第百七十三話 神隠しの山

 知人のIさんという男性から聞いた話だ。

 Iさんは僕と同じく、お化けや怪談を愛好している仲間である。そのIさんが過去に、某県某町の町興しに協力することになった。

 町興しのネタは、「妖怪」だった。

 折しも当時は、とある児童向けゲームの大ヒットによって、戦後何度目かの妖怪ブームを迎えていた。そこに目をつけた町の地域振興チームが、「妖怪」を使って観光客を呼び込めないか、と思いついたらしい。

 例えば町に伝わる妖怪伝承をピックアップして、それにちなんだご当地キャラを作ったり、イベントを催したり――といった具合いだ。

 この企画にIさんが協力することになったのは、たまたまその地域振興チームのメンバーの中に、知人がいたからだった。

「Iさん、趣味で妖怪スポット巡りの旅とかやってますよね。ぜひとも、知恵を化してもらえません?」

 Iさんがそんな誘いを受けたのは、ちょうど五月の大型連休の手前のことだった。

 もっとも、妖怪をネタにした観光誘致というのは、なかなか難しい。

 もちろん成功例はいくつかある。遠野物語で有名な岩手県遠野や、水木しげる先生の故郷で知られる鳥取県境港さかいみなと。あるいは、始めから観光地として定着している上で、多数の妖怪伝説が残る京都市などが、その代表と言える。

 ただこれらは、あくまで特例の部類だ。

 ゲームの中の妖怪ならともかく、実際の妖怪伝承というのは、悲しいかな、大半が地味なものである。それを題材に観光のアイデアを出したところで、よほどのセンスがなければ、大抵は順当に、地味な企画に落ち着くだけである。

 Iさんもその旨は先方に伝えたのだが、「まだ本決まりではなく、あくまでネタ出しの段階なので、軽い気持ちで――」とのことだったので、ならばと引き受けることにした。

 何だかんだ言って、今まで知られていなかったようなローカルな妖怪にスポットライトが当たるのは、楽しいものである。

 Iさんはまず、資料集めから入った。

 実際に町を訪ね、図書館や郷土資料館を当たり、現地の妖怪伝承を集めるわけだ。

 仮にユニークな伝承が見つからなくとも、ある程度数さえ揃えば、それはそれでグッズ化するなどして、形にできるかもしれない。

 そう思って、町外れの小さなホテルに宿を取り、一泊二日の取材旅行と洒落込んでみた。そして、実際に現地でいくつかの妖怪伝承を拾っていったのだが――。

 その過程で一つ、少し気になる話を仕入れることができた。


 町の外れ――ちょうどIさんが泊まったホテルの近く――に、小さな山がある。仮に、T山と呼ぼう。

 小さな、と言っても、登山をすれば一日がかりになるぐらいの高さはあるのだが、このT山では古くから、「神隠し」の伝承が残っている。

 山に入った男の子が、しばしばに目をつけられ、行方知れずになるという。

 例えば、こんな話がある。

 江戸時代のことだ。

 ある母親が、幼い我が子を背負って、山道を歩いていた。

 子供がしきりに背中でぐずる。母親はそのたびに体を揺すってあやしていたのだが、山の中腹に来たところで、ふと背中が軽くなった。

 ハッとして振り返ると、背中の子が、どこにもいない。

 落としたわけでも、枝に引っかけたわけでもない。

 慌てて大声で名前を呼んだが、泣き声一つ返ってこない。

 きっと鳥にさらわれたのだ――と、母親は思ったらしい。他に合理的な説明ができなかったからだろう。

 それから近隣の住民総出で捜索がおこなわれたが、子供は見つからなかった。

 以来母親は、何かに憑かれたようにほうけてしまった。そして山道で鳥がさえずるたびに、そちらへふらふらと歩いていくようになった。

 やがて半年ほどで、この母親も行方知れずになった――ということだ。

 また、こんな話もある。

 ある幼い姉弟が、T山で遊んでいるうちに、道に迷った。

 辺りはどんどん暗くなってくる。二人が焦っていると、不意にどこからか、「おーい」「おーい」と、大勢の呼び声が響いてきた。

 声の一つが、弟の名を叫んだ。

 助けが来た――。そう思った弟が、声のする方へ向かって走り始めた。

 だが、姉は違った。

 突如強烈な不安を覚え、足がすくんで動けなくなった。

 ……あの声は、なぜか弟の名だけしか、呼んでいない。

 姉がそれに気づいて強張っているうちに、弟の姿は、樹々の狭間に消えた。

 その途端、不意に足が動いた。

 姉は、慌てて弟を追って走った。

 だが弟には会えなかった。代わりに、嘘のようにあっさりと、見覚えのある道に出た。

 姉は家に帰ることができたが、弟はそのまま、行方知れずになった。

 これは、戦後のことである。


 ……というような話を、Iさんはいくつも得ることができた。

 もっとも神隠しの伝承自体は、決して珍しいものではない。似たような話は、全国各地にある。

 Iさんが気になったのは、この伝承の扱いそのものだ。

 もともと何かの資料に載っていたわけではない。Iさんがこの伝承を知ったのは、地元の高齢者に取材をして、直接聞かされたからである。

 ただ、Iさんが「これを町興しの題材に使ってもいいですか」と問うと、相手は思い切り渋い顔をした。

「そういうに使うような話じゃないよ」

 そう言われた。

 試しに他の何人かの高齢者にもこの話題を振ってみたが、皆反応は同じである。

 ――面白半分で町興しに利用するような話じゃない。

 だいたい、そんな答えが返ってくるばかりだ。

 もっとも、Iさんもすぐにその意図は理解できた。

 そもそも土着の怪異と「妖怪」は、似ているようでいて少し違う。「妖怪」というのは、もともと在る伝承や怪談から生々しい部分を削ぎ落とし、ある意味で娯楽化したものだ。

 逆に――生であるうちは、触れてはいけない場合もある。

 この町に伝わる神隠しの伝承は、きっと、なのだろう。

 だからIさんは、神隠しの話に限り、地域振興チームに提供するネタからは外すことにした。

 ……そして、この判断が正しいと分かったのは、取材を終えてホテルに泊まった、その夜のことだ。


 以下は、ホテルでの出来事である。

 夜、Iさんが部屋で取材メモを整理していると、不意に窓の外で、何かがチラチラと光った。

 何だろうと思い、閉めてあったカーテンを開けてみる。

 窓から百メートルほど離れた先に、T山が広がっている。夜の闇の中、真っ黒な塊となって大地を這う山は、それ自体がまるで巨大な生き物のようにも思える。

 光は――そのT山の中腹にあった。

 火だった。

 いくつもの火が点々と、まるで隊列を組むようにして、山中を移動している。

 松明たいまつ……だろうか。

 Iさんがぼんやりと眺めていると、風に乗って、男達の声が響いてきた。

 ――おーい。

 ――おーい。

 ――××、どこだ。

 ――××、どこだ。

 ――おーい。

 ――おーい。

 ――××、どこだ。

 ――××、どこだ。

 ××は、はっきりとは聞き取れないが、人の名前のように思える。

 もしや遭難者が出て、それを地元の人達が捜索しているのか。

 Iさんは、一瞬そう考えた。

 しかし――そうではない、とすぐに思い直した。

 ……今の時代、山で遭難者を捜すのに、松明など使うはずがない。

 あの火は、何なのか。

 あの声は、何なのか。

 ――見てはいけないものかもしれない。

 Iさんはようやくそれを察し、カーテンを閉めようとした。

 ……その途端、

 はっきりと。

 ――おーい。

 ――おーい。

 ――I、どこだ。

 ――I、どこだ。

 聞き間違いではなかった。

 ……呼ばれていたのは、自分だった。

 Iさんは、慌ててカーテンをピシャッと閉め、ベッドに潜り込んだ。

 そして布団を頭からすっぽりと被り、そのまま朝まで過ごした。

 その後夜が明けた時には、すでに火も声も消えていたが、Iさんは荷物を素早くまとめ、後の予定を切り上げて、早々に町を去ったそうだ。


 なぜT山の神隠しが、今なお忌まれていたのか。

 それはもしかしたら、現在進行形の話だったから……かもしれない。


 ちなみに町興しの方だが、これは話自体が流れたそうである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る