにある資源を求めて襲ってきたんだろと踏んでいるが、誰もハイエナのリーダーの言葉には返事を返さなかった。

 リーダーの男はそれが気に入らないのか、眉を顰めると、機関銃を持つ男に顎で指示を与える。

 機関銃は適当な住居に撃ちこまれ、コンクリートの壁を穴だらけにした。それと同時に住民の悲鳴が上がる。


「黙れや! テメェら、しらばっくれても無駄ってもんだぜ? 俺たちの仲間を殺ったのはテメェらだってのはわかってんだよ!」


 リーダーの男は顔を真っ赤にしながら自分のジープの装甲板を蹴りつける。鉄板でも仕込んでいるのか、思った以上の音が響くので、住民はびくっと肩を震わせていた。

 それにハイエナの言っている意味が分からず、何をどう答えていいのか混乱する始末だった。

 だが、その態度がハイエナたちをさらにイラつかせるもので、リーダーの男は奇声を上げながらかりあげた頭をかきむしって、腰から拳銃を取りだすとおもむろにそれを発砲する。


「ギャッ!」


 飲んだくれの男の一人がその弾丸で右足を撃ち抜かれて悶絶する。再び悲鳴があがり、仲間たちはその男をかばうように駆け寄るが、彼らの足下に銃弾が撃ち込まれ、それを阻止される。


「質問してんだろぅが! あぁ! この近くに街っていやぁここぐらいなモンなんだよ! わかるかぁ?」

「な、なんで俺たちがお前の仲間を!」

「るせぇ!」


 たまらず反論した男が今度は肩を撃ち抜かれる。


「食うに困ったか? 俺たちに手を出して済むと思ったのか? ふざけんじゃねぇ!」


 叫びながら発砲を続けるリーダーの男は次第にわけのわからない言葉を叫んでいた。

 住民は弾丸から逃げるようにして、建物の中に入ったりしゃがみこんだりするが、それで気が収まるハイエナたちではなかった。

 住民からすれば、なぜハイエナがそれほどまでに感情的になっているのかがわからない。彼らの言い分も理解できない。だが、これがハイエナなのだということだけは理解した。理不尽な暴力こそがこのハイエナをハイエナに仕立て上げているのだと。


「やめてくれ! 水や食料が欲しいならくれてやる! だが、あんたらの仲間の事なんかしらねぇんだよ!」

「ハッ! 見え透いてるぜ。んなもんはテメェらにたっぷりと仕返ししてからもらっててやるよ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺たちは本当に……」


 だが、次の瞬間、男の額は撃ち抜かれていた。その一瞬で男はばたりと倒れ、その場に血の池を作っていく。

 悲鳴と絶叫が広場に木霊する。

 今まで人の死はさんざん見てきた住民たちであっても、このように殺される姿を見るのは初めてであった。

 木材を担いでいた男たちの集団も気が付けば木材を捨てて、立ち尽くすしかなかった。


「俺たち一家をよぉ! 怒らせちゃどうなるかわかったかよ!」


 ハイエナたちはまた叫びに似た笑い声を上げた。

 広場は騒然とした。

 その理不尽な暴力に、厳ついはずの男たちも引き下がっているばかりで、誰一人立ち向かおうとはしない。


 だが、それも仕方のないことだ。この街は箱庭だ。危険から身を守る為に作られたシェルターであったこの街は半壊しようとも人間を守ってきた。そして人間たちも守られてきた。一方のハイエナたちはならず者で、落伍者だが、死の大地のただ中をひたすらに、意地汚くも生き延びてきた者たちである。死生観も何もかもが全て、違うのだ。

 結局の所、街では威張ってはいても、男たちは街という箱から外には出たことのない矮小な存在でしかない。

 井の中の蛙、彼らがこの言葉を知っているわけではないが、彼らはまさにそんな存在であった。


「ギッヒヒヒ!」


 機関銃を持つ男は血走った目を開きながら、涎をたらしてその銃口を逃げ惑う人々に向けた。そして、その引き金に力を入れる。無数の鉛玉が住居を、そして人間をめちゃくちゃに砕いていく姿を妄想しながら、もはや正常ではない思考の中でハイエナの男は獣のように舌を出して笑った。

 だが、男が引き金をひこうとした瞬間、彼の頭上を黒い影が覆った。男は自分を覆う影を見上げた。


 バキンという音と共にジープのフロント部分が潰れる。窓ガラスが粉砕され、破片が周囲に飛び散る。その時に助手席に座っていた男も一緒に潰され、手に持っていた爆弾が誤爆したのか、炎が吹き上がる。

 混乱の中でも男はすぐさま機関銃をその影に向けるが、弾丸は発射されなかった。


 目の前に突如として現れた影が腕を振った瞬間、機関銃を握っていたはずのハイエナの両腕は既に彼の体からにはなく、潰れた両腕が機関銃を握ったままぶら下がっていたからだ。


「ヒィギヤアァァァ!」


 喉を裂かんばかりの悲鳴が広場に木霊するが、血を噴出させた男はそれ以上絶叫することができなかった。炎を背にした黒い男がぬめりとぎらつく血濡れた手でハイエナの首を簡単に握りつぶしたからだ。

 吹き出た血が男に降りかかる。だが、赤黒い血よりもさらに黒いジャケットは血の汚れすらわからない程だった。

 その男は、グレイであった。

 ハイエナの男はそれを認識することもなく意識が消え、ぴくぴくと痙攣したまま動かなくなった。

 車体に陣取るグレイはハイエナの死体を地面に叩きつけると、機関銃の銃身を握りそれをいとも簡単に捻じ曲げ、その顔をリーダーへと向けた。


「な……」


 リーダーは突然のことに思考が追いついていなかった。それでも手にした銃を黒い男に向け、放つ。

 二発の銃弾が放たれ、それは見事に男の心臓と額の位置へと命中するが、どういうわけか、弾丸は軽い金属音と共にはじかれてしまう。


「クソが!」


 もう一発撃ちこむ。頬に命中した。それも乾いた音と共に弾かれる。


「ハッヒヒヒ!」


 なぜ自分は笑っているのか、それすらわからないが、リーダーの男はもう一度引き金を引いたが、弾丸はなかった。弾数を数えることのなかったハイエナは今更次弾を装填しても遅いということだけは理解していた。

 グレイはカチカチと弾丸の発射されることのない拳銃をいつまでも握っているリーダー格の男に歩み寄る。

 一歩一歩確実に、コツコツと足音を響かせ、そして……


 ***


 アンナは目の前で繰り広げられた光景が信じられなかった。

 砂で汚れたジープはフロントが崩れ、中にいたハイエナの一人はもう見る影もない。車体の上に装備された機関銃とそれを握っていたであろう人間も両腕を潰され、つぶれたトマトのように地面に打ち捨てられていた。機関銃も飴細工のように銃身が強引に捻じ曲げられている。

 リーダー格と思しき派手な服装の男はその身を宙に浮かせて、パクパクと口を開きながら自身の首を掴む黒い腕を叩いていた。


「ゴォ……ガハッ!」


 だが次の瞬間には首を潰され、ごろんと頭を垂れさせたリーダー格の男の死体はゴミを捨てるように地面に落とされた。

 そして、半壊したジープの背に彼は立っていた。

 オールバックの黒髪、漆黒のサングラス、返り血すらわからない黒衣の衣装に身を包んだ男。

 グレイは、無表情のままハイエナたちの死骸を見下ろしていた。歓声が沸きがる中でも、男の表情に変化はない。

 住民は歓声を上げるが、彼に近寄ろうとはしなかった。次第に歓声が小さくなると、住民は店に戻ろうとする彼の為に道を開け、おずおずと引き下がっていく。

 店を飛び出していたアンナはばったりと彼と対面する形になってしまい息をのんだ。近くで見るとわかるが、黒いジャケットやジーンズの所どころにはハイエナたちの返り血が付いていた。


「あれは好きにしろ」


 グレイはハイエナたちの死体とジープの残骸を顎でしゃくってみせると、そのまま店の裏手のコンクリートの階段を登っていくとそのまま二階の宿泊場へと戻っていった。

 残された形になったアンナはグレイの背を見送るしかなかった。


 そして、騒動から二時間が経った。

 住民は死者を簡易的に作られた墓地に運び、そのまま彼らを埋めた。火葬する選択肢もあったが、火を起こす燃料がなく、中止となった。それに人を焼くにおいは好きではない。

 一人、ソゾウ婆さんだけが「葬式もしてやれんか……」と何かつぶやいては、「ナンマンダ、ナンマンダ」奇妙な歌を口ずさみ、両手を合わせていた。

 曰くソゾウ婆さんが幼い頃に教えてもらった「オキョウ」という歌らしい。これを歌えば死んだ者が安らかになるのだと言う。本当はもっと長く複雑な歌らしいが、そんな内容はソゾウ婆さんも覚えていない。とりあえず「ナンマンダ」と言えばいいのだと。


 そして、ハイエナたちが使っていたジープや機関銃も回収されたが、使えるパーツを捜すのが大変であり、適当に外装を引きはがして屋根の代わりに使うぐらいしかなかった。

 唯一まともに形として残っていたのはハイエナのリーダーが持っていた拳銃ぐらいであるが、弾丸がなく、持ち主からも予備の弾薬などは見つからなかった。もしかすれば、つぶれたジープにあるのかもしれないが、爆弾のせいで内装は粉々になっている。恐らく使えるものは残っていないだろう。

 結局、好きにしろと言われても使えるものがなければ意味がない。いくらか期待していた住民たちは現金なもので、仲間が死んで怒り、悲しむと同時に、戦利品がないという事に落胆していた。


 だが、それとは別に彼らは結果として自分たちを救う形になったグレイという男に関心を寄せた。当のグレイは外からは一歩も出ないし、その部屋に乗り込んでいく勇気も彼らにはなかったが。

 礼を言おうとするものもいれば純粋に興味本位なものもいるので、それはアンナにとっては迷惑だったし、寄るんなら飯の一つでも注文していけと怒鳴りそうになった。

 しかし街全体がどこか沈んでしまっている空気も察知しているために、彼女もそう強く出る事が出来なかった。

 その日、店に男たちはさすがに顔を出さなかった。仲間が死んだその日に酒を飲みに来る程、薄情な連中でもなかったようだ。というよりは外に出る、この店に寄るというのが恐ろしいだけなのかもしれない。


 がらんとした店内をアンナはモップを杖代わりにして、ぼけっと眺めていた。こんな店は初めてみるかもしれない。いつもはうるさいぐらいなのに、まるで死んでしまったかのような光景だ。


「……死んじゃったんだ」


 アンナは店の隅のテーブルに視線を向けた。額を撃ち抜かれて死んだのは自分のお尻を触ってきたスケベな男だった。名前は知らないが、常連だったし顔なじみだ。なんだかんだと自分の世話をしてくれる気前のよい男だった。その席は彼の定位置だった。だが、彼がそこに座ることはもうない。死んでしまったのだから。


「ツケ……残ってるのに……」


 ふと、後ろの方で物音が聞こえた。ソゾウ婆さんが何かビンを片手に適当なテーブルに座り、コップに注ぐ。


「おれ、突っ立ってないできな」


 ソゾウ婆さんはバンバンと隣りの椅子を叩く。

「う、うん」


 アンナもそれに素直に従って、モップを近くのテーブルに立てかけると、ソゾウ婆さんの隣に座った。コップに注がれた液体はほんの少し色がついていた。


「なにこれ? お酒?」

「バカいうんじゃないよ。ガキに酒なんざ飲ませられるか」


 ソゾウ婆さんは意外とそこらへんはきっちりとしている。アンナはよく分からないがソゾウ婆さん曰く酒は二十歳を超えてからじゃないと飲んではいけないらしい。

 街の男連中の大半は十四、五で酒を覚えるような者ばかりだが、ソゾウ婆さんから言わせれば「マケグミ」というものらしい。言葉の意味は分からないが、とにかくそれが悪い意味の言葉であることはアンナも理解は出来ていた。


「ま、何でもいいけど。お腹壊さないよね?」

「知らないね。嫌なら捨てな」

「いいよ、飲むよ」


 アンナは奪われそうになったコップを先に取ると、一口それを飲んでみた。

 味が薄い。しかし、ほのかに甘味を感じる水だった。まずくはないし、確かに酒ではないようだった。気が付けば二口目を飲んでいたアンナは目を見開いて、ソゾウ婆さんの方に向いた。


「なにこれ」

「シロップだよ。それを水で薄めたんだ。まぁお子様なあんたにゃこれで十分だろ」

「なによそれぇ」


 悔しいが言うとおりだった。薄い味だが、アンナはこの甘味が嫌いではなかった。

 ちびちびとシロップ水を飲みながら、時間が過ぎていく。


「てか、なんで急にこんなもの? というかシロップなんて家にあったの?」

「何年か前に商人から買っていたのを思い出してね。まぁ、すっかり忘れてたんで中身は心配だったが、その様子だと大丈夫みたいだね」

「ちょ、ちょっと! 私で毒見しないでよ!」


 気が付けば飲み干していたシロップ水のコップを置きながらアンナは口元を抑えた。別に吐き気も無ければ腹痛が起こる気配もなかった。


「はん! 若いんだから簡単に死にゃしないよ。それに出すもん出せば治るってんだ」

「うるさい! 女の子の体は……あー……デリケートなのよ!」


 デリケートの意味は知らない。男たちの嫁がそんなことを言っていたのを思い出しとっさに使っただけだ。


「お前がそんな玉かねぇ?」


 鼻で笑うソゾウ婆さんは安全が確認されたシロップ水を自分のコップに注いでそれを半分ほど飲み干す。


「老骨にしみるね」


 ふぅと長い溜息をつきながらソゾウ婆さんはもう半分を飲み干す。


「あんた、外に出たいんだって?」


 唐突に出てきた言葉にアンナは心臓が飛び出そうになった。さっき飲み干したシロップ水が逆流しそうになるのを堪えて、アンナは恐るおそるソゾウ婆さんの方を向く。

 ソゾウ婆さんはいつものように怒るとか怒鳴るとかはせず、無表情であった。

 いつその秘密を知ったのかは知らないが、アンナはその秘密がばれて怒られる心配よりも、今まで育ててくれたソゾウ婆さんを裏切るような気がして、次第に顔をうつむかせた。


「あんたも今朝のを見りゃ分かるだろうが、街の外ってのはあんな連中が大量にいる」


 だが、ソゾウ婆さんは言葉とは裏腹に声音は優しかった。


「言っとくが、あんなのはチンピラだ。何人か死んでるが、あれで済んだのだって幸運なんだ。街の連中はグレイが連中を片づけてちょいといい気になってるが、あたしから言わせればアホだよ」


 ソゾウ婆さんはもう一杯シロップ水をお互いのコップに注ぐ。


「あのグレイって男、あいつは多分だけど、ここに来る前にハイエナを狩ってるね。あの木箱は連中のだよ。それにハイエナたちが言ってた仲間がどうたらも多分、そのことだ」

「けど、ここに来る前と、こことであの連中は……」


 アンナの言葉にソゾウ婆さんは首を横に振った。


「連中がかけだしのハイエナならそれでもいい。だが、連中はジープあったし、機関銃も爆弾も持っていた。ただのチンピラにしちゃ、過ぎる玩具ってなもんだ。そうなると、連中の後ろにはいるよ、でかいのがね」

「……」


 その言葉にアンナは絶句した。あの三人組だけでもこの街は恐怖に陥ったし死人もでた。それなのにあの三人は下っ端だという。

 じゃあその親分みたいなのが出てきたら……こんな街などあっと言う間に潰される。アンナはそれを想像して顔を真っ青にした。


「ちと面倒になるねぇ」

「面倒って……その、本体だか親分だかがくるってこと?」

「来る」


 即答である。


「上客かと思ったがとんでもない爆弾をしょい込んだようだよ、あたしら」


 ソゾウ婆さんは天井を睨みつける。何をしているのか分からないが部屋に引きこもっているであろうグレイを睨みつけているようだ。


「あたしらが知らぬ存ぜぬで通した所で結果は今朝の通りだ。それに、ハイエナにしてみりゃ復讐だとか仇討よりもこの街で略奪する方を選ぶだろうしね」


 ハイエナたちはメンツを気にする傍ら目先の利益を優先する。どうなるかはそもそも気まぐれな連中なためどうなるかなどは分からないが、どっちにしろこの街にとってみれば良い物ではない。

 ハイエナによって蹂躙され赤子に至るまでがなぶり殺しになった街もあるとソゾウ婆さんは付け加えた。


「話しがそれちまったね。あたしゃ別にあんたが外に出たいってんなら、好きにすりゃいいと思ってる」

「え?」


 今日のソゾウ婆さんは嫌に優しい気がする。それがなんだか気持ち悪くて、寒気がするのだが、悪い気分ではなかった。こんなに優しいのは幼い頃に病気をして寝込んだ時ぐらいだ。


「まぁ外に出ても移動する手段がないんじゃ意味がないがね」


 いじわるな視線を向けながらソゾウ婆さんはシロップ水を舐めた。

 砂漠を渡るには車両が必要だ。歩きでは絶対に横断できない。そしてそんな移動手段はそう簡単に手に入るようなものではない。この街ですら車なぞ見かけたことはないのだから。


「あんたのことだ、商人に張り付いていこうってんだろうが、好きにしな。それまでにハイエナ連中が報復にこないことを祈るしかないがね」


 そう吐き捨てるように言いながらシロップ水を飲み干したソゾウ婆さんはそのまま店の奥の自分の部屋に戻って行く。


「それとだね。死んじまった連中のことを気にしすぎるんじゃないよ」


 ぽつりと呟くようにそれだけを言って扉が閉められる。

 アンナはそれを見送って、また一人店内に残されてしまった。


「……おばあちゃん」


 好きにしろというのはそのままの意味だろう。口ぐちに嫌味のような言葉を挟むのはあの人の癖だが、今回は背中を押されたようにも感じたし、引き止められたようにも感じた。

 結局、アンナはソゾウ婆さんが何を考えているのかを悟ることは出来なかったものの、忠告するように何度も説明したハイエナの事だけは胸にとどめておくようにした。


「報復ね……まさか」


 不意にアンナは額を打ち抜かれた男の死体を思い出してしまった。ハイエナたちの方がよっぽど悲惨な死に方をしていたのにもかかわらず、彼女が恐怖したのは街の住民の死であった。

 もしかすればあぁなっているのは自分かもしれない。そう思うと震えが止まらなかった。そしてそれは、ここに残ったとしても同じだと突きつけられた事で、最悪の事態ばかりが彼女の脳裏をよぎる。

 アンナはそんな嫌な感情を振り払うように頭を振ると、一気にシロップ水を飲み干す。

 そして自分の部屋へと駈け込んで布団に潜り込んだ。眠ってしまえば、こんな嫌な感情も消えるはずだと思って。


 ***


 深夜、住民の一人が偶然にも目を覚ます。用を足そうと、ふらりと立ち上がり、便所に籠る。そこには一か所だけ小窓があり、そこからは天井の蓋に続く壁が映るだけの面白みのない風景があるだけだった。

 男は、用を足し、あくびをすると、何気なく窓の外を見る。


「……?」


 寝ぼけ眼をこすりながら男は再びあくびをした。

 変なものを見てしまったなと覚醒しきってない頭でぼんやりと窓から見える光景を眺めていた。

 どうやらまだ自分は寝ぼけているようだ。だが、それも仕方ないことだろう。あんな大立ち回りがあったのだ、その印象が深くしみついてしまったのも分かる。

 そうでなければ、こんな変な光景を見る訳がない。

 そう、ハイエナ相手を蹴散らした男が『垂直に立つ壁を歩いている』などという光景を、夢や見間違いでなければなんだと言うのだ。

 男はまたあくびをして、頭を掻きながら布団に戻って行く。その後、彼がその事を思い出す事は無い。すべては夢だと思い込んでいたから。


 しかし、男の見た光景は夢などではなかった。

 グレイは部屋から抜け出し、蓋の上を目指していた。

 確かに、アンナとかいう少女の言うとおり、蓋の上に繋がる通路や梯子は見つけることが出来なかった。もう少し詳しく調べれば出てくるだろうが、そんな時間もなかったので、グレイは『直接歩いて』行くことにしたのだ。

 部屋を抜け出し、しんと静まりかえった街を進み、壁までたどり着くと、グレイはそのまま、普通に人が歩くように、垂直に立つ壁に足をかけて、そのまま歩き出す。


 まるで磁石でもついているように、いやそもそもそこが壁ではなく普段の道のようにグレイは壁を歩いていく。

 グレイはポケットに手を入れまるで散歩を楽しむかの様に壁を悠然と進んでいく。壁から天井までは約五〇メートルといったところだった。グレイはその距離を難なく進み、次にさかさまになりながらもなんら変わりなく歩いていた。

 しばらくすると、穴に辿り着き、グレイはそこから蓋の上へと乗り出す。

 昼間の熱気は消え失せ、蓋の上の気温は低かった。街は、この蓋によってその寒さからもある程度は守られているようだった。

 だが、暑かろうが寒かろうが、それはグレイには関係のないことだ。

 グレイは空を見上げる。星空が広がる空だ。月も輝いており、晴天であった。


「……くるか」


 ぽつりと呟くとグレイはじっと空の一点を眺めた。

 空には相変わらず星が浮かんでいるだけだ。しかし、グレイは、別に天体観測をしているわけではない。

 彼が見上げる先、高度二〇〇〇キロの地点にその物体は通過しようとしていた。それは肉眼では到底捉える事の出来ないもの。


 それは、かつては人工衛星と呼ばれるものだった。過去の文明において宇宙に打ち上げられたその機械は、文明が衰退した後も地球の軌道上を延々と回り、今なお役目を果たしていた。


 グレイはその人工衛星にアクセスを試みていたのだ。通常、地上から衛星にアクセスするにはそれ相応の技術が必要となる。それに、かつては多くの衛星が地球の周りをまわっていたが、今ではその数も少なくなっている。それは、戦争が理由なものもあれば、経年劣化にて自然的に機能を失っていったものもある。

 文明が衰退した今、その衛星の技術を活用することなど不可能に近い。


 だが、グレイにはそれが出来る。彼はサングラスを外し、その力強くも無感情な瞳を大きく見開いた。

 その瞬間、彼の両目にいくつもの光の筋が走る。

 時間は一秒と掛からなかった。

 だが、グレイはそれだけで良かった。再びサングラスをかけると、グレイは踵を返しもと来た道を戻る。


「近くにいるか」


 そう呟くとグレイはポケットに手を入れて口笛を吹いた。

 その口笛は風に乗り、そして霧散していく。その口笛にはどこか歓喜のようなものが含まれていた。

 しかし、その歓喜が多くの人々に当てはまるものかどうかは分からない。


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