第2話 砂漠の少女
砂漠には時折、捨てられた街が存在する。
たとえ大地が枯れ果て、死んだとしてもそこに生きる人々は必至にその命をつないでいた。かつての文明の名残を利用し、太陽の熱線と砂漠の砂を鉄とコンクリートの壁で防ぎ、そこに痩せた植物や家畜を飼い、育ててわずかな食料を得る。
初めの内は餓死者も出たし、水と食料の不足は争いを生んだ。それでも何とか生き抜けてきたのは運が良かったのかもしれない。
ならず者たちの襲撃を受けたことだってある。文明の崩壊と共に秩序は消え、生き延びる為に簒奪、略奪を行うものたちもいるのだ。そんな連中に襲われて大勢の人間が死んで、そのたびに絶望に打ちひしがれながらも、彼らは生き抜いてきた。
世代を重ね、十年、二十年、そして百年……いくつもの世代を乗り越えてきたのかはもうわからない。全ての苦い過去も忘れされられていった。かつての栄光も、栄華も、輝かしかった過去の文明という存在すらも忘れて、人々はただ日々を生きていく。
この街は活気にあふれるという程ではないが、生命の営みというあたたかな空気だけは確かにあった。それができるようになったのも先人たちのたゆまない努力のおかげである。安定したのもここ六十年の間のことだ。
そして生命がそこにあるならば文化というものも自然と出来上がり、それらはかつての文明を模したように露店を作る。これができるというだけでもこの街は豊かになったといえるが、こんな砂漠の真ん中に立つ街による旅人など、一部の例外を除けばまずもっていやしない。
気が付けばそこが住民たちのたまり場となるのだ。その日の糧を卸し、疲れを癒す。労働に従事する者の殆どは男で、この砂漠の大地であっても鍛え上げられた体はたくましい。
土を耕し、貴重な種を撒き、命よりも大切な水を慎重に与える。へまでもしようものなら首をくくるしかない。
時としては街の外に出て獲物を探す日々もある。だが、殆どは二、三時間で戻ってくる。装備がないのだ。灼熱地獄の砂漠は屈強な男たちであっても耐えられるものではない。方角も現在地もわからないような場所で、闇雲にさまよえば待っているのは死だ。
たまにだが、夢見がちなバカが新天地を求めて外に飛び出すことがあるが、そんなものはどこかでのたれ死ぬのが関の山である。
以前、探索に赴いた男たちが骨となったそのバカの死体を発見したことがある。街からは数キロと離れていない地点だった。一瞬にして水を飲み干し、そのまま熱で倒れ、そのまま焼け死んだのだろう。
こんなことが何十年も続けば、いつしか街の外に出る事は禁忌となった。それは屈強な男たちであってもだ。一度でも根を下ろしたものは、そこで得られる安息という欲に縛られる。口ではでかい口を叩いたとしても、そこから離れる準備をしないのが良い証拠だ。
話題にするのはタブーではないが、好き好んで話題にしようというものでもない。どうせ外に出ても行き倒れるという現実を突きつけられているからだ。
だからこそ、見せかけだけの筋肉を誇り、うわべだけの強面を飾る男たちが、偉そうに酒を飲んでは子どものように喚き散らす態度はアンナ・セカテには許せないことだった。
アンナには、両親はいない。この街の飲み屋、ソゾウ婆さんが拾った孤児だ。今年で十四になる。
同年代の子どもに比べればいくらか大人びているようにも見えるが、その顔には幼さが残り、特徴的なのは茶髪や金髪の多い街の中で黒い髪は珍しかった。最近は洒落っ気も気にしてかほんの少し髪も伸ばしては見るが手入れが大変だし、黒い髪は熱をこもらせて嫌になってきていた。
それでも切ろうとしないのは彼女のちっぽけなプライドのせいだ。伸ばそうと決めたのに熱いからという理由で切るなんて女々しすぎる。その程度でへこたれているんじゃこの先が思いやられる。そんなことを考えていた。
アンナは今日も朝から酒を飲んでは高々数キロだけ街の外に出たという自慢にもならない武勇伝を語る男どもに冷たい視線を送りながら、酒のおかわりを持って行ったり、焼いた肉を配っていた。
「チッ!」
誰かがお尻を触ってきた。アンナは大げさなくらいの舌打ちをしてその手をはたいた。
「触ったの誰! 飲み代のツケに回すからね!」
だが、そんなことを叫んでも男たちは下品な笑いを浮かべるか、アンナの声など聞こえてないのか、騒いでいるだけだった。
「誰がお前みたいなガキのケツなんか触るかよ!」
「そうだぜ? あと五年してから言いな」
数人の男が酒臭い息を吐きながらどっと笑いあう。アンナは「こいつらだな!」と怒って見せて、その男たちのツケにいくらか金額を上乗せしてやると些細な復讐を決意していた。碌に金の計算もできないバカどもだ。むしり取ってやる。
「アンナぁ! 飯はまだかよ!」
そんな些細な仕返しが行われているなどとは露も思っていないのか、男たちはやんやと宴会騒ぎを続けていた。駄々っ子のようにフォークでテーブルを叩いては料理の催促をしている。
「待ってなよ!」
アンナはこの屈強な男どもにも一歩も引かない気丈さを持っている。そういう環境の中で暮らしてきたわけだし、この飲み屋の常連たちもそれを許していた。
それでも男たちは酔いが回れば暴れるわけで、そのたびにソゾウ婆さんは鉄の棒を振り回してそれを止めるのだが、最近では寄る年波には勝てないらしく調理以外の一切をアンナに任せていた
「おばあちゃん!」
「まだ作ってる! ぼんくらどもにいいな」
厨房兼カウンターを覗くと腰の曲がった老婆、ソゾウ婆さんが鍋やフライパンに肉や野菜を適当にぶち込んでいた。白髪に乾いた皮ばかりの腕、一見すればミイラのような顔したソゾウだが、その瞳はギラギラとしており、老婆と侮れば痛い目を見るとすら言われる。これで昔は美人だったと本人は言うがアンナにはちょっと信じられなかった。
「まだ作ってるってよ!」
どんちゃん騒ぎを始めた男たちを怒鳴りつけるように伝えると、アンナは既に用意されていた別の料理を手に持って注文の客の席に運ぶ。ここで気を付けないといけないのはよその席からつまみ食いをしようと手を伸ばしてくる奴だ。そういう奴から料理を守らないといけない。アンナはお尻のポケットに小さい木の板をいつも入れてある。これでつまみ食いをしようという輩の手をパシンと叩くのだ。
「こらー!」
さっそく皿に手を伸ばす男が数名いたので、叱りつけながら木の板を振り回す。男は悪びれた様子もなく、さらには大して痛くないのか掌をひらひらとさせながら
「いいじゃねぇかよ」とぶつぶつと文句を言っていた。
「食いたいなら金出しな! このぼんくら!」
「ケッ! あばずれババアに似てきやがってよ」
「うっさい! こっちだって生活かかってんのよ!」
嫌味の一つは数倍にして返すというのが、アンナがソゾウ婆さんから教わった世の習いだ。これで痛い目を見る事もあるので、時と場合によるらしいが少なくともこの街の中においてはそれがまかり通るので、アンナはこんな態度を取れるのだ。
だが、アンナはこのぼんくらな男たちをそこで嫌ってはいない。あれこれと鬱陶しいこともあるにはあるが、この男たちが汗を流して働くからこそこの街は維持できているし、自分たちも生活できている。
それに酒癖の悪さと粗暴な性格さえ無視すれば気の良い連中なのも確かなのだ。
「おら! ぼんくら共、飯だよ!」
厨房の奥でソゾウ婆さんの威勢の良い声が響く。乱暴に皿に盛られた肉と野菜の炒めものは、適当な調味料で味付けされて、茶色くギトギトしていたが、香ばしい匂いは疲れきり、酒の回った男たちにはごちそうの香りだった。
「ひゃー!」
男の一人が歓声を上げて、皿に飛びつこうとするが、それを背後からアンナが木の板で小突くと、「へへ」と小さく笑いながら男は引き下がる。
「ったく、油断もないわね」
腰に手を当てながら、顎をしゃくって男を元いた席に戻すと、アンナは大きな皿をその小さな体で支えながら中央のテーブルに運ぶ。
「とと……ほら、食え食え!」
まるで犬のしつけのような光景だが、それもいつものことだった。アンナの許しが出た男たちはフォークを片手に自分たちの小皿に野菜炒めを書き込んでいく。
ゆうに数十人分はあった野菜炒めは一瞬にして大皿から消えてなくなり、全てが男たちの腹の中に納まるのだ。
その食べ方にマナーなどあるわけもなく机や床をべたべたと汚しては、靴でこすりつけるようにふき取る。そんなことをしてもなんら綺麗にはならないのだが、それこそ男たちには知らない事だし、どうでもいい事だった。
とはいえ、アンナにしてみれば掃除の時間が面倒なのではっきりというとやめてほしいのだが、この連中がそんな簡単なマナーを守るわけがないので、これに関しては半ばあきらめ気味だった。
そして一通りに料理を平らげた男たちはいくらか満足したのか、残った酒を煽り、一息つく。
がやがやと雑談が始まり、仕事がきついとか女房がうるさいとかそういう話になったり、最近の娼婦はどうたらと下品な話も出てくる。
アンナはそんな話は聞き慣れているので、殆どは無視だが、それでもそういう話はどこか別の所でやって欲しいとは思っていた。大人ぶってはいてもまだ少女であるアンナは、慣れたとしても恥ずかしいのだ。
暫くすれば、腹の張りも収まった男たちがゾロゾロと店の外に出ていく。
「んじゃなババア! また夜にくるぜぇ!」
大手を振って玄関から出ていこうとする男たちだったが、アンナはそれを怒鳴りつけて引き留める。
「こらぁ! 金払え屑ども!」
かれこれ男たちは一週間ほど料金を払っていない。それはある意味でいつもの事なのだが、それでもツケという習慣がまかり通ってしまってはいずれ金を支払わなくなるんじゃないかという不安もある。
ここに住む以上、それをやれば住民から良い目で見られないので、結局は払うには払うのだが、こっちにだって生活がある以上、すぐにでも金は必要なのだ。
文明と秩序の崩壊の中であっても、貨幣の価値というものは根強く残っていた。
「うっせーな。もうちょっとすりゃ交易商人の連中が来るんだ。その時にまとまった金を払うって言ってんだろ」
その理由の一つが商人の存在だ。
交易商人とはこの枯れ果てた大地を命がけで横断しては周辺の街や都市とのつながりを維持させる者たちだ。来る機会も少なく、下手をすれば二度と来ないこともあるヤクザな仕事なのだが、これが中々に重要であり、貴重品であったり植物の種であったり、重要な品はこの者たちから仕入れる必要がある。
時としてはこちらで育てた野菜や干した肉などを交換することもあり、それを金と交換することもあるのだ。
ある意味でこの時代を動かす存在ともいえるがそれは同時に危険もはらんでいる。貴重な物資を運ぶという性質上、商人たちは襲われる確率も高いし、時には砂漠の横断に失敗してのたれ死ぬこともある。重要ではあっても好んでなろうというものは少ない仕事だ。
「はんっ! あんたらどうせ高い買い物させられるだけじゃない」
交易商人たちもそれが飯の種である以上、買うより買わせる方に熱を入れる。彼らが仕入れてくるものは周辺の街からすれば必需品ばかりであるのだから街としても買わざるを得ない。
何よりここに住む男たちにとっては水以上に大切な酒が手に入るのだ。酒といっても質の悪いアルコールに味をつけた程度のものだ。それでも男たちにとっては最高の水となる。
「チッ! 口の減らねぇガキだな」
小言は聞きたくないと言わんばかりに男たちは、首を振ってアンナの言葉を聞き流していた。
その後は、アンナが何を叫んでも無視する一方であり、男たちは各々の家へと戻っていく。これから休憩して、また夕暮れに働き始めて、夜に店に来る。それが彼らの生活のサイクルなのだ。
鉄の蓋で覆われた街の空、その隙間からこぼれる光がまだ日中であることを教えてくれる。蓋は、所どころに穴をあけており、それがうまい具合に街の換気を促し、時としては雨を中に入れる。殆ど偶然の産物で出来上がった蓋だが、それはこの街を最初期に残っていた文化人の知恵らしいのだ。
だが、そんなことはアンナには関係がない。アンナは男たちが去っていった方角をにらみつけ、ぷりぷりと怒りながら散乱した店内を見渡す。なんとも悲惨な有様だった。
これからこれを片付けるのかと思うと、気が遠くなるのだが、夜までに掃除を終えないとまた連中がやってくる。
「はぁぁぁ……」
大きなため息をつきながらアンナは肩を落とし、厨房のわきに置かれたモップと雑巾、バケツを手に持って掃除をしなければならない。厨房にソゾウ婆さんの姿はなかった。恐らく奥の部屋でもう休んでいるのだろう。
「腰が痛いからって、少しは手伝ってくれてもいいじゃない!」
などと文句を言ってももう寝ているであろうソゾウ婆さんには聞こえはしない。
アンナは浄水されていない水がくまれた大樽にバケツを突っ込んで水を汲むと、それを一気に床にぶちまける。
広がる水が食べかすや酒と混ざるので、それをモップでかき集めて下水に繋がっているらしい穴に落とすのだ。それを数時間程でやり終えるとやっと雑巾がけに入る。
これをほぼ毎日、休まずにやっていたらしいソゾウ婆さんは純粋に凄い人なんだろうが、そう思うよりも楽をしたいのは少女にとっては仕方のないことだった。
「はぁーあ……」
二度目の溜息をつきながらアンナはせっせと床を雑巾がけしていた。
「ほんと、早く商人こないかなぁ」
その言葉にはいくつかの感情が含まれていた。早くぼんくら共に金を作ってほしいという事実……そして、何とか街の外に出れるようなコネを作ること。
「こんな狭い所で人生終わるなんてまっぴらごめんだわ」
アンナは本気である。今まで育ててもらった恩はある、この街も嫌いではない。
騒がしい連中が多いが良い奴らだしある意味では父親、兄貴代わりだったのだ。それは認めるところだ。
それでも、アンナは空の上を覆う蓋の外を見てみたいのだ。大人たちは「そんなバカなことを」と吐き捨てるし、以前にもそのバカなことをやって死んで戻ってきた奴もいる。
だがそれは準備を怠っていたからだ。
事実、商人たちは大型の車両であるとか、バギーを用意して集団でやってくる。点々と街を回る為にはそういう準備を常に年単位で考えていると以前きた商人に聞いたことがある。
それに最近は商人もよくこの街にやってくることが多くなった。どこかでコネを作ればもしかすればその商人の一団に潜りこめるかもしれないし、そうすれば街から出る理由にもなる。
街の外には危険が多いなどというが、そんなことは端から承知の上であるとアンナは息巻いている。
「こいこーい、商人よーっと」
そしてそんな変な歌を歌いながら店の掃除を続ける。
とはいえアンナは、なぜ自分がそうまでして外に出たいのか、それはちょっとわからなかった。
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