第6話【コーヒー奢るよ】

 土曜日が来た。そして既に午後だ。

 僕が例によって九曜のマンションで朝刊を読んでいると、〝チャっ〟と音を立てバスルームのドアが開いた。


 九曜を先頭に佐々木さん、橘京子と、女が三人もぞろぞろとバスルームから出てきた。こんな所を出入り口にされると風呂を使いにくくてしょうがないが……


「やあ藤原くん、相変わらずここは変わっているねえ」と屈託なく佐々木さんが言った。〝変わってる〟とは『とことん何もない部屋』という意味だろう。

「おかげさまで安全に暮らしている」と、僕は感謝を述べた。

「時に君はここでいつも何をして過ごしているんだい?」

「見ての通り、紙の新聞を隅から隅まで熟読している。あとは、食事の時間に食事するだけさ」

「こう言ってはなんだけど、いつまでも君にこういった生活をさせておくわけにはいかないな。いずれあるべき身の振り方についてみんなで考えないとね」

「さあ、そんな振り方があるのかどうかは解らないが、そちらこそこんな用事で引っ張り出されて学業に支障は起こらないのか?」

「まあたまに遊んでも支障が起こらないように普段から勉強はきっちり入れているつもりだけど、あくまで〝つもり〟だから客観的には解らない」

「フン、あんたらしいな」

「僕は常に僕らしくありたいと思っているからね。でも客観的になにが僕らしいのかは皆目解らない。『僕らしい』とは自分で思っているだけさ」

「あの〜、藤原さん、涼宮さんだけいないようですけど……」と、橘京子が話しに割り込んできた。ちょうどいい。佐々木さんの話しはあの過去人でなければ受けきれない。

「さあな、僕には解らない」、橘京子にはそう答えた。事実その通りだしな。

「えっ、でもこっちの『12月18日からの世界』にいっしょにいるんですよね?」と橘京子が口にした時、

「涼宮さん——は——建物の——外で、待ってる——」と九曜が喋りだした。

 まあそういうことだ。涼宮ハルヒの行動は九曜が把握している。僕の方はこの弱い立場故に振り回されるだけだ。

「涼宮さんにはなにか考えがあるみたいだね。じゃあ行ってみようか」

 佐々木さんがそう音頭を取ると、皆が九曜のマンションから外に出ようと動き出す。自ら立候補はしなかったというがリーダーシップは、ある。


 だがこの選挙、ウラがある。むろん九曜は僕と目も合わせず素知らぬフリを決め込んでいる。


 マンションの玄関の前には既に涼宮ハルヒが長い髪をたなびかせ仁王立ちしていた。

「やあ涼宮さん、ずいぶん久しぶりだね」佐々木さんが声を掛けた。

「ホント、どこまで『おひさ』なのかって感じよね。偽SOS団造りっぱなしでいきなり開店休業だったじゃない!」

「開店休業はひどいな。結成直後から大事件に巻き込まれていたじゃないか」

「でも活動回数はその一回だけ。ようやく今日で二回目じゃない」

「とは言え本家SOS団のように放課後に気軽に集まれないしね。ここいらは今後の課題かな」

「まあそこは団長の方針次第ね」

「そうそう、今日決めるんだよね?」

「その通りよ。いい? あらかじめみんなに釘差しておくけど、団長の意向は絶対だから。でないとSOS団に対抗できないわ! 解っているわよね?」

「え? 絶対なんですか?」と口に出してしまったのは橘京子。

「なに? 京子。あんたまさか謀反を企んでいるんじゃないでしょうね?」

「そっ、いう訳じゃないですけど、『絶対』ってのが……」

「別にあたしの命令が絶対だなんて言ってない。団長命令が絶対なのよ。この差異、解ってる?」

「あっ、もちろんです」

 威圧され橘京子は反射的に返事したようだった。既に誰が団長に就任するか密かにレールを敷いているくせにな。

「佐々木、くーちゃん、藤原、みんなも解ってるよね?」

「解っているさ」と佐々木さんは笑みを浮かべて言い、九曜は異議を唱えないことをもって応え、僕はといえば、

「ああ」と生返事気味の反応をしてしまった。

 涼宮ハルヒは満足そうに肯いて、

「じゃああたしについてきて」、と言うとくるっと身体の向きを変え歩き始めた。


 今度は涼宮ハルヒが先頭か。これはリーダーシップの競い合いなのか?


「あの〜、涼宮さん、どこへ行くんですかぁ〜」、と橘京子がおどおどと尋ねた。

 その問いの言外に意味するところとは、なぜこんなに暑い中わざわざ外に出かけるのか、ということだろう。近頃杖の使い方にも慣れたとはいえ足の自由があまり利かない僕としても長距離になる移動は歓迎しない。どこへ行くつもりかは僕も知りたいと思っていたところだ。


「喫茶——店——」

 涼宮ハルヒの代わりに九曜が返事をしていた。今さらながらに目を疑うが、この暑い中黒ブレザーを平然と着用している。

 それはともかく九曜が公然と返事をしているが『大丈夫なのか?』と心配になる。これでは投票前から涼宮ハルヒと九曜が通じているのがばればれだ。

「喫茶店かあ、SOS団と言えば喫茶店、喫茶店と言えばSOS団ということだね」、佐々木さんが言った。

「佐々木、ちょっと。ウチは〝偽〟がつくSOS団だから。ただのSOS団じゃないのよ」涼宮ハルヒがくだらないことで釘を刺した。


 しかし、行き先が〝喫茶店〟だと知ってしまった以上、僕は言っておかねばならないことがある。本当は図書館あたりでやってくれればいいのだが。

「涼宮、喫茶店のことだが、僕にはお金が無い」

「そんなの解ってるわよ。あたしが奢ってあげるから安心しなさい。ああ、藤原の分は割り勘にしなくていいから。女子みんなから驕られたなんて、あんたの神経じゃ耐えられそうにないしね」

 涼宮ハルヒから配慮らしきことをされてしまった。


 くっくっくっくっ、とここで佐々木さんが笑い出した。

「なによ、佐々木」

「涼宮さん、ひどいな。これから投票だってのに。それじゃあコーヒーの賄賂だよ。藤原くんのコーヒー代、僕にも半分出させてくれ」

「なっ、なに言ってんのよ。あたしがそんな手を使うわけないでしょっ! でもまあそんなにコーヒー代を払いたいのなら止めはしないわ。あたしの財布にも優しいし」

「じゃあそういうことにしよう」と佐々木さんは朗らかに言った。


 佐々木さんが涼宮ハルヒと話しをしている時、橘京子はその会話に入っていくことができずただ黙って後ろからついて行くのみ。九曜も暑苦しい服装のまま滑るように後ろからついて行く。

 その様子を最後尾から見ているのが僕だ。


 佐々木さんと涼宮ハルヒの仲はいい。端で見ている分にそう見える。

 だがこの後一時間あとも、仲がいいんだろうか?



 仕事上の致命的なしくじりで途方に暮れていた朝比奈みくるを『保護しよう』と最初に言いだしたのは佐々木さんだ。

 そして流浪のお尋ね者へと身をやつしたこの僕に世話を焼き、当面の居場所の確保のために動いてくれたのも佐々木さんだ。

「袖触れ合うも多生の縁だよ」と、カビたような格言を口にして。こっちはあんたの閉鎖空間を利用しようとしただけのテロリストだってのにな。

 だから僕はあの過去人と一時間も会話をし続けたのだ。それは佐々木さんの頼みだったから。


 さて、そんな僕が選挙で涼宮ハルヒに投票してしまったら佐々木さんはどう思う?

 僕が『12月18日からの世界』に常駐しているため顔を合わせる機会は涼宮ハルヒの方が圧倒的に多いが、それはただ〝見慣れているだけ〟というだけのことだ。


 佐々木さんと涼宮ハルヒは喫茶店までの道すがら絶えることなく延々と喋っていた。お互いに話す時間と聞く時間、ほぼ等しいように感じる。

 足の悪い僕のために歩く速度は抑えてくれているようで、その分喋る時間も伸びている。



 そして着いてしまった。喫茶店に。

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