13.シアワセの質量

 宛名がおかしいだろと思っていたら、差出人もおかしい。

 そうか、俺たちはこうもよくわからん関係性で時間を共有していたんだな。

「俺は、なんもしてねーよ」

 思わずそう呟いていた。

「ってか、シアワセを使い切るってなんだよ」

 茶化したかったんだろうか、俺は。

「……怠けるななんてもう言わねえよ……言えねえよ……」

「何をどう書いているのかしらね、あの子は」

 チナツさんが俺の頭をぽんぽんと叩いてあやす。ここにきてから俺は幼児にでもなってしまったのだろうか。

「恩人を泣かせるなんて、あの年で相当罪深いわ」

 恩人だなんていわないでほしい。そして……また俺は泣いているのか。

「……俺が謝ることもできないうちに亡くなってるとか、ずるいです」

「何を謝る必要があるというのですか」

 優しく声をかけてくる旦那さん。

「俺はッ」

 だが彼は俺が何か言う前に、まっすぐな優しい目をしてこう言った。

「何かあなたに思うところがあっても……娘はあなたにのです。そして、我々も」

「そんなのは……」

 そう言われても、俺には余計自責の念が沸いてくる。

「アスカちゃんと……サユキの大の仲良しなお友達なのだけど、その彼氏さんが、言ってました」

 チナツさんは、大切なものを並べていくように、ゆっくり話し出した。

「あの子は……危篤状態になる少し前に、皆に向けて笑ったんです。笑顔だったんです。そんな状態で私たちの方を安心させようとするなんて、そんな優しい子を、何故丈夫に生んでやれなかったのかって」

 チナツさんも、もう、平静ではなかった。

「亡くなってしまった後にね、アスカちゃんとその、村瀬くんが教えてくれました」

 零れ落ちる透明なものは止まらないけれど、チナツさんは、誇らしげに微笑んでいた。



『サユキさんは、自分の人生に悔いがないんだろうなって……思います。だから俺たちを安心させようとしただけじゃない、本心で、『楽しかったよ』って、言ってくれてる気がします……ピアノの人の話が出たら、ちょくちょく、言ってたんですよ。……いなくなってしまっても、その人がくれたモノは自分と一緒にあり続けるから、寂しくなんてない、とか……それはきっと、会えなくなってしまった人への想いと折り合いをつけるために、彼女自身が自分にそう言い聞かせてたんだろうけど……だから今はサユキさんは、俺たちに対してそう思ってほしいんじゃないかなって、思います。俺たちにはサユキさんから色んな事を受け取っているんですよ。それは皆それぞれ違うでしょう。その受け取ったことを使ったり思い出したりしたら、きっと彼女はそこに……居てくれてる、って……思います』

『あの子は、三年にあがってから、シアワセだなぁってよく口にするようになりました。そして一回だけ、こんなことを、言いました。人が持てるシアワセに、もし決まった質量があるとしたら、わたしの分が余ったら、皆で分けてねって……めちゃくちゃ、怒ってやりましたよ! だからそれきり言わなかったけど……あの子はきっと、今、そう思ってるんでしょうね……』



「サユキがあなたに対して抱いていた『いなくなっても一緒にいるのと変わらないから寂しくない』、っていう思いが……私たちも救ってくれたんです」

 だから、と、またサユキ……さんの両親が頭を下げてくる。

「ありがとうございます」

 二人で口々に言われてしまった。

「それは……っ、俺が受け止めていい言葉じゃありません」

 むしろサユキさんをそういう『在り方』に思い至らしめた酷ぇ奴でしかねぇじゃねえか。

「それでなくてもあなたと過ごせた月曜日は、あの子を前向きに変えてくれたんですよ」

 うつむく俺に、旦那さんが優しく語りかける。

「それまでは、どこか何かをあきらめているような……陰のある子だったんです。それが、毎日楽しそうに笑っていてくれた……この写真を見たら、分かるでしょう? あの子は、心から生きているのを楽しいって思いながら、旅立てたんです」

 サユキさんはきっと──なにかの病気をかかえて生きていたんだろう。

 ピアノの横でヴァイオリンを弾いていた姿を思い出す。

 何かはかなげで頼りなくて、か細くて……放っておいたら消えてしまうような雰囲気をしていた。

 四藤さんのライブハウスが休みの月曜に、家以外で楽器をいじれそうだってだけで、通っていたつもりだった。

 生気のない演奏が、気になりはした。

 だが俺は何で毎週毎週、第三音楽室に足を運んでいたのだろう。

 周囲に毒を振りまいていた俺が、老婆心でも起こしていたのだろうか。

 いや……そんなきれいごとじゃねぇ。

 あいつが、目に見えていい方に変わっていくのが、面白かったんだ。

 ヴァイオリンの弾き方だけじゃなくて、確かに……どんどん楽しそう、になっていってた気がする。

 それを俺が変えていってやってるんだなんて、傲岸不遜なことを、思っていた。

 俺はやっぱりクソッタレだ。

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