第7話【投票】

 そして着いてしまった。喫茶店に。

 ここはあの過去人と、目の前の涼宮ハルヒ、そして今週目にしたあの古泉とかいう男の三人で謀議をした店だという。

 中に入ると冷房の冷気が瞬間的に心地いいが、滝のように流れている汗で必要以上に冷えてしまいそうだ。

 もちろん、冷える理由は他にもある。これから後決定的な何かが起こる可能性がある。


 五人で座れる席につく。

 実に微妙な感覚だ。

 偽SOS団はバランスが悪すぎる。SOS団の方がバランスがとれている。重要案件で涼宮ハルヒ(むろん北高の方だが)が常に蚊帳の外だとすると、男女比は2対2となる。

 一方こちら偽SOS団の方は涼宮ハルヒがフルメンバーとして参加している。男女比は実に1対4だ。

 女が四人に男が一人ってのはなんだ?


 傍目からは僕は反感を覚えられるだろうな。自虐的なおかしさがこみ上げてくる。だが中から眺めてみればどうだ? 女が四人もいて僕は誰とも男女間の仲を成立させていない。別にこんなところで成立を望んじゃいないがな。

 まあ——女ではない者が一人いるかもしれない、と考えて精神の平衡を保つよう心がけるに限る。

 すぐ隣にはよりにもよってその周防九曜が座っている。このポジションでは様子を詳しく観察はできないが、どうせ表情などいつもと同じだろう。僕に対する圧迫の意図があるのだろうか。


「佐々木、面倒だし暑いから全員アイスコーヒーでいいわね?」

 涼宮ハルヒが一方的に仕切って注文が決められ、注文されてしまった。佐々木さんはなぜだかにこにこと機嫌良さそうに微笑んでいる。

 どういうわけか佐々木さんも涼宮ハルヒも僕の正面に座っているためよく顔が見える。ちなみに橘京子はその二人の真ん中で居心地の悪そうな顔をしている。

 なぜ真ん中に座った?

 そんな中九曜がどこに隠し持っていたのか扇子を取り出し向かい側の席の三人をぱたぱたと扇ぎだした。

 それを喜ぶ涼宮ハルヒ。

 扇子を持って歩くとは、『アナログモノ』好きに拍車がかかっているな。しかし九曜、扇いでくれとは言わないが風が来るのは向かい側の三人だけだな。

「その扇子、僕に貸してくれないか」と言ったのは佐々木さん。

 涼宮ハルヒのお願いではないが、どう出る?

 案外素直に九曜は佐々木さんに扇子を渡していた。扇子を受け取った佐々木さんは、

「古風な感じがする。趣味がいいね」と扇子そのものについての感想を言い、そして九曜の方を扇ぎだした。必然的に僕の方にも風が送られてくる。

「扇いでもらってばかりじゃ悪いからね」と佐々木さん。

「もうちょっと扇いで欲しかったのに」と涼宮ハルヒがいかにもなことを言う。

 まだ誰も本題に触れない。全員が全員汗が引くまでしばし涼もうといった感じか。


 そしてアイスコーヒーが五つ運ばれてきた。


 例外なく誰もが一斉にグラスに手を伸ばす。正直一気に飲み干したい衝動に駆られるが飲み干してしまったらここに居られる道理が無くなる。なにしろ喫茶店だからな。それに僕のカネで飲んじゃいない。

 だが、まずどれくらい飲むかは人それぞれなようで涼宮ハルヒのグラスにはあと半分しか残っていない。

 全員がそれぞれの適量とする量を飲み終わり、それを待っていたかのように佐々木さんがまず口を開く。


「まさかこの僕が選挙の候補者になるとは思わなかった。〝立候補〟なんて柄じゃないしね」

「あの、佐々木さん。あたしが推薦しちゃったこと、やっぱり迷惑でしたか……?」橘京子が萎縮するように口にした。

「いや、そうじゃないんだ京子。人から期待されているのにその期待に背を向け逃げるというのも好ましくはない。なにより偽SOS団を造ってしまったようなこの僕が、なにもしないなんてそもそもあり得ないんだ」

「今から〝降りる〟なんて言うのかとびっくりしちゃったじゃない」と涼宮ハルヒが平然とした声で言った。それに対し佐々木さんが返す。

「実は選挙と聞いて少し意外な感じがした、それを言おうとしたんだ」

「どういうことよ?」と涼宮ハルヒ。

「ほら、見ての通り僕らは五人の小グループだ。こういう小さいグループでは選挙という手法は馴染まないんじゃないかと思ってね」

「なんでよ?」

「選挙の後が気になるんだよ」

 まったく僕も同感だ。

「なら佐々木はあたしの決めたことに反対ってわけ?」

「反対とは言っていない。意外だと言っただけさ」

「なんで意外なの? リーダーを投票で決めるってのは民主主義的には当然のことでしょ?」

「うん。面と向かって言われると反論しにくい。しかし投票をするってことは候補者がそれぞれ自分の価値観に則った主張をするってことだからね。主張同士がぶつかるということが当然起こる」

「当たり前でしょ」

「なにを当たり前と言うのかは、場所によって違うけど、例えばシンガポールという国がある。もちろんこことは違う場所さ。国としてのイメージはそれほど悪くはないんだと思う。その国ではデモを行うことが厳しく制限されている。なぜだと思う?」

「さあ、民主主義的後進国だからじゃないかしら」

「それは模範解答でありしかし一方テンプレートでもある。シンガポールは多民族国家だ。故に『民族対立のない平和な国を目指すため』にデモに制限をかけているということなんだ。要するにデモとは己の欲求・要求を街に出て声高に叫ぶことだからね、当然その声は誰彼の耳にも入ってくる。各々の民族がそれぞれに都合の良い主張を叫んだ結果、却って民族対立が起こってしまうことを懸念しているのさ」

「まさか佐々木、その考え方に賛意を持ってるってわけ?」

「賛意は大っぴらには示せない。世の中建前社会だからね。でも一刀両断で切り捨ててしまうのも知性の否定のような気がしてね。往々にして異なる主張というのは平行線を辿るものさ。互いの主張を応酬させた結果心に憎悪だけが残るのが人間さ。絶望はしたくないが理想を美化して真実から目を背けるというのもね。或る集団がほぼ半分半分で真っ二つになってしまったらその集団はもう集団ではいられなくなってしまう。僕はね、せっかく造った偽SOS団を潰したくはないんだ」


「もう民主主義の話しはいいだろう」

 僕は割り込んだ。

「なによ、藤原、次あたしが言う番なのよ」

「だったら関係のあることを言えばいい。『偽SOS団団長としての方針』が双方それほど違うのかどうか。そっちの方が話しの本線だ」

「まあ確かにそうね。藤原、あんたもたまには良いこと言うじゃない。じゃ、『あたしが団長になったら』っていう施政方針演説から始めるわよ!」


 施政……ってな。


「あたしからいくわ! 偽SOS団の方針は、北高の涼宮ハルヒに真実を告げること!」

 涼宮ハルヒが宣言した。

 続いて佐々木さんが口を開く。

「偽SOS団の行動指針はSOS団のサポートだ。なぜかと言えばSOS団には絶妙なバランスの上にかろうじて立っているような危うさがある。団員間で重要情報が共有されていないという情報のクローズドが原因だ。それは彼らの宿命でもある。だからこそサポート役が要る。一方で僕らはそれぞれ互いに互いの素性を大まかだが知っている。つまり比較優位でSOS団よりはオープンだと言える。故に組織の安定感は偽SOS団の方が上回っている。だからこそサポートが適役なんだ」


「サポートだけですかあ……」

 橘京子がさも残念そうに言う。

「不満があるなら立候補してみる?」と即座に涼宮ハルヒが突っ込んだ。

「いえ、そんな、不満だなんて」

「よもやと思うけどあたし達以外に立候補しようなんていう勘違いさんはいないわよね? 施政方針演説が終わった時点で締めきりだからね」涼宮ハルヒが団員全員を睨めまわし釘を刺すように言った。


 むろん新たに名乗りを上げようなどと言う者がいるはずもない。

 

「藤原!」

 涼宮ハルヒが突然僕に振った。

「あたしと佐々木の主張を聞いてどう思った? ふたつの主張は水と油? 対立する? しない? 率直に言いなさい」


 フン、率直か。


「率直に言えば対立するとも言えるし、しないとも言える」

「なにそのどっちつかずの意見は。そういうのを〝バランス感覚〟だなんて思ったら大間違いよ」

「ならば言う。もし北高の涼宮ハルヒが全ての真実を知るような事態を僕らが造り出してしまったらサポートどころかSOS団とやらを破壊する行為でしかない。そういう意味では対立する。一方で北高の涼宮ハルヒが最後まで真実に辿り着かなかった場合、SOS団とやらは見せかけだけの仲間だったということで終わる。そうならないためには北高の涼宮ハルヒは全ての真実を知るべきだと言える。それを手伝うことはSOS団に対するサポートになる」

 くっくっくっくっ、と佐々木さんが笑い出す。

「藤原くん、僕は君のそういうところを好ましく思う」、そう口にした。

 一方涼宮ハルヒは、

「相変わらず屁理屈だけは上手いわねえ」と言った。

 屁理屈ではない。


「まあいいわ。前口上はこれくらいでいいにしましょう。いよいよ投票始めるわよ。投票は記名投票でいくから!」

 涼宮ハルヒが宣言した。

 聞いてないぞこんなのは!


「ちょっと待て」僕は涼宮ハルヒを制止する。

「なによ藤原」

「佐々木の話しの意味を理解できなかったのか? 記名とは誰が誰に入れたか明確になるってことだ」

「当たり前じゃない」

「そうじゃない。その後はどうなる? しこりが残り対立が起こる可能性は考えないのか? 入れてくれると思っていた人間が入れてくれなかっただとか、人間には感情というものがある」

「くーちゃん、どう思う?」涼宮ハルヒがよりにもよって九曜に振った。

「問題は——無いから——」

「ほら問題ないって」あっさりと納得したように涼宮ハルヒが言った。

 そいつの言うことが参考になるのか⁉

「佐々木はどう?」今度は涼宮ハルヒは佐々木さんに尋ねていた。

「なにぶんにも票数は五つだけだ。筆跡から誰が誰に入れたか記名など入れなくても解ってしまう。なら最初から記名にしておいた方が後々起こりかねないつまらない猜疑心を抑止できると思うね」

「はいはいはいはいっ。あたし〝記名投票〟に賛成します!」橘京子が寸分の迷いそうも無さそうに言い切った。

 堂々と佐々木さんに入れられる立場の人間は羨ましい。


「じゃあ始めるわよ」

 そう宣言すると涼宮ハルヒは携行してきたショルダーバッグの中から長方形の紙片五枚と水性ボールペンを一本、そして少しばかり大きめの郵便用の封筒を取りだした。


「いい? 一方の面に候補者の名前を書く。あっ候補はあたしと佐々木の二人しかいないわけだから関係の無い名前を書かないこと。そして裏面の隅に自分の名前をハッキリと明記すること。明記しない場合有効票になるまで書き直させるからね。なにか質問ある?」

「あの〜ここでそれ書くんでしょうか?」橘京子がおっかなびっくりと訊いた。

「そうそう。言い忘れていたわ。投票者はトイレに行って記入してくること!」


 トイレに持ち込んだ紙を再びこの場に持ち帰るのはどうかと思うがな。


「う〜ん。そこは見えないところならどこでも、ということでいいかなあ」と佐々木さんが突っ込んだ。

「うん、まあ佐々木の言うことももっともね。トイレに通じてる通路とかこの席から見えないようにして書くといいわ。あっ、それから書いた紙はこの封筒の中に速やかに入れなさい。これ投票箱の代わりだから」

 そう言いながら涼宮ハルヒは封筒の口を開いてみせた。


「それじゃああたしから投票を始めるから」

 そう宣言するやいなや涼宮ハルヒはさっそく立ち上がっていた。一方的に仕切ってるな。


 そして遂に運命の投票が始まってしまった。

 僕は投票用紙に『涼宮ハルヒ』と書かねばならない。自分の署名と共に。それが周防九曜の要求だ。


 選挙の結果など投票前から既に解っている。

 3票対2票で涼宮ハルヒの勝ち、だ。


 問題はその後なんだ。

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