第5話【女難の者】
朝が来た。
僕は昨日涼宮ハルヒからメモを渡されており、涼宮ハルヒの携帯型情報端末へのアクセスナンバーは把握している。単純に言うと電話番号だ。
僕は携帯型情報端末を所持していない。故に外出を余儀なくされる。『公衆電話』と呼称される通信装置のところまで足を運ばねばならない。
どこが一番近い? 駅か? しかしそこまで行くと光陽園学院とやらに直接行った方が若干近いかもしれない。だが通学中の生徒がゾロゾロと集まってくる校門前に僕は立ってなどいたくない。
駅だな。そう判断した。
◇
「もしもし、涼宮か? 藤原だが」
今僕は駅の公衆電話から連絡を入れているところだ。
〝あんたなにこんなに早くから掛けてきてんのよ〟、と涼宮ハルヒの不機嫌そうな声が戻ってきた。
「例の団長選挙について話したいことがある」
〝朝は忙しいんだから放課後にしてよね〟
「放課後か、解った」
〝なにが解ったっていうのよ?〟
「どういう意味だ?」
〝なんであたしが男が一人暮らししてるマンションにノコノコ出かけるのよ。なんだと思ってるわけ? 用があるならあんたがあたしの所に来なさい〟
どうやら『涼宮ハルヒ自身が用のある場合』と、『僕が用のある場合』とは同じにならないらしい。
「図書館あたりでいいか?」
〝めんどくさいから三時半から四時くらいの間に校門前で立ってなさい。オーヴァー〟、という声とともに通話が切られた。
最悪だ。
校門前に立ってなどいたくないからわざわざ駅まで出向いて涼宮ハルヒの携帯型情報端末に連絡を入れてるというのに、アイツは僕が嫌がる選択肢を意図的に選んでいるんじゃないのか?
涼宮ハルヒと不本意な約束をしてしまったが、約束をしてしまった以上破るという選択肢は無い。
昨日の九曜といい、女に一方的に約束をされてしまいその約束の履行を迫られるとは……
まあ周防九曜は女じゃないということにしておこう。
九曜のマンションに立ち戻り昼をまたしてもレトルト食品で済ませ、僕は部屋の壁に掛かる時計をじっと見上げている。
そろそろか。
僕はマンションを出る。ここから光陽園学院へは意外に近い。
◇
光陽園学院正門前。
次々と校内から掃き出されるように人が出てくる。さっきから校門の所に立っている守衛がチラチラと僕を見ている。
県下有数の進学校とやらの正門前に立つ不審人物がこの僕だ。なにかこの学校に遺恨でもあると思われているんだろうか。
律儀に早く来すぎた。僕は十五時二〇分頃からここに立っている。最悪四〇分間もここにいることになる。
その時だ。
「ふっじわらさんっ」
不意に背後から声を掛けられ僕は後ずさりするように身体を反転させていた。
「どうしたんですかあ? そんなびっくりした顔して」
慌てる必要は全く無かった。その声は既に僕がよく知っている声だったから。
そこに立っていたのはどこか抜けたところのある超能力者、橘京子だった。なんだか妙に明るい。
「お前がなぜここにいる?」
「なぜって、九曜さんに連れてきてもらったからに決まってるじゃないですか。ここは『12月18日からの世界』なんですから」
「九曜の姿が見えないが」
そう、九曜がいなかったら橘京子がここにいられるわけがない。『北高の涼宮ハルヒがいる世界』と、ここ『12月18日からの世界』はつながっている世界同士ではない。かつてはつながっていたが今は断線した世界同士だ。
周防九曜のみが唯一人、このふたつの世界の間を自在に行き来できる。ただし、九曜がいればいいというわけではなく、九曜が金属製の筆記用具のような物体を振り回すことによって異世界間の移動を可能としている。その物体の正体は不明だ。
「九曜さんならあたしをここに連れてきてすぐ帰りましたけど。なんかいろいろ忙しいみたいで」
「訊き方が悪かったな。ここにはなんの用事でいる?」
「え? 藤原さん知らないんですか? 偽SOS団団長選挙の投票日についてですけど」
は?
「佐々木は?」
「その佐々木さんに日取りを決めてきて欲しいって頼まれちゃって。なんか一流進学校の生徒っていろいろと忙しいみたいですよ」
そう言った橘京子はごく普通レベルの高校生であろうと推察されるが、どこにも暗い怨念が見受けられない。
僕の中は『やられた!』、という感想だけだ。機先を制された! 昨日の時点で九曜が佐々木さんと橘京子に団長選挙のことを通知したに違いない。
僕は選挙の中止を涼宮ハルヒ申し入れるためにこんなところに立っているのに既に佐々木さんは団長選挙をやるってことを知ってしまっている。
団員全員が団長選挙の実施を知ってしまった以上、今さら中止することは難しい。そんなことを僕が言い出せば『中止しなければならない理由』を問われるに決まってる。
その時僕は『この選挙は投票前から結果が決まってる出来レースだからだ!』とは言えないだろう。
「どうしたんですかあ? 藤原さん。なんだかずいぶん蔭のある顔をしてますけど」
「そっちこそ僕とは逆にやけに明るいじゃないか」
「解ります? 実はあたし、佐々木さんの推薦人なんです! 『佐々木さんが団長になるべき』って推したのあたしです。なんだか最初は立候補をするつもりが無くて『涼宮さんがふさわしいんじゃないか』なんて言っていたんですけど、あたしが『推薦していいですか?』って言ったら『京子が言うなら仕方ないなあ』って言ってくれたんです! 佐々木さんこそリーダーにふさわしいって思います。この考えは不変ですっ。藤原さんっ、佐々木さんに清き一票をお願いしますっ。藤原さんが入れてくれたら過半数が獲れるんですっ!」
「そーはいかないわよ、京子」
びくっっ、と身体が身構えた。またも突然背後から声が飛んできた。
驚いたのは橘京子も同じだったらしく『はうっ』と小さく妙なため息(?)が僕の耳に入ってきた。
そこに立っていたのは涼宮ハルヒと、優男顔の高校生の二人。見覚えがある。コイツSOS団にいたよな?
僕がその男の顔を見ていることに涼宮ハルヒが気がついたようだ。
「ああ藤原、こっちは古泉くんよ。ただし光陽園学院に通ってる古泉くんだけどね」
『ただし——』、で言わんとしていることに察しがついた。
コイツは目の前の涼宮ハルヒと同じく間違いなく普通の人間だということだ。
「古泉くんはね、『どうしても心配だ』って言ってここまで来ちゃったってわけ」とさらに涼宮ハルヒが補足した。
どうせ学校にも行かずブラブラしている男が校門前で待ち伏せしているとかそういう認識なんだろう。だって、〝古泉くん〟とやらの顔にそう書いてあるんだからな。
「橘京子がいて驚いた」僕は思ったことを率直に言った。
「下校時の校門前にあんたみたいな男を一人で立たせておくのは罰ゲームにしかならないからよ」
一応僕に対する配慮をにじませているが、そういう感じがまるでしない。今朝僕が涼宮ハルヒに連絡を入れてしまったことで対処するだけの時間的余裕を与えてしまった可能性がある。引き延ばし工作にまんまと嵌まったかもしれない。
「単刀直入に用件を言うわよ。投票日は今週の土曜。時刻は午後。場所はこっちの世界だから」
涼宮ハルヒはそう宣言した。
「あの〜投票とは?」と、古泉という男が口にした。
「ああ、偽SOS団の団長選挙よ。古泉くんには関係ないけど」
あっさりと涼宮ハルヒが非道いことを口にした。古泉という男は実に微妙な顔をしていた。訊きたいこともあるだろう。例えば『偽SOS団ってなんですか?』ってな。
だが古泉という男は深入りをしなかった。
「はぁ、なるほど」と言ったきりだった。
十分の一くらいは『入りたい』と言い出す可能性はあったと感じたが、そう言うこともなかった。
「あの、佐々木さんがその日は都合が悪いと言ったら……」と橘京子が言い掛けた瞬間に、
「ダメよ」とひと言涼宮ハルヒはぴしゃりと言った。
「じゃあ古泉くん、こっちの用事は済んだわ。土曜日は大イベントがあるんだからその分今週はみっちり勉強を入れないと」
と、まるで優等生みたいな台詞を涼宮ハルヒは吐いて、僕と橘京子に大きく手を振りながら歩き去っていった。むろん古泉という男を引き連れて。
「あぁ、行っちゃいましたねえ……」と橘京子が呟くように言った。
「人をわざわざこんなところまで呼び寄せてたったこれだけとはな」、と思わず橘京子に相づちを打つようなことを僕は言っていた。だが橘京子からの反応が返ってこない。
僕が橘京子の方を見ると、ようやく気づいたのか橘京子は、
「とても不思議だなぁ、って思っちゃって」と口にした。
「不思議?」
「だってよく知ってる人と同じ顔の人がいるのにまったくの別人だなんて」
ようやく合点がいった。古泉という男の方か。なにしろ涼宮ハルヒの方は二人いるところを僕も橘京子も既に見ているからな。もう慣れてしまった。
「そう言えばもう一人の橘京子もこの世界にいるはずだろう?」僕はつまらないことを訊いた。
「いるん……でしょうね。あたしのそっくりさん……、いや違うか、もう一人のあたしが」
「会ってみたいと思うか?」またつまらないことを訊いた。
「あんまり、会いたくないかなぁ……。涼宮さんはわりと平気に見えるけど……あたしはあまり客観的に自分を見たくないというか……」
その考えには同意だな。口にはしないが。
「っていうより、藤原さんなにかおかしくないですか?」
「いや、別に気のせいだ」
「それよりも選挙は佐々木さんですよね? 佐々木さんこそリーダーにふさわしい……っていうか藤原さんには『佐々木さんをリーダーにしないと涼宮さんに仕切られてしまうんですよ』って言った方がいいのかな。だからもちろん佐々木さんを選んでくれますよね?」
橘京子は合理的にものを考えたと言える。僕も同感だ。
だが僕は最初から合理的に振る舞いにくい立場に立たされている。
「敢えてノーコメントだ」
僕は言った。
「まさか藤原さん……偽SOS団団長に立候補するつもりじゃ……」
「誰がするか! 僕はそんな立場など進んで選ぶつもりはない」
「じゃあ誰かに勧められたら選ぶとか?」
「揚げ足を取るな。僕は立候補のつもりはないし、誰も僕を推薦はしない」
「ならどうしてノーコメントなんです?」
「民主主義であるためには投票の秘密が保証されていることが必須条件だ。誰が誰に入れたか解らないように、敢えてノーコメントということだ」僕はそう言った。
橘京子はようやく黙り込んだが顔には『不平』と文字が書いてあるようだった。
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