第百十四話 異国よりの報せ

 この話は、あいにくその後の顛末てんまつを知らないため、あくまで当時聞いたことを、そのまま書くに留める。

 四年前のことである。Hさんという二十代の男性から、こんな話を聞いた。


 Hさんの父は、仕事でアジアの某国に赴任したきり、もう何年も帰国していない。

 最初のうちは、月に一度の割合で連絡を取り合っていたが、一年もすると、すっかり音沙汰がなくなってしまった。

 ところが一箇月前、おかしなことがあった。

 Hさんが仕事を終えて帰ってくると、家にいた母が、こんなことを言った。

「今日、お父さんがいた」

 会った、ではなく、「いた」という。

 詳しく聞いてみると、こうだ。

 日中、母が台所で家事をこなしていると、ふと居間の方で、ガタガタ、と物音がした。

 何か物でも落ちたのだろうかと思い、行ってみると、そこになぜか父が立っていた。

 ……ただ、一見してすぐに父だ、とは気づかなかったという。

 父は、頭を丸刈りにし、見たことのない作業着のようなものに身を包んでいた。

 顔はせ細り、あかで薄汚く染まり、目が血走っていた。

 その様はもはや、最後に日本で見送った時とは違う、すっかり変わり果てたものだったそうだ。

 母が驚いて声を上げると、父はその血走った目で母を見つめ、口をパクパクと動かした。

 ……声は、聞こえなかった。

 無音の父は、そのままスゥッと、姿を消した。

 ――もしかしたら、赴任先で父に何かあったのかもしれない。

 Hさんは母から話を聞いて、当然それを考えた。

 翌日、さっそく海外にある父の赴任先に、メールで連絡してみた。しかし、「調べてみます」とだけ返事があったきりで、その後何日経っても進展がない。

 こうなったら、向こうの領事館に直接問い合わせるか――と思っていた矢先である。

 ……父が、再び現れた。

 ……夜、寝ているHさんの枕元に。

 父はやはり坊主頭で、しかし身には、下着一つ着けていなかった。

 そして、顔と言わず体と言わず、手の先から足の先に至るまで、おびただしい数のあざと手術痕のようなものに覆われていた。

 Hさんがハッと飛び起きると、父はまた、声の出ない口をパクパクと動かし、スゥッと消えた。

 Hさんが父の姿を見たのは、それが最後である。


 改めて繰り返すが、この話のその後の顛末を、僕は知らない。

 ……ただ、Hさんの父親が無事であったことを、祈るのみである。

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