第百四十一話から第百五十五話の厄落とし

※この項では、『夜行奇談』第百四十一話から第百五十五話までのネタバレが含まれています。該当するエピソードをお読みになった上で、ご覧下さい。


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 『夜行奇談』第百四十一話から第百五十五話は、鳥山石燕「画図百鬼夜行」シリーズの九冊目となる『今昔百鬼拾遺 雨』に収録された妖怪画十五点をモチーフにしている。

 以下に、各話のタイトルと、モチーフとなった絵のタイトル(妖怪名)を、合わせて記す。


●第百四十一話 ある都市伝説 ―― じょうもんのおに

 平安時代、京の羅城門に巣食っていたという鬼。わたなべのつなに腕を斬り落とされた話で知られる。ただしこの物語のベースになっているのは、『平家物語』にあるいちじょうもどりばしの鬼の話で、本来は羅城門ではなく橋に現れた鬼である。

 この戻橋の鬼は、女に化けて渡辺綱を襲おうとするが、逆に片腕を斬り落とされ逃げ去る。綱は鬼の腕を持ち帰り、陰陽師・べの晴明せいめいの助言に従って、七日間のものみをおこなうことにする。だが家に籠ってから六日目になって、綱の乳母が訪ねてきた。物忌み中とは言え追い返すわけにも行かず、やむなく乳母を家に入れた綱は、話の流れでつい鬼の腕を見せてしまう。すると、その途端乳母は鬼と化し、腕をつかんで飛び去っていった。この乳母は、自分の腕を取り返すために鬼が化けた偽物だったのだ。

 この鬼を『夜行奇談』で再現する上で、やはり真っ先に思い浮かんだのは、カシマレイコだった。そこで作中に登場する怪異「真っ赤な女の子」は、カシマレイコを意図的に彷彿ぼうふつさせるようにしつつ、「W(渡辺綱)君に取られた片腕を奪い返しにくる」キャラクターとして書いている。

 また作中の橋は、もちろん一条戻橋をイメージしたものである。さらに、夜中に寝室を訪ねてくる母も、綱を訪ねてきた乳母(鬼)を再現している。

 一方で、訪ねてきた際に鎌を持っていたり、最終的に夢が伝播したりなど、カシマレイコのような都市伝説の要素も意識してミックスした。鬼とカシマレイコ、両者の親和性が高かったためか、いい感じにまとまった気がする。


●第百四十二話 岩の上に ―― なきのいし

 一般的には「夜泣き石」の名で知られる。文字どおり夜に泣き声を発する岩で、日本各地に言い伝えがあるが、中でも有名なのが、石燕も絵に描いている、静岡県小夜さよの中山に伝わる夜泣き石だ。

 ――ある身重の女が小夜の中山を歩いていたところ、金品を狙った山賊に斬り殺されてしまう。しかし腹の中の子供はかんおんさつによって救い出され、飴を与えられてすくすくと育ち、後に母の仇を討ったという。

 この話の中には、殺された女の霊がそばにあった丸石に乗り移り、夜な夜な泣き続けたというくだりがある。これが夜泣き石というわけだ。

 『夜行奇談』では、この小夜の中山の伝説にならい、岩の上で首を吊った妊婦の幽霊が泣き声を上げる、という形にした。主人公の青年は、原典では観世音菩薩に育てられて母の仇を討った人物に当たる。

 少女の子供が生存していて、実はそれが主人公だった――としてしまうと、だいぶ作り話感が強くなってしまうので、そこは抑えるようにした。


●第百四十三話 庭女 ―― しょうのせい

 芭蕉の精霊で、怪を為すとされる。石燕は謡曲「芭蕉」を参考にして、芭蕉が人に化けることを挙げている。また沖縄では、芭蕉が女に化けて人を驚かせたり、逆に男に化けて女を妊娠させたりするという。

 『夜行奇談』では、庭に植わった芭蕉が女の姿に化け、そのまま庭の隅ですくすくと育っていく、という一発ネタのエピソードにした。

 正直に言えば、ふと思いついた「庭女」というオリジナルの妖怪名が何だか気に入ったので、そのまま簡単な怪談に仕立てた次第である。


●第百四十四話 テラリウム ―― すずりたましい

 石燕の創作妖怪の一つ。硯の中に波が立ち、小さな源平が現れて戦を繰り広げる様が描かれている。

 この硯は赤間あかまがせき(現在のしものせき)で作られたものだという。同地は硯の名産地として知られると同時に、平家の没した地でもある。石燕はこれを踏まえて、「硯の魂」なる妖怪を創作したのだろう。

 『夜行奇談』では、硯は直接出てこないが、河原の石が小さな水死者の姿を見せるという形で、硯の魂と同じ怪異を再現してみた。

 それにしても、テラリウムというのは美しい。僕は根気がなく、生き物を扱う趣味には向かないので、実際に挑戦してみるつもりはないが、下調べでテラリウムの写真を眺めているだけでも、かなり楽しかった。


●第百四十五話 覗くもの ―― びょうのぞき

 石燕の創作妖怪の一つで、女の幽霊のようなものが、屏風の上から布団を覗く姿が描かれている。どうやらこれは、男女間のもつれから生まれたものらしい。

 特に石燕は解説文の中で、男女の情交をほのめかしている。もしかしたら屏風闚は、まさに「その種の行為」を覗くものなのかもしれない。

 もっとも『夜行奇談』では、男女のもつれとは何の関係もないエピソードになった。現代において屏風に該当するものとして、病室のベッドの横にあるカーテンが思い浮かんだので、そこから怪しいナースが覗く、という形にしたわけだ。

 なお作中では、敢えて「看護婦」という言葉を使っているが、これはあくまで怪異が女であることを示すためだ。「女性看護師」といちいち断りを入れると締まらないし、「ナース」では怪談の雰囲気が損なわれてしまう。せっかく「看護婦」と一言で表せる単語があるのだから、やはりそれを使うべきだと思う。


●第百四十六話 珍獣 ―― 毛羽毛けうけげん

 石燕の創作妖怪の一つ。全身に長い毛を生やしており、「希有希見」とも書いて、非常に希なものだという。

 石燕は解説文の中で、この毛羽毛現を「もうじょのごとく」と書いている。毛女というのは古代中国の仙女で、元は秦の始皇帝に仕える官女だったが、秦が滅んだため山に逃げ、そこで仙人になったという人物である。

 『夜行奇談』では、「希なもの」「毛女」の二つのキーワードから連想して、動物園の珍獣コーナーに毛だらけの怪女が紛れ込んでいた――というエピソードに仕立ててみた。

 石燕の絵では、毛羽毛現は獣のような姿をしている。動物園に紛れていても違和感がないが、敢えて人型にすることで怪談っぽくしてある。


●第百四十七話 見ている ―― 目目連もくもくれん

 石燕の創作妖怪の一つで、空き家の破れ障子に無数の目が現れた様が描かれている。石燕はこの家を、碁打ちの住んでいた跡だろうと述べている。

 これは障子を碁盤に見立てて、囲碁における「眼」を表した洒落だと思われる。

 『夜行奇談』では、「囲碁」「目」という要素から連想して、ゲームを観戦する怪異として登場させてみた。連載し始めた頃の構想段階では、ネットゲームに耽る主人公の背後にびっしりと現れていた、という話にしようと思っていたが、僕がここ数年でゲームの実況動画を見るようになったため、その影響から作中のような形になった。

 僕自身、ゲームをプレイする時は深夜が多い。だいたい夢中になっているので背後は気にしないが、もしその時振り返ったら――。


●第百四十八話 悪い水 ―― きょうこつ

 石燕の創作妖怪の一つ。井戸の中の白骨で、はなはだしい恨みを抱いているという。また「きょうこつ」は、甚だしいことを言うことわざでもあり、その語源はこの狂骨だと石燕は述べている。

 つまり言い換えれば、石燕は「きょうこつ」という言葉をベースにして、この「狂骨」を創作したのだろう。

 『夜行奇談』では、井戸ならぬ給水塔に隠された「悪いもの」が、団地の住人に無差別に被害をもたらす、という話にしてみた。もっとも、さすがに給水塔に白骨があっては大事件になるので、そこは呪詛の文字のみに留めた次第だ。


●第百四十九話 雪化粧 ―― くらべ

 『平家物語』に登場する怪異に、石燕が独自の名を付けたもの。

 ある朝、たいらの清盛きよもりが庭を見ると、無数の髑髏どくろがびっしりと景色を埋め尽くし、うごめいている。髑髏はやがて集まり、巨大な一つの髑髏になって、清盛を睨んできた。しかし清盛が強く睨み返すと、髑髏はパッと消えてしまったという。

 月岡つきおか芳年よしとしの錦絵では、「庭に積もった雪が髑髏のようになる」という形で、この怪異を表現している。『夜行奇談』でのエピソードは、この芳年の絵の影響を受けたものになっている。


●第百五十話 前を行くもの ―― うしろがみ

 石燕の創作妖怪の一つ。女の姿で、顔はのっぺらぼうだが後頭部に目があり、背を逸らせることで前に屈んでいるかのような姿勢を取っている。……と、言葉で説明するとややこしいので、ぜひ画像検索などで実際の絵を見ていただきたい。

 この後神は、前にいるかと思えば忽然こつぜんと後ろにいて、人の後ろ髪を引くという。要するに「後ろ髪」という言葉に引っかけた洒落なのだろう。

 『夜行奇談』作中でも、概ね後神の特徴を再現する形で登場させてみた。……ただし、後ろ向きで歩いてきたり、前にいると思ったら後ろにもいたり、という描写は、三津田信三氏の『厭魅まじものの如き憑くもの』に書かれたある怪談の影響を受けていることを、正直に告白しておく。


●第百五十一話 通勤ラッシュ ―― いや

 石燕の創作妖怪の一つ。後ろ姿だけ見ると美しい女のようだが、顔はろうという姿をしている。石燕は、漢の東方朔とうぼうさくが怪しい虫を見て「怪我かいさい」と名付けたという逸話を踏まえて、この妖怪を「否哉」と名付けた、としている。

 ともあれ、見た目だけで言えばただの女装爺なので、『夜行奇談』ではアレンジを加えて、老爺ならぬミイラのようなものとしてみた。もっとも原典に倣うならば、この幽霊(?)はれっきとした男性ということになる……のかもしれない。


●第百五十二話 真夜中の出来事 ―― 方相ほうそう

 古代中国由来の鬼神。金色に光る四つの目を持ち、手にした矛と盾で悪鬼を追い払う。宮中では、人がこの方相氏に扮して悪鬼を退散させる行事があり、これを「つい」といって、節分の原型になったとされる。

 節分は文字どおり季節の変わり目であり、鬼、一つ目小僧、ぎょうさんなど、地域によって様々な妖怪が訪れる日でもある。人々はそうしたものを追い払うために、豆を撒いたり、戸口にひいらぎの枝を挿したりする。方相氏も、そのような役割を担っているわけだ。

 『夜行奇談』では、節分の夜に家を訪ねてきた悪鬼を、家の中にいた方相氏(のような何か)が追い払う――というエピソードにしてみた。

 鬼達の存在は音だけで表現したのだが、おかげでだいぶシュールな感じに仕上がってしまった。怪異同士の追いかけっこというニュアンスが、上手く伝わっただろうか。


●第百五十三話 滝の音 ―― 瀧霊王たきれいおう

 石燕の絵には、滝壺から現れるどうみょうおうの姿が描かれる。一切の鬼魅きみしょしょう、つまりあらゆる鬼や化け物、悪いものを調伏する力を持つという。

 「瀧霊王」という名の妖怪は伝承がないため、石燕が独自に付けた名だと思われる。

 そのようなわけで本来はありがたいものなのだが、『夜行奇談』では不気味な存在として登場させる形になった。原典が不動明王なので、作中でも信仰対象であるかのように描写している。

 主人公が最終的におかしなことになってしまうのは、ややクトゥルフ神話っぽい展開を意識したからだ。


●第百五十四話 魔が除ける ―― 白澤はくたく

 古代中国由来の霊獣。人面で角を生やし、顔に三つ、両の脇腹に三つずつ、合わせて九の目を持つ。また人語を語り、森羅万象に通じ、あらゆる妖怪とその対処法を知る。ここから転じて、魔除け・厄除けの象徴ともされる。

 『夜行奇談』ではこれらの特徴を踏まえ、「やたらとお化けに詳しいのに、自身は空気が読めないせいで、無意識にお化けを追い払ってしまう人」という形で、白澤を再現してみた。

 このH先生には、明確にモデルになった人物が存在するが、誰のことかは伏す。……いや、一部の人にはバレバレかもしれないけど。

 一方作中に現れる怪異は、特に元ネタは存在しない。かつてお化け好き仲間の皆さんと行った旅行を思い出し、「もしあそこに本物のお化けが出たら」と妄想しながら、好き勝手に書いてみた次第だ。


●第百五十五話 秘密基地 ―― 暮里くれざと

 隠れ里のこと。異界の一種で、人里から隔離された場所にあり、多くの場合は理想郷として語られる。

 石燕の絵では、門に「嘉暮里」と書かれた巨大な屋敷に、宝や食べ物が満ちている様が描かれている。座敷の奥には大黒天が座っており、どうやらこの嘉暮里の主人であるらしい。このように、隠れ里は神仙の住む世界とも見なされていたようだ。

 『夜行奇談』では、外界から隔離された異世界ということで、子供の秘密基地を題材にしてみた。ただし石燕の嘉暮里のようにめでたいものではなく、子供を誘惑して永遠に帰さない怪異として描写している。

 僕も小学生の頃、一度だけ悪友達に誘われて、彼らの「秘密基地」を訪ねたことがある。どこかの立体駐車場の中にあったものだが、その時の背徳感のようなものを思い出しながら、このエピソードを執筆した。

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