第2話【周防九曜、帰ってくる】
僕が読む新聞が夕刊になっている。既にレトルト食品で夕食は済ませている。
女になにかをするよう言われ、言われた通りになにかをしてやるというのは屈辱だ。
僕がかつてこの世から消そうとした人間、涼宮ハルヒ。
それとまったく同じ顔をした女から用事を言いつけられ唯々諾々と従う僕。
フン、あの過去人に言ったことがいま正にそっくりそのまま僕自身に跳ね返ってきたようだ。
その時だ。チャっとドアが開く音がした。九曜がすうっとバスルーム、つまり風呂場から出てきた。こちらに現れる時は必ずバスルームの中から出てくる。もはや怪奇現象以外のなにものでもない。九曜と会うのは何日ぶりだろう。もう七月も中旬だというのに冬服、つまり全身黒衣の制服を着続けている。
九曜はわざわざ僕のほんの目の前に正座し今朝の朝刊を広げ始めている。毎度のことだがこの座り位置、どうにかならないのか? 本当に涼宮ハルヒと同じような行動をする。どうにも気になる。
「衣替えは?」
僕がそう口にすると九曜は朝刊を繰る手を完全に止めた。
「した」
「いや、してないだろう」
「通学時には——夏服にしている」
「それをわざわざ冬服に着替えて暑くないのか?」
「これが——わたし、だから」
「〝黒〟が好きなのか?」
九曜はなぜだか僕の方をまっすぐ正視したまま静止していた。いや、九曜の好みなど訊いても仕方がないのだ。
「答えなくていい」僕はこの話しを一旦区切る。その言葉を待っていたかのように九曜は再び朝刊に目を落とす。
九曜が決まっていつもバスルームの中から現れるので微妙に気まずい空気になる。別に使用して出てくるわけじゃないが。
とは言え不必要に長く質量のありすぎるくらいあるこの髪は、マメに手入れをしなければこんなにサラサラしているはずもないが、どうも人並みに身づくろいに興味があるとも思えない。
そう言うだけの根拠はその着ている服だ。この黒い制服がよほど気に入ってしまったのか来ている服が常にこれだ。寝るときもこの服を着て寝るのか?
もはやとっくにカレンダー上も夏だが日常で黒ブレザーを着続けているということは暑さを感じないのだろうか。今日涼宮ハルヒの着ていた制服は夏服だったというのに。
そしてバスルームから出てきた九曜は決まっていつも僕のすぐ目の前に正座する。その距離は必ず1メートルほど。それを取り繕うためについつまらないことを話しかけてしまう。
人間社会に人間でないものが紛れ込むというフィクションがある。この手のフィクションの怖さは本当は人間ではないのにそれが人間にしか見えないところにある。
だが周防九曜はどうだ。形こそ忠実に地球人・東洋系の女子をトレースしてあるが簡単に『なにかが違う』ことが解ってしまう。
なにも僕だけに備わった特殊能力とかじゃない。
九曜が大事にしている腕時計。ほんの僅かの期間付き合った恋人から貰ったという。だがその元恋人は街で九曜と遭遇して顔色を変えて逃げ出したというではないか。
聞けばその元恋人とは九曜の方から振って終わったらしい。
振られた男は普通追いかけるもので、逃げ出すなど尋常じゃない。
本当に怖かった、ということだ。
だがその宇宙人が人間のような顔を見せる時がある。
この世界の涼宮ハルヒ。即ち光陽園学院という高校に通う涼宮ハルヒが来るときその表情に僅かの変化が現れる。
世界を変える力も何も持たないただの普通の人間なのに実に奇妙だ。
僕はその僅かに人間らしい表情を見せた周防九曜を見てかろうじて精神の均衡を保っている。
僕は涼宮ハルヒとの約束を忠実に守る。
「九曜、」
九曜は読んでいた朝刊から目を離し僕を見る。続けて僕は言った。
「この世界の涼宮ハルヒがお前に用があるらしい」
九曜は僕の方に顔を向け、じっと僕の顔を見たまま。
反応したらどうだ? しかたがないので、
「連絡が欲しいそうだ」と続けて僕は言った。
九曜は肯くでもなく僅かに首を傾ける。もはや敢えて突っ込みもしないが光陽園学院の涼宮ハルヒがやって来た正にその日のうちに九曜が来るってのはおかしいのだ。九曜は普段からこの『12月18日からの世界』に住んでるわけじゃないのだから。
僕がなにかを言わなくても周防九曜は全てを知っている。
九曜はスマートフォンというこの時代この世界の通信手段を取り出し操作をし唐突に、
「ただいま——」と音声を発した。
掛けている相手は確実に光陽園学院の涼宮ハルヒ。そして相変わらず言うことが変だ。
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