異聞

避難小屋 ―― 第三十三話・異聞

 I県内の役所に勤めているGさんが、休暇を利用して、仲間と二人で冬山に登った時のことだ。

 早朝は何事もなかったが、正午を回った頃から思いがけず天候が荒れ、一帯はひどい降雪に見舞われた。

 このまま歩き続けるのは危険だった。幸い近くに避難小屋があったため、当初の予定を変更して、そちらに向かった。

 木造の小さな小屋だった。二人が中に入ると、すでに先客が一人いて、ストーブに当たっていた。

 五十がらみのガッシリとした男性で、雪焼けした顔が、いかにも山慣れしていそうな印象を与える。話してみると、実際にこの山には何度も登っていて、避難小屋を利用するのも初めてではないと言う。

 心強い味方ができて、二人は安堵した。

 雪は降りやまない。このまま泊まっていった方がいいだろう、と先客の男性が言った。

 やがて日が落ちてくると、小屋の中は異様に黒々としてきた。Gさんは、いくつかある窓のすべてが黒い布で覆われていることに、今さら気づいた。

「これはカーテンの代わりですか?」

「外さない方がいいよ。嫌なものを見る」

 黒布は、男性がピンで留めて取りつけたものだった。

「嫌なもの?」

「女だよ。窓にな、べったりと張りつくんだ」

 男性は、それ以上は何も言わなかった。

 夜が更け、彼は先に寝息を立て始めた。

 いやに冷え込む夜だった。ストーブの温もりは、雪に閉ざされた黒い小屋の中では、あまりに弱々しい。

 Gさんは仲間と二人で、布に覆われた窓をじっと見つめていた。

 捲ってみよう――と、どちらが言い出したのかは覚えてない。危険だという意識はなかった。初めての避難小屋泊まりで、気分が高揚していたせいだろう。

 窓の一つに近寄り、そっと布をたくし上げた。

 ……何もいない。

 窓に張りつく女など、影も形もない。からかわれたのだと気づき、二人は笑って、寝袋に入った。


 翌朝目を覚ますと、雪はやみ、白銀の世界にまばゆい日差しが降り注いでいた。

 あの男性はすでにいなかった。先に出ていったのだろう。

 窓の布はそのままになっていた。Gさん達は迷ったものの、こういうところではきちんと片づけておくのがマナーだろうと思い、すべての布を窓から取り去った。

 小屋の中は、ずいぶんと明るくなった。

 最後に荷物をまとめて表に出た。思わぬアクシデントに見舞われてしまったが、あとは元来た道を下山するだけだ。天候も落ち着いているし、問題ないだろう。

「せっかくだから記念写真でも撮るか」

 Gさんはカメラを構えて、避難小屋の方を振り返った。

 ……女がいた。

 ……何人もいた。

 小屋のから、窓という窓すべてにべったりと張りついて、揃って真っ白な顔で、こちらを見つめていた。

 Gさん達はすぐに目を逸らし、ものも言わずに山道を下りていったそうだ。



   * * *


 第三十三話の没バージョン。モチーフが「雪女」なので、雪山の怪談を書いてみたが、内容があまりにもありきたりになってしまったので、不採用とした。

 もっとも今見返してみると、これはこれでシンプルでいいのかな、とも思う。

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