砂塵のアール・グレイ
甘味亭太丸
第1話 砂漠を流離う
乾いた大地が広がる。
見渡す限りに緑はなく、照り付ける太陽の熱を蓄積した赤褐色に変色した砂はそれを一気に放出しており、たまに降り注ぐ雨水ですら一瞬にして蒸発させてしまう。
周辺には大きな窪み――クレーターが抉られており、その数は一つや二つではない。直径はゆうに二キロメートルは超える。
そこは爆心地である。汚染物質を垂れ流さない、しかし抜群の破壊力を秘めた新型爆弾が無数に投下された後だ。
百年か、二百年か、気の遠くなるような昔の話だ。今でこそ砂漠の広がるこの大地もかつては文明を誇った巨大都市があり、大勢の人間が生活を行っていたはずだったが、それを証明し、語るものは欠片も存在しない。皆、砂になり、消えていった。今でも大勢の屍がこの砂の下に埋まっているかもしれないが、それを確認する術はもうない。
彼方にはかつての文明の名残か、朽ち果てた建造物の残骸が無数に転がり、いくつかはその半身を砂に埋めていた。巨大なタワーだったものは中央から折れ曲がり、先端部分を大地に突き刺しており、なにかの複合施設だったらしい巨大な廃墟は風化し、小山のようなものに成り下がっている。
そんな建造物の残骸のすぐ近くにはかつては悠然と空を飛んでいたであろう飛行戦艦の残骸も鎮座していた。各部に砲台がずらりと並んでいるが、どれも砲身は炸裂して、使いものにはならない。あちこちには抉られたような跡もあり、後部の方は一度ぐずぐずに溶かされた後のようにもなっている。様々な残骸が折り重なったそれらはどこか苦痛に歪む人の顔のようにもみえる。死の恐怖から逃れようとし、そのまま息絶えた屍だ。
この大地は死んでいる。連なり、重なり合う残骸はまるで墓石のようだ。
栄華を誇った文明の崩壊と消滅と共に終わった大きな戦争は地球という星の環境を大きく変貌させた。幸いなのは放射能などの毒性物質による崩壊ではなかったという所だろう。
だとしても、乾いた大地に放り出されれば一日と持たないだろう。熱砂は人間の体力を急激に奪い、仮に水を持っていたとしてもそんなものは数時間と経たないうちに飲み干される。下手に地面に身を置けば皮膚は焼け、立ち上がることすらままならなくなる。
死んだ大地はその他の生命すら死にいざなうのだ。
その地獄の大地を一人の男が歩いていた。この大地に生きる者ならその男の姿を見れば頭のいかれた奴と思うか自殺希望者とでも思うだろう。太陽の熱線を防ぐマントもなければ、熱気と砂で喉と目を焼かれないように装着するマスクもゴーグルもない。
男は灼熱の地面を黒のジャケットにブーツ、サングラスという風貌で平然と歩いていた。
歩く度に黒いブーツがサクサクと砂を踏み潰す。男の後ろには延々と続く彼の足跡がくっきりと残っていた。足跡は地平線の彼方まで続いている。
男はひたすらに歩いていた。
「…………」
ふと、立ち止まり足下を眺める。そこにはからからに乾き、枯れ果てた雑草の成れの果てがあった。かつては若々しい緑の葉を茂らせていたのかもしれない雑草は今や白色化していた。
この雑草もそう遠くない内に砂になるだろうな……と彼は乏しい感情の中、そんな風なこと考えていた。
誰が何をしたところでこの雑草は死ぬ。地獄と化した大地においては今もどこかで同じようなことが繰り広げられている。この大地の上では死というものは等しく与えられるものだから。
だが、男は何を思ったのか、この乾いた大地にとっては重要な生命線である水を、ベコベコにつぶれた平べったい水筒から一気に枯れた雑草に振りかける。水はすぐさま大地に吸収され、いくらかは蒸発していった。枯れた葉にわずかな水滴が残るがこれもいずれは消えるだろう。
男は、そんな光景をサングラスの奥の黒い瞳でじっと見つめていた。
そして、からになった水筒を捨てて、再び歩きだした。
男はポケットに手を入れ、陽気な口笛を吹く。
メロディーなどない。
だが、その口笛は不愛想な男からは想像もできない程に明るいものだった。
男がその口笛を吹くのは殆ど無意識からだ。本人も別に音楽というものに興味があるわけではない。ただ、吹けるから吹いているだけだった。
「…………」
潰れたカエルのような鳴き声が頭上から聞こえてくる。男が見上げるとそこには両翼三十センチはある黒い鳥がいた。過去、カラスという黒い鳥がいた記録があるが、それではない。
空を一匹の名も知らぬ鳥が飛んでいく。たとえ大地が死んだとしてもその上に広がる空はどこまでも青く澄み渡り、白い雲は地上の地獄など気にした様子もなく漂っていた。
刹那、のどかな空気を打ち破る爆音が響き渡る。
男の傍を何台ものジープやバギーが通りすぎていき、砂塵を巻き上げる。
「ヒャホー!」
「ひっはっはっはは!」
耳をつんざくような奇声を上げた若者たちは男を囲むように車両を走らせた。その手に握られているのはナイフやライフル銃、中には大型の機関銃を装備した者もいる。その他にも角材や鉄製のパイプなど、統一性のない武器を各々が構えていた。
ジープやバギーにも武装が施されており、車体の殆どはとげとげしい装飾を施され、悪趣味なカラーリングやマークが至る所に描かれていた。
ぐるぐると集団が男を囲む。徐々にその間隔は狭まっていき、そして、完全に男を囲んだ若者たちはニヤニヤと下品な笑いを浮かべては、こそこそと何かを話し合うような姿も見せた。
威圧でもするようにナイフの刃を舐めたり、手や指で挑発するようなしぐさを見せたりしながら、その中の一人、集団のリーダー格の若者がジープから飛び降り、男へと歩み寄る。
「よぅご機嫌な兄ちゃん。んな格好して歩いてると黒焦げになっちまうぜ?」
じゃらじゃらと折り畳み式のナイフを振り回し、男のジャケットをつつく。男のジャケットは鉄板でも仕込んでいるのか、ナイフの刃先は軽い音を立てた。
しかし、この時代のおいてはそういう風な仕込みは珍しくもないためにリーダーは何も気にしなかった。懐に鉄板の一枚でも撒いておくのは今や常識に近い。それ程までにこの時代はすさんでいる。いつ後ろから撃たれるかもわからないのだから。
「おっと、もう黒焦げだったな!」
リーダーがそういって大げさに笑うと、周囲の仲間たちもそれにつられて大笑いをする。
だが、黒い男は一切の表情を見せなかった。無言のまま、若者たちの誰とも視線を合わさないようにじっと前を見つめているだけだった。
「チッ……」
面白くない反応だった。
リーダーは舌打ちをすると、脱色のし過ぎで白髪となった髪の毛をぐしゃぐしゃとかきむしり、奇声を上げた。
「いぃぃぃぃ! ほら、笑えよ、ジョーク言ってんだぜ?」
そういって無理やり、黒い男の口元にナイフを突きつける。傷の一つでもつければビビッてリアクションを取るはずだ。今までだって気丈に振舞う奴は何人も見てきたし、襲ってきたが、大抵ナイフで刺すか、銃弾を撃ち込めばのたうち回り、命乞いをする。リーダーにしてみればこの黒い男も内心ではビビっているはずだと思っていた。だから、刃を突き立てたのだ。
が、その刃先が男の頬をひき裂こうとした瞬間、パキンという軽い音を立ててナイフの刃が宙を舞う。
「は?」
男の指がそれを弾いたと同時に刃が折れたのだ。
「あ……?」
折れたナイフの刃が不思議とゆっくり宙を舞ったように見た。リーダーはそれを目で追うと、その次の瞬間、黒い男の手の甲が見えた。そして彼の意識は消えていた。
リーダーがそれを知覚するよりも先に、黒い男の裏拳がリーダーの顔面を潰していたのだ。黒い男の拳には赤黒い血とリーダーの肉片がべっとりとこびりつき、血はぽたぽたとしたたっていた。
黒い男は無表情のまま顔の潰れたリーダーの胸倉をつかみ、無造作に放り投げる。
「殺せぇ!」
それを見ていた仲間たちは一斉に銃の引き金に指をかけた。彼らは本能的に「ヤバイ」と感じ取ったのかもしれない。彼らの中にリーダーへの仇討ちなど考えているものはいなかった。ただひたすら、「この男は殺さないとまずい」という直感だけがあった。
無数の弾丸が男に迫る。リーダーの死骸すらも貫き、肉の塊にしながら、若者たちは怒りと本能に身を任せて銃弾をばらまいた。
二秒か三秒か、時間はわからないが一斉に発射された弾丸のせいか、男の立っていた周囲には砂と煙が舞っていた。
「へ、へへ……」
「ざまぁ見ろ」
これだけ撃ちこめば、あの男もくたばっただろうと若者たちは確信した。自分たちの持つ武器は簡単に人の肉体を砕く。鉄の弾丸と火薬の衝撃に耐えられる人間なんぞこの世にはいない。ジャケットに鉄板を仕込んでいたようだが、この一斉射撃をそんなもので防げるはずもない。
「…………」
しかし、砂塵が晴れた瞬間、若者たちは唖然とした。理解が追いつかないでいた。
そして、絶望した。
銃弾の雨、人間ならば肉塊になって原型をとどめないはずの量を浴びながらも、その男はポケットに手を入れたままの姿で傷一つなく立っていたのだから。
漆黒のジャケットもブーツも光沢を帯びたままで、煤もほつれもない。まるで初めから銃弾など受けていないかのように、新品同然の輝きを保っていた。
「…………」
「ひ、ひひひ!」
若者の一人が黒い男と視線があったような気がした。恐怖に駆られた若者は、手にした拳銃を放っていた。
パァンと乾いた音と共に一発の弾丸が男の額めがけて撃ちだされる。
だが、弾丸はカツンという音と共にはじかれ、地面に落ちる。
「ば、化けもんかよ!」
誰かがそう叫んだ。
「…………」
しかし、黒い男は彼らの悲鳴など聞こえていないのか、足元を見る。そこには水をやった雑草の無残な姿があった。先の銃撃で葉を散らしていて、砂に埋もれていた。その破片の一つ、乾いた葉先が黒いブーツにくっついていた。
男はそれを掴み、指先でくるくると回すように眺める。もうその雑草に生命の息吹は感じられなかった。男はそれを捨てると、じろっと周囲を見渡す。
サングラスで視線は見えないはずなのに、若者たちは本能的に黒い男が自分たちを睨んでいると認識した。
そして、黒い男の体が一瞬だけ猛烈な閃光を走らせた。
そのまぶしさに思わず目を反らした若者たち。閃光はすぐに収まり、彼らはゆっくりと目を開いた。その視線の先には、悪魔としか言えない何かがいた。
「化け物がぁぁぁぁ!」
その叫び声と共に、再び銃声の嵐が青空に響いた。
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