第4話 騒ぎの中で
これはまずい、殺されるかもしれない。
アンナは眼下で、仰向けで倒れる男を見てなぜだかそんなことを考えていた。なんだか危険な感じの男だったし、しかもこんな目に合ってしまったら報復ぐらい絶対にしてくる。そうに違いない。
一方のグレイは暫く動かず、階段の残骸に埋もれたままだったが、それをはねのけるようにして立ち上がると服や髪についた埃を払い、ちらっとアンナの方を見上げた。
「ひっ……」
小さな悲鳴をあげてしまったアンナは思わず後ろに下がる。
だが、グレイはすぐに視線をソゾウ婆さんのいる厨房に向けた。
(ま、まさかおばあちゃんから!)
何とかしてこの危険をソゾウ婆さんに、それか街の男に伝えなければいけない。
だが、階段は崩れてしまっているし、飛び降りようにもささくれのできた階段の残骸があってそれは嫌だった。それに大声を出そうものなら何らかの手段で真っ先に自分が始末されるかもしれない。
だが、アンナの心配などよそに、同じくその現場に居合わせたソゾウ婆さんが「なんだい、なんだい!」と喚きながらやってくる。
「おーおー! こりゃ見事にぶっ壊れたね。ぼんくら共の酒が飛んで腐ってたな」
ソゾウ婆さんは残骸のかけらを手に取りのんきなもんだった。そして、グレイの方を見て、怪我がないと見るや否やにかっと笑ってみせて、彼の肩をバンバンと叩く。
アンナは顔が真っ青になった。なんでそんな風に言われるのかがわからなかったし、なんでそんな親しげに触れあえるのだと。
「いやぁあんた凄いね。怪我一つないじゃないか。それに見た目以上に鍛えてるね? がちがちじゃないか!」
ついにはグレイの体の評価までし始めた。
(まずい……非常にまずい)
グレイが気を悪くしたらソゾウ婆さんの枯れ木のような体は一瞬で折りたたまれるだろう。だが、アンナは声が出なかったし、その場から動けなかった。
そんなアンナに気が付いたのか、ソゾウ婆さんは上を見上げると、いつもの気難しそうな顔をこちらに向けてくる。
「あんたも怪我はないね? ぼさっとしてないで裏口から降りて来い」
ソゾウ婆さんはそれだけいうとまた厨房に戻っていった。
アンナは先ほどまでの危機感はどこに行ったのか、「そうだ裏口!」と慌てながら廊下を走る。なんでそんな作りになっているのかは知らないが、二回には店内の階段とは別に外からつながるコンクリートの階段が設置されている。
速く戻らないとソゾウ婆さんが殺されるかもしれない。アンナはそう思い込んで全力で入った。急いでそこから降りて、店内に戻ると、先ほどと変わった様子はなく、ソゾウ婆さんが厨房でグレイの運んできた食料に品定めをしていた。
「こっちは腐ってるね。こいつは……火を通せば食えるか。保存食ぐらいしかまともに食えるもんがないのは気になるが……まぁぼんくら共に腹ならいいだろう。あんた、いつまでいる気だい?」
「三日、早くて二日だ」
「じゃ十分だな。飯は食うかい?」
「不要だ」
「そうかい」
グレイの方も先ほどの事は気にした様子もなく、淡々とソゾウ婆さんの言葉に返していた。
「お、おばあちゃん?」
とはいえ、怖いものは怖いので、恐るおそる声をかけてみると、サングラス越しのグレイの視線がアンナの方へと向けられる。まるで銃で撃たれたかのような衝撃、氷でも入れられたような感触がアンナを襲うが、グレイはアンナにもソゾウ婆さんにも危害を加える様子はなかった。
「おぅ、降りてきたかい。部屋の片づけは終わったんだろうね?」
「う、うん……」
「じゃお客様を案内しな。階段は……男どもに直させるか」
それだけを伝えると、ソゾウ婆さんは食料を保存用の壷や容器に詰め込み始める。
グレイは無言でアンナの傍まで寄ってくると、彼女を見下ろした。
今まで気が付かなかったが、グレイの身長は高い。二メートル程はあるだろうか? アンナの頭は、彼の胸ぐらいの高さしかなく、自然と男を見上げないといけなかった。
「ど、どうぞ」
正直な話、まだこの男は怖いのだが、ここまで来て危害を加えないということは多分大丈夫だろうと思いながら、アンナは彼を部屋まで案内する。
コンクリートの階段を登る際に、ガチッガチッと金属がぶつかるような音が聞こえる。アンナはちらっと後ろを振り返る。その音はグレイの足下から聞こえた。黒いブーツなのだが、裏に金属の鉄板でも挟んでいるのだろうか。時折そういう改造した靴を商人が売っているのを覚えている。
この男はそれを履いているのだろうとアンナは思うことにした。
「ど、どうぞ……」
部屋に案内すると、グレイは無言のまま入室して、窓を開けた。そこからわずかに身を乗り出し、外を見渡していた。アンナもなぜかは知らないが男と一緒に部屋に入り、あれこれと意味のない説明してしまった。
「あーえと、用があったらいつでも声、かけてください。それでお食事なんですけど、お昼と夜は……」
「いい」
「はい?」
「食事はいい」
「そ、そうですか……」
なんでだよと突込みたくなったのだが、別個で食料でも持っているのだろうかと思うようにしてアンナはそれ以上追及はしなかった。
もしかしたらソゾウ婆さんの鍋を危険と思ったのだろうか。そうだとすれば、それはある意味正解かもしれないが。
アンナは次の言葉に困ってしまい、しどろもどろになっていた。
「えー……グレイさんって外から来たんですよね?」
「あぁ」
アンナは自分が飛んだ抜けた質問をしてしまった事に言った後に気が付いた。だが、グレイは素直に答えてくれる。
「ど、どうして旅なんてしてるんです?」
気を取り直したアンナは率直な意見を投げかけた。その見た目はどうあれ、一人で旅を続けているという理由は個人的には気になることだった。いずれ、自分も街を出る時の参考にでもしてやろうという魂胆だ。
「…………」
グレイはサングラスをかけたまま、わずかに視線をアンナに向け、「人探しだ」とだけ短く答えた。
「はぁ、人探し……ご家族か何かですか?」
「…………」
グレイは答えるつもりはないようで、無言だった。
「ど、どれぐらい続けてるんです?」
「数えたことはない?」
「そ……そうですか」
もしかして遊ばれている? これはジョークのつもり? アンナにはこの男の考えていることがさっぱり理解できない。
アンナはもう話すネタがなくなってきてしまい、「あー」とか「えぇと」とか意味不明な単語を口にしては場をつなげようとしていた。
「天井……」
そんな風に困っていると、突然グレイから声がかけられる。
「は、はい!」
びくりと肩を震わせたアンナは変な声で返事をしてしまった。グレイを見ると、彼はじっと窓の外、街の蓋を見上げていた。
「あの、蓋がどうしましたか?」
確かに初めてここを訪れる者にしてみれば街全体を覆う蓋は珍しいかもしれない。
「あの上には登れるのか?」
急にそんな変な事を言われるものだから、アンナはまた言葉を詰まらせた。
「上……?」
天井、街の蓋に登る?
突然何を言いだすんだこの黒い男は。
そう思ってはみたものの、アンナは真剣に方法を思い出す。だが、蓋の上に登るなどという発想を今の今ままでしたことはなかったので、どう思考を巡らせても方法など思いつかなった。
「ごめんなさい……私には……たぶん、誰も登れる場所は知らないんじゃないかなって」
「そうか。ならいい」
グレイは短く答えると、窓を閉めてベッドまで移動すると、汚いクッションを軽くたたく。払いきれてない埃が飛ぶが男は気にしていないようだった。
「夜は留守にする」
それだけいうと、男はベッドに横になる。ギギッと木製のベッドが嫌な音を立ててきしむが、なんとか持ちこたえたようだった。
グレイはそのまま両腕を頭の後ろに回して、右足を折り曲げ、その上に左足を乗せた。
「ご、ごゆっくりぃ……」
もう用はないという風な感じだったので、アンナはささっと部屋から出て、扉を閉めたのだった。
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