第3話 黒の男

 男は横たわるバギーの残骸の前にしゃがみこんでいた。

 周囲には他にも改造されて元の形もわからなくなった車やバイクの残骸が散乱しており、それらの可燃性の部品や燃料が燃えていた。

 そしてその周囲には生臭く、肉の焼けたような臭いも漂っていた。慣れない者からすれば吐き気すら催すような悪臭であったが、男は平然としている。


 男は僅かに垂れ下がったサングラスをかけなおすように指で押し上げて、残骸から離れる。

 使えるものはないかとあたりを見渡すが、転がっているのは破片ばかりだ。

 少々やりすぎたらしい。これでは期待するようなものは転がっていないだろうなと男は思った


「フン……」


 鼻を鳴らす……といえばいいのか、男は小さく音を出すと、自分の足下を見る。男の足首をちぎれた人間の腕が掴んでいた。男は無感情のまま、腕を振り払うように、空を蹴る。

 ポーンと放物線を描いてちぎれた人間の腕が飛んでいく。ぐちゃりと肉が潰れる音が嫌に響く。腕は黒々とした塊にぶつかったようだ。それは焼死体だ。


 男の周囲には無数の人間の死体が転がっていた。生々しい血の海は既に乾燥して赤黒く変色しており、散らばる死体に五体満足のものは一つもなかった。腕や足はもちろんの事、頭も胴体も潰れた死体。燃えさかる車両によって既に殆どの死体が生焼けの状態であった。それがさらに悪臭を放つ。


 いくつか、表情が見てとれる綺麗な頭部があったが、そこには苦悶の表情というよりは唖然というべきか、目を見開き、口を半開きにした男たちの顔があった。自分たちが何をされたのかわからないまま即死したともいうべき表情だ。

 男はそんなものには目もくれず機械の残骸を漁る。


「チッ……」


 だが、爆発で砕けたり、押しつぶされて歪んだ銃やナイフばかりが出てくるので、男にも多少のいらだちというものが生まれる。

 仕方なく弾薬だけでもと思い乱暴に銃を分解、その弾倉から弾だけを抜き取りそれを胸ポケットに押し込む。

 他にも……と思ったのか、再度確認するが男の求めるような物資はあまり見つからなかった。


 その代わりというべきか、殆どは散乱して、飛び散ってはいるが、水と食料らしきものが入った木箱が転がっていた。

 男はそのうちの一つを担ぐとそのまま残骸や死体を踏み潰しながら歩いていく。


 それなりに旅を続けていて得られた知識の中には、この手の代物は交渉に役立つというものがあった。何かを与えれば、与えられたものはそれに応じたものを返さなければならない。

 それは砂漠の掟なのだ。相互扶助と言えば聞こえはいいが、要は物々交換であり、お互いに対等かそれに見合った何かを差し出してお互いを助け合う。それが、この時代の生きる者たちの暗黙のルールなのだ。煩わしいことこの上ないが、余計な面倒を避けられるのも事実なので、男は出来る限りはそれを実行しようとしていた。


 時々、力づくで奪おうとしてくる連中もいるが、そういうものは全て蹴散らしてきた。大切な交換物資であるわけだから、ただでくれてやるわけにもいかないのだ。

 男は歩きだす。目的とする方角へ……ただし、その先に何があるかなど、そんなのは男もわからない。

 ただ広大な砂漠を男は歩き続けるのだ。その内どこかの街に着くだろう。そこで何か移動用の車両でも手に入れば少しは移動時間も短縮できるはずだ。

 それまでにこの中の水と食料が腐らなければいいが……男はそれだけが心配だった。


 ***


 基本的にアンナの朝は早いのだが、やることといえば店の掃除ぐらいであとはソゾウ婆さんの仕込みが終わるまで暇なものだった。

 この仕込みがまたえらく時間のかかるもので、予定している時間に店が開かないことなどしょっちゅうであった。

 朝食をここで食べる者は少ないが、それでもやってくる者たちはいるもので、その連中の文句を聞く仕事があるのだけは嫌だった。


 仕込みぐらい昨日の内にやればいいじゃないかと以前ソゾウ婆さんに意見したことがあるのだが、「ならお前がやっとくれ」と返されたので、それ以降は何も言わないでいる。

 テーブルにどうせすぐにぐちゃぐちゃになって汚れる布をかぶせ、椅子を並べる。食器類も適当に並べておいてあとは料理待ちだ。

 ぽつんと広い店内にぐつぐつと仕込みをする音が聞こえる。

 アンナはぼけーっとしながら椅子に座ると、頬杖をついて何をするわけでもなくそこにいた。


「あんたもちょっとは飯を作る手伝いをしたらどうだい」


 ソゾウ婆さんがぼやいているが、このやり取りもいつもの事だ。


「包丁握らせてくれないじゃん」


 口をとがらせて反論してみるが、どうせ敵いっこないのはわかっている。


「バカいうんじゃない。お前に包丁なんざ握らせたら殺されちまう」


 この通りだ。


「じゃあどうやって料理するのよ!」

「肉に塩をまぶしたりスープぐらい作れんだろ。調味料は棚にあんだから適当に味付けしな!」


 それは果たして料理と呼べるものなのかはわからないが、ソゾウ婆さんの作る料理は大抵こういうものだ。

 正直、日によって味が違うのはどういうことなんだろうと不思議に思う。料理というのはレシピ通りに作って同じ味にしなければいけないのではなかったのか?

 使っている調味料は同じのはずなのに。


「あのね、私はきちんとした料理がしたいの」

「なら他の店にでも世話になるんだね」

「それができないから言ってるんでしょ!」


 実際問題、まともに料理ができる者がこの街にどれだけいるのかはアンナも知らない。

 包丁の使い方を知っているのはソゾウ婆さんだけで、あとはもうぶつ切りであったり、包丁じゃなくてナイフとか斧で乱暴なものだった。それは男も女も同じで、アンナと同年代の少女たちですらそんなものなのだ。ただ食えればいい。それだけだ。


「あー! あぁいえばこういう、若い娘ってのは嫌だねぇ。自分で知ろうとも思わないのかい?」

「だからそれをするためにあんたに頼んでるんでしょうが!」


 キャンキャンと高い声を出して食って掛かって見てもソゾウ婆さんの屁理屈には敵いっこないのだ。それでもなんだか腹が立つので食い下がる。


「そもそもこの前のスープにだっておばあちゃん、ミミズ……」


 そこまで言いかけた瞬間であった。

 店の扉が鈍い音を響かせて開かれる。元々立て付けが悪いので、時々何かに引っ掛かってそんな音を出すのだ。

 それはさっきも同じのはずだった。それなのに、その音は重く、引きずられるような幻聴が聞こえた。

 アンナもソゾウ婆さんも口論をやめて、扉の方へと視線を移す。


「うっ……!」


 アンナが小さな悲鳴を上げる。それは声にならない程のものだったが、アンナは喉がつっかえるような声をだして、店内に入ってくる男を凝視した。

 街の男ではない。

 大体、その恰好が異常であった。オールバックに整えられた黒い髪に、黒いジャケット、黒いジーンズに、黒いブーツ、挙句は黒いサングラスだ。何もかもが黒で統一された男は、しかし異様な程に黒が似合っていた。

 街のぼんくら共とは違う。それが、アンナが抱いた男への印象である。ともすれば街の外、交易商人であるかとも考えたがそれも違う。商人たちは色々と個性的な恰好をしているのではあるが、ここまで『危険』な雰囲気をまとった奴を見たことがない。下手に触れれば吹っ飛ばされそうな威圧感が男からは醸し出されていた。


「なんだい、飯はまだだよ!」


 厨房から顔を覗かせて怒鳴りつけるソゾウ婆さんはいつもの調子だった。流石の彼女も見慣れない顔に眉を顰め、身にまとう雰囲気には気が付いている様子だったが、だから何だと言いたげなしわくちゃで横柄な顔をしていた。


「んな所で突っ立ってないで、座りな! そのくそでかい荷物もどかしなよ!」


 さらにはじっと立っては店内を見渡す男をどんくさい奴とでも思ったのか、その口調は街の男たちに向けるような声音になっていた。


「ちょ、ちょっとおばあちゃん……」


 そくさと厨房前まで駆け寄ったアンナはソゾウ婆さんに耳打ちするが、ソゾウ婆さんは「さっさと接客しな」と一瞥するのだ。

 対する男は、ソゾウ婆さんに言われた為か、再び動き出す。彼は何やら大きな木箱を担いでいた。その大きさは街の男ですら二人がかりで運ばないといけない程の大きさなのだが、その男は軽々と片手で担いでいた。

 どすんと乱暴に木箱を降ろすと、そのヘリを掴み力づくでむしり取る。べきべきと木箱が割れ、その中身を見せると、アンナもソゾウ婆さんも目の色を変える。

 中には、恐らく浄水された水が入った容器と保存食の詰め合わせであった。


「ここは宿泊できるな?」

「へっ?」


 客なんだからしゃべるのは当然だ。

 しかしアンナがそのことを理解するのに一瞬だけ間があった。この人、話せるんだという頓珍漢な考えがあったのだ。

 男はぱっと見た姿はまだ年若い、二十代半ばの青年といったぐらいだが、その声は低く、見た目の歳以上に聞こえる。


「金はない。だが暫くここに留まりたい。これでどうだ」


 ソゾウ婆さんの店はほとんど使われなくなったが、一応宿泊施設としての機能もある。とはいえ、今じゃ部屋の殆どは物置同然であり、埃がたまったようなものだが。

 男の言葉には、流石にソゾウ婆さんもほんの少し驚いたような顔をするが、男と木箱の中身をみて、ニヤッと笑みを浮かべる。


「あぁ、泊まれるよ。それは代金代わりだね? いいだろう」


 ソゾウ婆さんはカウンターに置かれた油が飛び散って変色したメモ用紙を破りながら取ると、炭の欠片のようなものをポケットから取り出す。宿泊台帳にするつもりなのだ。


「泊まるってんなら、名前だ。名無しの権兵衛じゃあるまい?」


 アンナはソゾウ婆さんのいう言葉の意味が分からなかったが、確かに名前は大切だなとやり取りを眺めていた。


「グレイ」


 男は短く答えた。


「グレイ……はん、灰色ね……ブラックじゃないのかい?」


 ソゾウ婆さんはジョークのつもりだったのだが、男は無言だった。

 反応が返ってこないと見るや否や、ソゾウ婆さんはグレイの名をメモ帳に乱暴に書きなぐって、それを飛び散ってべとべとになったソースをのり替わりにして適当な柱に張り付ける。


「アンナぁ!」


 ソゾウ婆さんは鍋をかき混ぜていたお玉でカウンターを叩くとしゃがれた声で怒鳴る。


「上の部屋片付けてきな! 久々の上客だよ!」

「う、あ、はい!」


 アンナは自分でも驚くくらいに素直な返事をしてしまった。

 急いで店内の端に備わった碌に掃除もしていない木製の階段を駆け上がり、手短な部屋に入る。

 扉を開けた瞬間、ぶわっと埃が舞い、アンナは一端外に出ると、息を止め、服の襟を鼻先まで上げるともう一度部屋に入る。相変わらずのぐちゃぐちゃした部屋だったが、ベッドはまだ腐っていないようだった。

 取り敢えずとして、窓を開け部屋の換気を行い、次に押し込まれている不用品を外に出す。なんでこんなものがあるんだと思うようなものばかりが部屋には放置されていた。

 男たちの使い古した作業着やパンツ、錆びた缶詰(しかも中身は腐ってる)、酒の空き瓶や多分昔ソゾウ婆さんが着ていたであろう衣服、とにかく何だかよくわからないものばかりがあった。

 アンナはそれを隣の部屋に放り投げるように片付けながらも、先ほどの男のことが頭から離れなかった。


(あの人……商人じゃないけど、街の外から来たんだよね……)


 その一瞬、グレイとかいう男についていくのもいいかもしれないなどという考えがよぎったが、アンナは首を振ってそれを否定した。


(いや、あれは危ない。絶対ダメだ)


 今に思い返せばグレイは旅人の必需品らしい装備を一切していない。どこかに置いてあるという可能性もあるが、こんな街で外にでも放置したら盗まれてしまいだ。そんなこともわからないような男なら、雰囲気はさておきかなり抜けている。それに不愛想だ。


 次々と言い訳のようなグレイへの評論が浮かび上がるが、実際の所は怖いから嫌だということなのだが、アンナはそれを自覚するのを嫌い、そういうどうでもいい言い訳を思いついては流しているのだ。

 そうこうしているうちに片付け事態は終わっていた。隣の部屋に運んだだけだが、まぁそれはいいだろう。あとは埃を部屋からある程度出して雑巾がけをすればいい。


 最近は街の浄水器の調子が悪いらしく掃除に使う水もなんだか薄く茶色に見えているが、そういうことはちょくちょくあるので気にしていなかった。

 それに何か月か前に雨の時期があったし、今の所貯水は十分だった。それでもあと数週間で使い切る計算らしいが。そうなればまた下水だのなんだの水を浄水して使うしかない。

 何より最大に水を使う理由の一つは男たちの酒を調合する必要があるからだ。アルコールと適当な果物を混ぜて、水で薄める。それがこの街の酒であり、男たちの活力となるのだ。


 商人から買う質の悪い酒もあるにはあるが、それはどちらかといえば高級品となる。質が悪い癖にだ。

 彼女たちの水はそういうリサイクルで賄われている。なんでそんなことができるかなど、彼女を含めて街の住民の大半は知らない。

 かつての文明が残した便利な道具ということだけは間違いなかったが、壊れたら一貫の終わりなのだ。そうなればいずれ、この街も死ぬ。

 この大地で生きるということはそういうことなのだ。

 そんなちょっぴりセンチメンタルな感情にふけっていた時だった。


 バキバキと木の砕ける音と何か重たいものが落ちるような鈍い音が響く。ほんのわずかだか振動がアンナのいる部屋にまで伝わる。

 何事かと思い部屋を飛び出て、階段の方に向かうアンナだったが、すぐさま立ちどまることになる。なぜなら自分が登ったはずの木製の階段は見事に崩壊していて、その眼下には階段の残骸に埋もれるように、グレイが仰向けで倒れていたからだ。

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