第百二十四話 満車
かつて某テーマパークで警備員の仕事をしていた、Kさんから聞いた話だ。
Kさんは夜勤だった。閉園時間をとうに過ぎた深夜の園内を、定時ごとに見回るのが、主な仕事だ。
ただ、その巡回中に、時々奇妙な光景を目にしたという。
フェンスで囲われた、パークの駐車場の入り口に、「満車」の表示が赤く灯っているのだ。
……閉園し、客が一切残っていないにもかかわらず、である。
決して毎晩ではない。しかし、一週間に一回ほどの割合で、見かける。
最初の頃は不審に思って、「満車」の表示を見るたびに、駐車場を念入りに調べてみた。
しかし――車など、どこにもない。
仕方なく、とりあえず上司に報告するのだが、向こうも心得たもので、「また満車でしたか。気にしなくていいですよ」としか言わない。
つまり、さほどの問題ではないようなのだ。
機械の誤作動か何か、ということだろうか。しかしそれだと、客足のある日中に支障を来すのではないか。
Kさんがそう思って尋ねると、「昼間は大丈夫ですから」と返された。
「とにかく本当に、気にしないでください」
上司は、それ一辺倒だった。
もっとも、とうの駐車場が巡回ルートに含まれているわけだから、気にするなというのも無理がある。おかげでKさんは、いつも駐車場を覗く前に、横目で「満車」の表示が出ていないかどうかを、確認するようになった。
ある冬のことだ。
深夜、いつものように駐車場へ向かうと、その日も例によって、「満車」の文字が赤く灯っていた。
「……早く修理すればいいのに」
そう呟きながら、Kさんは懐中電灯を手に、駐車場へと足を踏み入れた。
そして――思わず、我が目を疑った。
……車が、あった。
駐車場を埋め尽くさんばかりに、ぎっしりと。
「え、何でこんなに車が……?」
Kさんは、慌てて懐中電灯を走らせた。
赤、白、黒、黄……。色とりどりの、そして大きさもまちまちの車体が、真っ暗な空間にひしめいている様が、はっきりと見て取れた。
「……誰かいるんですか?」
恐る恐る、そう口にしてみた。声が異様に響く。
これだけの車がありながら、排気音も、人の話し声も――何も聞こえない。
深夜の駐車場は、あくまで、しんとした静寂に満たされたままだ。
……反応が返ってくる様子も、なかった。
Kさんは懐中電灯を構え、手近な車に近寄ってみた。
「もしもし、誰か――」
そう言いながらドアのガラスをノックしかけて、ふと手を留めた。
中は、無人だ。
懐中電灯から放たれた光の中に、空っぽの車内の様子だけが、物淋しく浮かんでいる。
ただ――おかしなものが目に入った。
一抱えにも満たない大きさの、円筒形の、やや白い物体。その中央で異様に黒ずんでいる、何か。
――
嫌な連想が頭をよぎった。慌てて車のドアを確かめると、やはりと言おうか、内側からガムテープで、ピッタリと目張りされている。
「おい、誰か中にいるのか!」
急いで声を張り上げた。しかし懐中電灯で照らした限り、中は本当に無人である。
Kさんは異様に焦りを覚え、他の車にも目をやった。
……どの車も、同じだった。
無人の車内に、七輪と練炭。それと、ガムテープでの目張り――。
中には、今風のデザインのコンロや、目張りに布を使っている車もあった。あるいは、シートの上に「遺書」と書かれた封筒が置かれている場合もあった。
しかしいずれにせよ、このおびただしい車がすべて、同じ目的のために使われたのは、間違いなかった。
ただ――なぜその車が、こんな場所に、ずらりと並んでいるのか。
……しかも、無人で。
……よりによって、深夜に。
Kさんは、思わず背筋に冷たいものを感じて、急いで駐車場を飛び出した。
去り際に振り向くと、駐車場の入り口には、緑色の「空車」の文字が、静かに灯っていた。
後で上司に尋ねてみたところ、上司もあの車のことは、知っていたようだ。
「べつに、うちのテーマパークで過去に何かあったってわけじゃないんですよ。ただ……何なんでしょうね、あれは」
――あちらに逝く前に、遊びたくて、立ち寄っちゃったんですかね。
どこか冗談めかしてそう説明した上司に、Kさんは何とも形容し難い面持ちで、ただ苦笑だけを返したそうだ。
……もっとも、上司のこの解釈が正解だとしても、腑に落ちない点はあった。
Kさんはこの後も、深夜の駐車場で何度か、車の群れを目にした。
並ぶ車体は、いつも同じものだったという。
――あちらに逝く前に、立ち寄る。
それが本当だとしたら、車達はこの行為を、何度繰り返せば気が済むのだろうか。
あるいは、永遠に終わらないのかもしれない。この世に未練を残している限り、きっと……。
Kさんはそう思って、それからは「満車」の駐車場を巡回するたびに、心の中で手を合わせるようになったそうだ。
ただしこのテーマパークは、もうだいぶ前に潰れたという。
車達は今、どこに集まっているのだろうか。
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