14.やさしいフォルティシミッシモ

「……あなたのようには弾けないけど、サユキは家でヴァイオリンを弾くとき、私たちにピアノを弾いてって、言ってくるようになったんですよね」

 俺は怪訝な顔をした。冒頭の言葉がやはり引っかかる。

「そして言うんですよ。『おかーさんとおとーさんのピアノには優しさがない!』って」

 チナツさんは穏やかな表情で大切な思い出を語ってくれている。

 俺が聞かせていただいていいものなのだろうか。

「あなたのピアノは、とても優しいんだそうです」

 話の中に急に俺が登場して驚く。しかもなんだその買い被りは。

 チナツさんは伏し目がちながら笑顔を作ろうとしていた。

「あの子にとっては……いくら絶対最上級のフォルテでも、ただアクセントの強さを求めたり、力任せに弾いたりするだけじゃ、いけないんだそうです」

 伏し目がちだったのがちゃんと開かれて、チナツさんは笑顔を見せた。

「弾く曲ごとに、その曲と向き合った自分なりの感性に沿って、フレーズを盛り上げていくために、音楽記号を利用するんだ、なんて、分かったようなことを言っていました」

 ふふふ、とチナツさんが笑う。

「その基準となるあなたの感性は、とても優しかったそうなんです」

 断じてそんな立派なもんじゃねぇ。

 確かに当時の俺は、自分自身の感じ取ったままを演奏することにこだわってはいた。けれどプロには認めてもらえなくて、ふてくされた毎日を送っていた。

 そんな暗い感情を抱えながら弾いていた俺の演奏が、優しいだなんて、アイツは何を言っていやがったのか……。

「感性なんてものはね、受け取った側の解釈に過ぎないんですよ。本人がそう在ろうとしてもそうは言われなかったり、逆にそんなことを思っていないのにそうだと言われたり……そういうこと、あったんじゃないかしら?」

 俺はただ黙ってうつむいた。

 勝手に俺のピアノを優しいとか言って。

 素敵だと思いますなんて言って。

 そしてなんで勝手にもう居ないんだ。

「そうね……あなたのその様子なら、何か引っかかることがあるんでしょう。でも、あなたが勝手に悔いている反面、サユキはサユキで勝手に笑ってるんですよ? それもあんな満面に。何か理不尽じゃない?」

 言われてみればそんな気もするが、そんな風に思っていいのか俺にはわからない。

 だけどその言葉は、俺の心をだいぶ軽くしてくれやがった。軽くなんてなりたくないのに。

「仕方ありませんね~。じゃぁ罰ゲームで~す」

 チナツさんがいきなりくそ明るい声でそんなことを言い始めたので俺は仰天した。

「あなたはこれから一生、サユキと合奏してた曲を定期的に楽しみながら弾かなければいけませ~ん。そして弾いてる間はサユキはあなたのピアノが好きだってことを思い出すこと! ……サユキはあなたのピアノが、本当に好きだったんですよ。だから……弾き続けていただけないかしら」

 そう長くハイテンションでいられなかったのか、後半は今まで通り落ち着いた物腰に戻った。

「それでチャラにしてやってくださいな。あの子にしてみたら、あなたにそんな顔をされて嬉しいはずがありませんから」

 あくまで優しく言ってくれるチナツさんたちに、どういう顔を向ければいいのか俺には分からなかった。

「ああ、そして二つ目の罰ゲームで~す」

 チナツさんがまた突然テンションを上げるので俺は再度びびる。

「サユキはあなたの名前を知らないって言ってましたから、教えてもらえるかしら……そこだけちょっと切ない顔をするんですよ、あの子。ID交換したらヒサシさんってだけしか書いていらっしゃらないし」

 そんなもの隠している必要なんてどこにも無いから、すぐに正直に答える。

庇中ひさしなかリョウ、です」

「あら、ヒサシさんは苗字の方でしたか」

 やはり誰もかれもそう思うんだなと苦笑した。

「ええ、よくそう言われます」

 そんな俺を見ながら、チナツさんはまた優しい顔で言う。

「あなたは罰ゲームを二度も受けました。だから、これでチャラなの。分かりましたか!」

 ただ最後の言葉だけはかなり強く言われて、俺は気圧される。

「ぜ、善処します」

 俺はそう返すしかなかった。

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