第5話 黒衣の暴力
昼時になればまたあのうるさい男たちが押し寄せてくる。
この時間帯が一番忙しいのは当然なのだが、さらに面倒なのはこの男たち、どこで噂を聞きつけてきたのか、あの黒い男が宿泊しているということを知っていて異様にそのことを聞いてくる。
ひげ面の男が酒瓶片手に空になった皿を運ぶアンナに聞いてくる。
「おい、こんなしみったれた店に泊まるバカがいるみてぇだかどんな奴よ?」
実の所この話はこれで三回目だ。話題性に乏しい男たちは日に何度も同じ話題を繰り返す。話のタネになればそれでいいらしいが、同じ返答を返す側からすればいい迷惑でしかなかった。
「少なくともあんたらよりはハンサムよ」
「あん? ガキか?」
「若いと思うけど、こどもじゃない……と思う」
「んだよはっきりしねぇな! んで、そいつは何やってんだよ」
「知らないよ、部屋で寝てんじゃないの」
あれ以降、アンナもソゾウ婆さんもグレイの部屋に入っていない。物音もしないので、寝ているのだろうと勝手に思っているのだが、実際の所は良くわからない。あまり、関わりたくないし。
だが、男たちはそれがつまらないらしく、珍しい客人がこの場にいない事にちょっと腹を立てていた。
「おいおいおい、この街に来たってのに、俺たちに挨拶はなしかよ!」
「なんであんたらに挨拶してやる必要があるんだよ」
「そりゃお前……なんでだ?」
男は酒でも回っているのか、言いかけた途中で言葉を詰まらせて、他の飲み仲間に尋ねている。
「知るかよんなもん! 顔ぐらいは見せろやとは思うがな!」
話を振られたのはでぶっとした腹をかきながら酒を飲みほした。
「おら、上で寝てんだからあんたらも静かにしてよ」
アンナはその男から空の酒瓶を受け取り、代わりの酒を用意してやった。
「通夜みてぇに酒なんざ飲めるかよ!」
「ツヤってなんだよ!」
男たちが知らない言葉を使うので、アンナはカッとなって言い返す。時々大人は自分の知らない言葉を使って煙に巻こうとするのが嫌いだ。
まぁ男たちも言葉の意味はよく分かっていないだろうが、アンナとしてはそんなバカな男たちが自分の知らない言葉をなんとなく意味の通じる風に使うのが許せないのだ。そういう安いプライドがアンナにはあるのだ。
「へっ、んでよ、そいつ金はあんのかよ?」
男たちもアンナが言葉を理解していないということがわかると口喧嘩する気が失せたのか、突っかかってくる彼女を無視して、仲間同士での雑談を始める。
「外から来たってんだろ? 商人か?」
「いや、商人ならもっとでかい荷物もってるはずだぜ。かみさんが言うにな、木箱以外は手ぶらだったとかよ」
「外にでも置いてあるんじゃねーの? バカなことする奴だぜ」
そんな風に唾を飛ばす男は酒で濡れた口元ぬぐいながら、手づかみで肉をかじった。
「どっちにしろいかれた野郎なんだよ」
「ちげぇねぇ!」
下品な笑い声が響く。もはや彼らにとって件の男の話題はつまみにもならなくなっていた。
良い感じに酒が回ってきた、そんな時だった。
「おぉぉい! 婆さん! 豚卸しにきたんだけど?」
その空気の中、店の扉を勢いよく開けて入ってきたのは一人の少年であった。年の瀬はアンナと同じぐらいであろう。頬や額に擦り傷を作った少年は活発さがうかがえる。
少年の後ろには荷車があり、そこには適当に切り分けられた豚の肉が雑に置かれていた。
「遅いんだよオロの小僧! 早く持ってきな!」
ソゾウ婆さんは、少年オロを怒鳴りつける。
オロは少年らしい笑みを浮かべながら、ソゾウ婆さんに「はい!」と元気の良い返事を返して荷車から豚の肉を運んでいく。肉からはぼたぼたと血が滴り、血抜きをしていないのがわかるが、彼の卸す豚はいつもこうだ。血抜きの仕方を知らないのである。
「あんた所の爺はいつになったら血の抜き方を覚えるんだい!」
ニコニコしながら持ってくるオロから豚の肉を奪い取るようにしたソゾウ婆さんは取り敢えずその肉を厨房のスペースに置く。
肉は保護もなにもあったものじゃなく、直に空気にさらされて、血も抜いていない為か、悪臭を放っていた。しかし、これが彼らのいつもの食糧なのだ。
「いいじゃんか。そぎ落とせば食えるんだろ?」
彼らに取って見れば衛生概念などその程度のものだ。危ない所は切って焼けば食える。少なくとも彼らはこの数十年そうして暮らしてきたのだ。腹を壊せば運が悪い、それで死ねばそれが人生、どこか諦めともとれるような生活だったが、それが彼らの生き方だった。
「あたしゃ御免だね。鈍いぼんくら共ぐらいしか食わねぇよ」
ソゾウ婆さんはコンロから鍋をどかして、ゆがんだフライパンを取りだすと油も引かずにそれを熱する。その間に豚の肉を切り分けていき、危ないなと思ったところは乱暴にそぎ落としていった。そうして余った肉は家畜たちの餌になっていく。
「へへ」
オロは豚の血が付いた手を服で拭きながら、カウンターに座る。オロの服は何年も洗っていない為に変色していて、手入れもされていない為にくちゃくちゃだった。しかも家畜の血が付いた手をそれで拭くので臭いも酷い。
「アンナ、なんかくれよ」
豚を卸しに来たら彼はここで昼食を食べていくのが日課になっていた。
「メニューあんでしょ」
アンナはオロにつれない態度を取る。
「字読めないよ。知ってんだろ?」
オロは、くるりと椅子の上で体をアンナの方に向けるとその人懐っこい笑顔を向けた。
「所でアンナはなんか作れるようになったの?」
「まだよ」
「えー! 何年ここで働いてんだよぉ!」
「うるさいわねぇ。こっちだって色々と事情があるの!」
アンナは腰に手を当てて、オロに詰め寄った。
この光景は二人が幼い頃から続いている。そのせいか、男たちも投げかける言葉は同じなのだ。
「アンナよぅ、テメェをもらってくれそうな、いかれたガキはオロぐらいだぜ? 将来の旦那の為に飯ぐらい作ってやれや」
「そうだそうだ!」
「あーやだやだ、最近のガキは色気づくの早いってもんだ」
多感な時期であるアンナにしてみれば、そういう冷やかしを言われるのはたまったものではない。確かにオロの純粋すぎる好意はアンナも気が付いてはいるが、まだそういう時期じゃない。恥ずかしいし。
しかし、それはそれとして、この男たちにそれを指摘されるが腹が立つ。ツケに金額を上乗せしてやることを誓って、アンナは怒鳴った。
「うるさぁぁぁい! おら、いつもの炒めもんでいいんでしょ!」
アンナは顔を赤くしながら、厨房に入って既に出来上がっている肉と野菜炒めを皿に盛って、オロの前に差し出す。作り置きされたものなので、少し冷えているが、オロはそれでも嬉しそうな顔をしてそれをほおばった。
「なんか味うっすいなぁ」
「文句あんなら食わなくていいよ」
厨房の奥で危ない豚肉を焼くソゾウ婆さんが言った。
「とんでもない」
オロは、にひひと笑って料理をかき込んでいった。
「ニヤニヤ笑うんじゃない」
アンナはスープをよそった容器をオロの前に置いてやる。
オロはそれを手に取り、一気に飲み干すと、明るく屈託のない笑みをアンナに向けた。
「ごちそうさん。所で、ここに泊まってるお客さんってどんなの?」
またこの話題か。
アンナは、わかりきってはいたのだが、こう何度も同じ話題をされるのがうんざりだった。
「上にいる。外からきたらしい。男」
面倒臭いので手短に答えてやる。
「へぇ! 商人じゃないんだ」
この返答も男たちと同じだった。
「あぁもう! 知ってることを聞くんじゃない!」
「はっはっはっ!」
オロは無邪気に笑った。
「ほらほら、食ったんなら帰ってよ。あんたらも! いつまでも酒なんて飲んでないで階段直してよね!」
アンナはぷくーっと頬を膨らませて怒った! という顔をしながらオロの皿を片付ける。
男たちも面倒臭そうな返事を返しながら、のろのろと帰り支度を始める。結局金は払ってくれないようだ。その内、数人がぶつぶつと文句を言いながら店の端に乱雑に積まれた階段の残骸まで向かうと、その見事な壊れっぷりに声を上げる。
「んだぁ? おいババア! てめぇなんか重たいもんでも乗っけたんじゃねーのか!」
男たちの中にはたまに大工の知識を持つものがいる。その者からすれば、この壊れた階段の破片は腐って崩れたというよりは何か重たいものを無理やりおいた為にその自重でつぶれたのだと判断した。
しかし、そんな正しい情報もソゾウ婆さんにはどうでもいいことで、いいから早く直せと言わんばかりに「だったらなんだってんだい」と唾を飛ばした。
「チェー! てめぇの不始末じゃねぇかよ」
男たちは舌打ちをしながらも取り敢えずは残骸を片付けるのが先だなと判断して酒が回ってよろめく体でそれらを運ぶ。
これで多少はツケを安くしてくれるんならという条件での仕事だ。やらない理由はない。ただ酒はうまいのだ。
とはいえ、そのツケもアンナの些細な復讐で結局は変わっていないということはまだ彼らは知らない。
男たちが使えそうな残骸を選別している中、オロはまだ店内にいた。ニコニコとアンナに視線を向けて忙しく皿を片付ける彼女を楽しそう、嬉しそうに眺めていた。
「手伝わないなら帰ってよ」
「ん? いいけど、この前は『私の仕事を取るな』って言ってたじゃないか」
「うっさい。することないならおじいさんの仕事手伝ってこい」
「残念、もう卸す豚も野菜もないんだ。だから暇なんだ」
「じゃ手伝え!」
アンナは自分が運んでいた大量の皿をオロの前に置く。乱暴におくので揺れて崩れそうになる皿の塔をオロは慌てて支えると「乱暴だなぁ」と呆れたような声を出すがそれ以上はなにも言わずに皿を持って厨房に入り、洗い場に下す。
じゃばじゃばと何日入れ替えていないのかわからないたまった水で薄汚れた雑巾を濡らすと、簡単に皿を洗っていく。
この後、砂などでもう一度汚れを落とす必要があるのだが、それはアンナの仕事だ。ちょっと前までは商人から買った洗剤というものがあったが、そんなものはすぐに使いきってしまった。
それにあれは水をたくさん使う。浄水器が不調の中ではあんまり使いたくない代物だった。それでも今度くるであろう商人からはまた買わないといけないのだが。
「所で、浄水器って直る目途はあるの?」
洗剤のことを思い出している最中に、アンナはそういえばとついでに思い出す。
アンナは詳しくは知らないが、この街は何百年か前は「シェルター」と呼ばれていたらしい。曰く戦争から人間を守る為に作られた居住区であり、必要最低限の生活が送れる様な設備がいくつも用意されていたのだという。しかしながらそれらの設備の大半はこの何百年の間に破損し、破壊されてしまっていた。
浄水器もそのうちの一つであり、街の中央にそびえ立つ巨大な装置が今も稼働を続けていた。この街の地下に張り巡らせたパイプの全てがその浄水器に直結しており、有害物質をろ過し、再び清らかな水を送りだすのだという。
砂漠に点在する街において浄水器の損失はそのまま街の死を意味する。これまでもそのような話を何度も聞いてきた。
幸いなのはこの街の浄水器は性能が良いらしく、依然として稼働しているが、それでも最近はろ過される量が減ってきていた。浄水そのものは出来ているのだが、街の各方面に供給するには不足する量しか流せていなかった。
「さぁ……今の所は問題なく使えてるからまだ持つとは思うけど、本格的な修理ってなると商人に技術者を紹介してもらわないとなぁ……」
「けどお金たくさん取られるんでしょ?」
「そりゃそうでしょ。相手は知識人だよ? それにパーツとかも必要になるし。結構切羽詰まってるかも」
頑固な油汚れをこすりながらオロは答える。商人とは金や物品のやり取りだけではなく情報であるとか人材の紹介も合わせて行うことがある。
ただし紹介というだけで実際に来てくれるかどうかは怪しい所だった。商人たちも情報としては降ろしてくれるし、都市部で伝えてはくれるが後のことは相手任せだ。それ以上の面倒は見てくれない。
それに、こんな砂漠のど真ん中まで危険を賭してやってくる技術者はいないだろう。
「そう……」
そもそもアンナたちが使っている浄水器の何が不調なのかは、この街に住む住民は知らない。
かつてはこの街にも数名ほど技術者がいたらしいが全員が何十年、何百年も前に死んだ。その子孫が技術や知識を継承していればこうもならなかっただろうがそんな暇などなく、結果がこれなのだ。
「ま、なるようにしかならないんじゃない?」
オロは気楽な調子で答えた。
「けど真剣に街を出る覚悟はした方がいいかもね?」
だが、すぐに真剣な顔をしてそんなことを言った。
オロは、街の外に出る事に賛同している数少ない住民だ。その点ではアンナとは気が合う。
「アンナも出る予定なんだろ?」
さらにはアンナの抱える秘密すら知っている。他人にはひた隠しにしているつもりだったがオロはいつ気が付いたのか、度々そのことを聞いてくることが多くなった。
ソゾウ婆さんは店の奥で他の食材を探しに行ったのか厨房には姿が見えない。男たちもうるさく作業をしているので、二人の会話などは聞こえていなかった。
「もしさ、街を出るんなら一緒に……」
アンナはオロの言葉の最後の方だけは聞こえなかった。
それは、血相を変えた男たちの仲間の一人が店内に入ってきたからだ。
「やべぇぞおめぇら!」
その尋常ではない表情と声にその場にいた面々は彼の方へと視線を向けた。店の奥にいたソゾウ婆さんも何事かと顔を出す。
「おぅどうしたテッツァ?」
テッツァと呼ばれた男は二回ほどせき込み、呼吸を整える。
手を膝において肩を大きく揺らしながら、額の汗をぬぐうと、つまりそうな声で、
「ハイエナが来た!」
そう叫んだと同時に店で鼓膜を震わせる爆発音と乾いた音が断続的に聞こえてくる。それは銃声だった。
同時に住民たちの悲鳴も聞こえる。
「は、ハイエナだと! なんでこんな所に!」
階段の修繕をしていた男の一人が大きめの残骸を担いだまま外に出たのは、それが武器になると思ったからだ。その男に釣られるように、他の仲間たちも各々尖った破片や太い残骸を持って外に出る。
アンナとオロも何事かと思い、外の様子を確認しようとするが、最後尾にいた男の巨躯がそれを遮った。
「お前らは顔を見せるな。連れてかれるぞ!」
そういって乱暴にアンナを押しのける。
「ったいなぁ!」
怒鳴り返すアンナだが、既に男の姿はなかった。
尻もちをつく形になったアンナだが、すぐさま立ち上がってもう一度外に出ようとするが、その首根っこをソゾウ婆さんに掴まれてしまう。
「ぎゃっ!」
「バカやってんじゃないよ。お前らはハイエナの恐ろしさをわかっちゃいないんだ!」
ハイエナとは、ハンターの事だ。この時代、街を作り、運が良ければ都市で生活する者たちがいるなか、そういった環境になじめず、もしくは食うに困った連中が集団を作っては略奪を働くことも珍しくはない。
自分たちで何も生産することもできなければ他者と馴染めずに暴力に身を落とす者の末路がハイエナだ。
むろん、彼らは歓迎される存在ではないし、はじかれる人種だが、厄介なのはこの手の集団は武器や砂漠の移動手段をどこからともなく調達してきては各地で暴れまわるということだ。
この街は、砂漠の真ん中に位置する為に、今までハイエナの被害に会うことは少なかった。過去に、二度三度程あったようだが、それはソゾウ婆さんがまだ幼い頃の話だ。
だからこそ、知識としては知っていても実物は知らないし、それは木材を担いでいった男たちも同様だ。そうでなければ爆発音や銃声が聞こえる中に木材で立ち向かおうなどとは考えないだろう。
「あんたらみたいな若い連中は売れば金になるんだ。見つかったら人生は終わったと思いな」
そういいながらソゾウ婆さんは二人を引っ張って店の奥まで連れていこうとする。
ハイエナは略奪をするだけではなく人さらい、人身売買にも手を染めている。大抵これらを買うのは都市部のアングラに当たる連中なのだが、これが意外と買い手が多い。一部の街でも買う所もいるらしく労働力としては最適なのだ。それが女であれば、あまり考えたくはないことになるのはアンナも理解はしている。
人と馴染めない群れることのできない連中なのにそういう窓口だけはしっかりとかぎつけて商売をするのだから、迷惑なものだった。
都市部ともなれば彼らを取り締まる集団もいるらしいが、こんな街まではやってくるわけがない。それに面白くない癒着もあるんだとソゾウ婆さんは口にしていた。
「取り敢えず、出すもんだせば帰るはずだよ。音から察するにはぐれた連中だろうしね」
ソゾウ婆さんはきつい口調だったが、二人を隠すように奥の物置同然の部屋に押し込む。
「隠れてりゃすぐに終わる」
そういって戸を閉めようとする。
だが、その次の瞬間、外から金属がぶつかり合う音と、それに一瞬の間をおいて住民の『歓声』が沸き起こる。
「なんだい!」
ソゾウ婆さんの経験の中でもハイエナが着て歓声が沸くなどというものはない。その一瞬の隙をつくようにアンナは抜け出して店の外に飛び出た。
「アンナ!」
ソゾウ婆さんは腕を伸ばしながら叫ぶ。
だが、アンナはそれよりも先に店の扉をあけ放って外の様子を確認することができた。
「……!」
そして、その先で見た光景は、アンナは一生忘れないだろう。
そこには、黒い暴力に飲まれたハイエナの成れの果てが転がっていたからだった。
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