8.打ち上げ

 正直あなどっていたのかもしれない。

 大学の文化サークルがどうなのかは知らないが、勝手なイメージで穏やかなものだと思い込んでいた。

 ……この分ではきっと大学の文化系サークルも、体育会系の騒ぎっぷりに負けず劣らずなのだろう。

 テンション上がりまくりの大人たちから少し離れて、ちまちまと食事をとっている未成年らしき二人がいるのを見つける。「空いてる?」と聞くと笑顔でうなずかれたので、「どーも」と言って二人の向かい側に座らせてもらった。

「いきなりだったのにあれだけ弾けるのって、すごいっすね!」

「まじかっけえぇ」

 開口一番に二人とも褒めたたえてきたので俺はまたげっそりした。

 ──でも、過去のように憤慨したりはしない。

 丸くなったことだなと人ごとのように思いながら、「そんなことないっすよ」と苦笑いしておく。

「だいぶミスりましたしね。皆さんがフォローしてくれたから演奏が止まらずに済んだんですよ」

 相手がはっきり年下と分かるからといって、昔のように最初からぞんざいな言い方をすることもなくなった。

「謙虚ですねぇ~」

「いぶし銀っすねぇ~」

 二人が二人して目を輝かせて来るので俺はやめてくれと苦笑した。

「ほんとに今は……大学遠いからアパート借りてて、日常的にピアノ弾いてることもないんで……きっとなまってます。だからそんな状態で演奏した俺は申し訳ないくらいです」

「ヒサシ……さん、でいいんですかね?」

 四藤さんが大声でそう呼ぶから、皆それが俺の名前だって認識するだろう。

 そして初めてそれを聞いた人たちはだいたい、下の名前だと思い込む。

 なので俺はいつもながらの状況に苦笑しながら答えた。

「ソレ、苗字だから別に馴れ馴れしいとか思わなくていいですよ。庇中ひさしなかって苗字を、四藤さんはてきとーに呼んでるんです」

「そうですか」

 二人はほっとした顔をした。そして言う。

「ヒサシさんは二十歳だから酒オーケーってのが聞こえましたから、大学のために遠くに行ってるとして、一年半くらいはまともにピアノに触れてないってことでしょう……?」

 神妙な顔をして聞いてこられたのでするっと正直に答える。

「まぁ、そうなりますね」

「それであれだけたくさんの曲目を暗譜しててあんなふうに弾けるってのは、誇っていいと思うんです!」

 片方の少年が両手のこぶしを握り締めながらそう力説し、もう一人は横でぶんぶんと首を縦に振っている。

 こうして褒めてもらえるのも、今なら、困惑やむずがゆさがあるとはいえ、邪険にせず受け取れるようにはなった。だけど、やっぱりどうしても、自分のピアノは趣味の領域なのだから評価は求めていなくて、お礼を返すことも胸を張ることもできない。ただ苦笑するだけしか、できない。

「好きでやってるだけでも、自分の演奏には誇りを持ちましょう?」

 いつの間にか近くにあのヴァイオリンの女性がいて、心を読んだかのようなことを言ってくるので少しひやっとした。

 あまり酔っているようには見えないが、片手に持っているのはワイングラスだ。

 多少の酒は入っているだろう。

 俺はなんとなく聞いてみたくなってしまった。今更何かできると思っていたわけでもないのに。

「春川さん……ですよね? ご親族の中に俺くらいの年の女の子いませんか?」

 演奏会のビラに、トリの奏者として書き連ねてあったその中に、春川チナツという名前があった。俺はの苗字しか、知らない。だからあのビラに『春川』の苗字で女性的名前が書いてあったのを見ただけで、多分──焦ったのだ。本人だったらどうすりゃいいのかがまったく分からん……。

 彼女は彼女で、一瞬驚いたような顔をした。

 そして困惑しているのか、泣きそうなのか、よくわからない表情をして逆に聞いてくる。

「……ここは、あなたの地元なのよね?」

 どうしてそんなことを聞かれるのか分からないままうなずくと、彼女は眩しいものを見るような顔を俺に向けた。

「中学校は、東中?」

 もう一度、念を押すように聞いてくるので、再びうなずく。

「そっか、そっかぁ……」

 何だかよく分からないが、彼女はしきりにそう呟いていた。

「いますね……というか、きっと私の娘です」

 俺の一個下な娘がいるようには見えなかった。もしかしたらこの人はあいつの姉か従姉いとこかもしれない、なんてことを考えていたから、俺は目を見張る。

 ワイングラスの中の赤い液体がゆっくり、くるくると渦を巻く。

 彼女は俺ではなくそのワイングラスを眺めながら言う。

「あなたは……あの子に、会いたいですか?」

 なんだろうこの空気は。そして彼女の台詞はとてももどかしかった。

「……いえ、いや……たぶんあなたの娘さんは、俺なんかにもう会いたくないと思います」

 俺は彼女から目をそらして言う。

「いいえ、それだけはありません」

 そうきっぱりと言い切る彼女に俺はおののいた。

「けれど……そうね、そうよね……」

 彼女は一人で何かを抱えているのかもしれない。何故それを俺に言ってくれないんだろうか。

「もし、なにがなんでも会ってくださるなら、連絡していただけませんんか? 今日はもう遅いですもの」

 その言い方に不穏なものを感じながらも、俺は彼女が差し出した端末と、IDを交換した。

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