第6話 再・地球型惑星
「ぬお」
ふかふかしたところに背中が触れていた。さっきまで謎の力で浮遊していた身体がついに重力を感じたので、私は安心して目を開いた。
――ただいまー。
「あんたの家じゃないでしょ……いや家か……」
ここ最近ぬいぐるみがただのぬいぐるみじゃなくなっていたから忘れてたけど、こいつはうちに何年も前からいるものだった。いつもどおり学習机の上に乗っかっている。ここにきてぬいぐるみアピールをしてもですね、色々手遅れだと思うんですよ。
――五本ともちゃんと持ってるよね?
「持ってるよ。これが青、これが赤――」
次いで黄、白、黒と。若干、ほんのちょっとだけ実は持ってきてないかもしれないと思ったけど大丈夫だった。
――じゃあ、これからそれぞれの色にあった短冊を渡すね。黒だけ黒ペンで書けないから紫色のものにしとくからね。
きらきらきら、ぽぽぽぽぽん。おお、もうほんとに何が起きても動じない体になってしまったぞどうしてくれる。私に正常な意識を返してくれ。
――えーと、五本だから五枚ね。さっき言った通り五通り書いても五通り叶うよ。
「ほんとに叶うんだよね?」
――叶うよ。でも早く書いてね。
「いや選り好みするから待ってて」
――待ってると叶わなくなっちゃうかもしれないから早くしてね。
「絶対叶えるって言ったよね」
――言ったよ。だから僕の予定では叶うよ。予定外に時間がかかると叶わない。
「ねえ、なんでそんなに焦らせてるの? さっきのブラックホールでも、『早く目を開けて』なんて珍しく急かしてきたし……なんなの?」
――うーん……うまく言えないし、今は言えないなあ……
「何それ。私はなんでも叶えるって神様に言ってもらったから。そっちの都合だかなんだか知らないけど私はじーっくり考えて最高のお願いをするから」
――……そうかい。それが美結ちゃんの意志なら仕方ない。よく考えな。
「やったね」
勝利勝利大勝利。私は五つのお願いを叶えてもらえることになりました。ほんとにマジでしっかり考えよ。時間ももらったことだしね。
――そろそろできた?
「できたよー!」
――そっか。色と共に一個一個教えてくれる?
「はーい」
私は満面の笑みで一枚一枚取り出して読み上げる。
「まず青。『料理がうまくなりたい』!」
――何それ。
「花嫁修行的なやつだよ。美味しいご飯を作ってあげないと、未来の旦那さんが喜んでくれないでしょ?」
――未来の旦那さんねえ……そう簡単に美結ちゃんが結婚できるとも思わないけど。
「いや神に言われると来るものあるわ」
つっら。神なんだから未来予知とか出来そうじゃん。それでそう言うってことはさあ……え?
――二枚目は?
「二枚目は赤に書いたやつね。えーと、『もっとみんなと話せるようになりますように』」
――コミュ障なの?
「うっさいなあ、苦手なだけだよ。目が合いながら喋ってるとなんかこう、相手が私の中の中まで見透かしてるみたいに思っちゃうの」
――重症だね。三枚目は?
「三枚目は黄色……『あいつがメール見てくれますように』」
――また送ればいいじゃん。
「精神力ー」
――てかメール見てもらえてないの? それやばいんじゃない? ほんとに脈あんの?
「いや……あるはず……あるよね? ないの?」
――いやそればっかしは向こうの気持ちだから分かんないけど……一年も読まないってことは……ねえ?
「やめよ? ね、やめよ? これから会うんだし、会って話せばわかるって。振られるんなら振られるでいいんだって」
――話せればいいけど。どうせ話せますようにもそっから来てるんでしょ?
「うっさいうっさい。叶うんだからいいの」
みんなってのには間接的にあいつも入ってるわけで、従って私は一つの願い事で二つ同時に叶えてしまおうという欲望に満ち満ちた状態なのだ。
「で、四枚目は『また下の名前で呼び合えますように』ね」
――やっぱり気にしてたんだ。
「まあね……白崎って名字で呼んでるうちは深い仲にはなれないかなってやっぱりどっかで思ってた」
――呼び合うってことは、あっちからも名字で呼ばれてたってこと?
「そうだよ。いつだか私が下の名前で呼ぶのをやめたちょっと後からあいつも私のこと柿田って呼ぶようになった。まあ、そういうことだよね」
――そういうことって?
「いや、だから……ただの仲のいい幼なじみだってこと」
――ああ、もっと深い仲になりたいと。
「深い仲ってのがどれくらいからか知らないけど、もっとこう、その辺の友達とは違った感覚になりたい……」
――いやあ! 青春だなあ! ひゅーひゅー! 純情乙女だいだだだだやめてやめて!
おうあんま煽ると腰骨捻り潰すぞ。
――はーいたたたた。最後は?
「最後は黒のやつね。えーと、『あいつに会えますように』」
――基本的なやつだね。じゃあ、その短冊はあいつに会ったあとに燃やしてね。燃やさないと願い事って届かないから。
「そうなんだ……あれ、でも、時間無いんじゃないの? そりゃ着替えたいけど、ほんとにそういう感じなら早く行くよ?」
――そうだね……最低限間に合うから、ちゃんといちばんかわいい美結ちゃんの姿で行った方がいいよ。その方が向こうも落ちやすいと思うし、何より安心できると思う。
「落ちやすいって……」
それ目当てで会いに行く訳じゃないっつの。ただあれがいまどこで何をしてるかさえわかれば十分なんだから。
――落ちやすいのは美結ちゃんの方か……で、どうするの?
「着替える」
――夏らしい涼しそうな黄色い半袖に黒のミニスカート、膝までの黒い靴下……洋服買えば?
「そっちこそ常に全裸の癖にうるさいわ」
とは言いつつも、確かに少し選択肢が少なかったように思える。私はそういうファッション系には疎いので、今だって「いちばんかわいいの」とか煽られたくせに四枚から選んだだけだし、下はジャージかショートパンツかミニスカートしかないし、靴下に至っては制服のやつだ。服買え私。
――制服の方がいいんじゃない?
「なら着替えてくる」
――うそうそ。どっちの美結ちゃんもかわいいよ。
「おっさんかっての」
――まんざらでもない表情に見えますけど。
「もういい! 早く連れてって!」
――はいよ。でも、どんな状態でもびっくりしないでほしいし、怒らないでほしい。いいね?
「何よ、彼女がいるくらいなら想像できてるからいいっての」
――ほんとに怒らないね?
「何かあるの?」
――まあ、会えばすぐわかるけど……まあいいや。とにかく会わせてあげよう。じゃ、いいね?
「うん!」
一年越しの願いが叶うときが来たようだ。織姫様ってこんな感じなのかな。私は彦星様に会えるんだよね。7月7日に、会えるんだよね。
――じゃ、行くよ……
心なしか元気の無さそうな声が響いて、視界が変わった。
ピピッ……ピピッ……ピピッ……ピピッ……
断続的に続く電子音が私の耳を包み込んだ。何の音……?
ピピッ……ピピッ……ピピッ……ピピッ……
音のする方に歩き出す。純白の扉にひんやりした鉄の棒が取り付けられて、妙な緊迫感を醸し出している。
「入るの?」
――……もう任せるけど、その扉開けたら願い事叶うから。
「この、扉……?」
私はもう一度その扉を見る。奥の方から何やら不穏な声が聞こえる。必死な声。
私は一瞬逡巡した。いざという時に心を決められないのは昔からだけど、なんだからそれとこれとは全く違うっていうか……
――ちなみに、もう時間無いよ。ちょっと、もうちょっと早ければ願いを完全に叶えられたけど……今は最低限。
やけに真面目な声が、周囲の雰囲気とマッチして本当に従わなければならないものだと私に察させた。私は取っ手に手をかけて、勢いよく開けた。
「えっ――」
そこには、真っ白い空間にたくさんの機械が置いてあった。数人が真ん中の冷たい柵を囲んでいた。そのたくさんの目が私を捉える。知った顔だった。
「美結ちゃん……?」
「白崎……さん」
幼少の頃お世話になった顔だ。そもそも家族ぐるみの付き合いってやつだったし、何度も見た顔だ。
「どうして、ここに……? はっ、ちょっと、起きなよ! 美結ちゃん来てくれたよ!」
「起きなよ、って……?」
その悲痛な声は、私を部屋の真ん中に引き寄せるのに十分だった。一歩、二歩。無我夢中だった。誰がいるかも把握してないけど、とにかく部屋の真ん中にいる人が今は大事だった。多分、そこにいる誰よりも時間が遅く見えた。まだ驚きを隠せない白崎さんの表情も、なんだかよくわからない30という数値のモニターも、窓の外の雨粒も見えた。そして、白に包まれた人型の膨らみも。
柵に手を当てて、身を乗り出すようにしてその顔を見る。
「しら、さ……き……?」
それは、見覚えのある顔。
それは、しばらくぶりに見る顔。
それは、一年間探し求めた顔。
「美結ちゃん、知ってたの?」
「いえ、今初めて知ったんですけど……」
「初めて!? じゃあなんでここが!?」
「それは……神様からのお告げみたいな……」
「神様……そっか、神様か」
白崎さんはもはやなんでも受け入れる態度だったようだ。精神状態が尋常じゃないのだろう。
「来てくれたよ! 美結ちゃんが! 起きなよ!」
「白崎! 来てやったよ! 一年も何してたのよ!」
酸素マスクに点滴。おおよそ以前のような輝きを見せていないその顔は、両の瞳をそのまぶたの後ろに隠してしまっている。
「起きて! ねえ起きて! 話したいこといっぱいあるよ! 聞きたいこともいっぱいあるよ! だから、ねえ! 起きて! 起きてってば!!」
「体揺らさないでください!」
「わっ、ごめんなさい!」
「看護師さんそんなこと言ったってしょうがないですよ!」
一触即発のムード。私たちは明らかに異常な雰囲気を作り出してしまっていた。状況を理解できていないので、とにかく私は思ったままに叫んでしまっているし、白崎さんも同じく叫んでいる。医学的見地からものを言う看護師さんも、この雰囲気に息を呑む。
そんなことがあったから、さすがに届いたんだろう。
「――――――――うっさいなあ……」
彦星が、舞い降りてきた。
「白崎! 私だよ私! 覚えてる!?」
今度こそ無我夢中だった。薄目が開いたその隙に言葉をねじ込む。
「一年も連絡寄越さないで何よ! どんだけ心配してたと思ってんのよ! なんとか言いなさいよ!!」
もう涙声だった。言葉をしっかり言えたかわからない。うるさいって言われたのに、うるさくしてしまった。
ピピピピッ…………ピピピピッ…………
「先生呼んできます」
その看護師の一言で全てを察した。私はいっそここで全部の声が枯れ果てても構わなかった。目の前の幼馴染みのためにすべてを使いきりたかった。
白崎は目の前で目を閉じたが、また薄ーく開けた。口をわずかに動かす。私は自分の声と裏腹に、かすれて小さくしか聞こえない声を聞き取ろうとした。
「――――久しぶり、美結」
その後は、ピーーーーーーと延々なり続ける電子音に包まれるのみ。私は全ての力が抜けて柵に体を預けた。
「好きだよ……………………誠」
そこから先は記憶にない。
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