第二十九話 子宝館
会社員のKさんが数年前、お盆に奥さんを連れて帰省した時のことだ。
新幹線からローカル線に乗り換え、昼頃にF県内の某駅で降りた。食事はすでに車内で済ませていたので、あとは実家に向かうばかりだったのだが、駅前の店を軽く物色していて、ふと気になる看板を見つけた。
――
そんな文字だけが書かれた小さな看板が、駐車場のフェンスの、ずいぶんと目立たないところに貼ってある。
名前からして、いわゆる秘宝館の一種かもしれない。Kさんは、お盆と正月には必ず帰省しているが、この看板を見たのは初めてだ。いつの間に出来たのだろう。
「ちょっと行ってみようよ」
面白がって奥さんに言うと、奥さんは気乗りしないながらも、渋々ついてきた。
子宝館は、蒸し暑い路地を進んだ先の突き当りに、ひっそりと佇んでいた。
やや黒ずんだ白壁の、二階建ての小さな建て物で、表に「子宝館」と看板が出ている。
入り口には磨りガラスのドアがあるばかりで、特に切符などを売っている様子はない。ただよく見ると、看板の下に「無料・ご自由にお入りください」と小さく書かれている。
Kさんは奥さんを促して、さっそく中に入ってみた。
黒いカーテンで囲われた細い通路が、まっすぐに延びていた。
空調が効いているのか、館内はひんやりとしている。
通路の両サイドには、何だかよく分からない小さな生き物の
一見
長い尻尾を紐で括られ、剥製は逆さ吊りにされていた。
「気持ち悪いね」
奥さんが顔をしかめて囁いた。
通路は少し進んだ先で、右に折れていた。黒い
次の通路にも、やはりいくつもの剥製が、ぶら下がっていた。
一番多いのは
蛙達はどれもプックリと腹を膨らませ、仰け反るようにして固まっていた。
虫の標本もあった。腹の膨れたカマキリや
小鳥もいた。罠にかかったまま力尽きたかのように、細い脚を縛られ、吊るされていた。空調の風が当たっているのか、一つだけゆらゆらと揺れている。さすがに目を背けた。
通路の先に次の暖簾があった。奥さんがKさんの袖を、引き止めるようにつかんだ。これ以上進みたくないのだろう。
「先に戻ってなよ」
自分から入った手前、Kさんはそう言って、一人で暖簾へ向かった。奥さんが嫌そうな顔で、後からついてきた。
暖簾の先には、とんでもない数の剥製がぶら下がっていた。
犬、猫、鶏、カラス、豚、亀、蛇……。
どれも決まって、腹がプックリと膨れて、逆さまに吊るされていた。
張り紙の矢印は、通路の曲がり角で次の暖簾を指し示している。
「……出よう」
さすがにそう言うと、Kさんは青ざめている奥さんを促して、引き返そうとした。
ふと視線を感じた。振り向くと、奥の暖簾の隙間から誰かが目を覗かせ、じっと二人の様子を
無視して、Kさんは奥さんを連れて、急いで館を後にした。
その後実家に戻ってから、Kさんは両親にその話をした。だが、「子宝館なんて聞いたこともない」と、首を傾げられただけだった。
ネットで検索しても、特にそれらしき情報は出てこない。
ともあれ、「もう二度と行きたくない」という点では、奥さんと意見がピタリと一致した。
……ただ、それから少しの間、妙なことがあった。
夜中、日付が変わって少し経った時間に、実家の玄関のドアを誰かがノックするのだ。
様子を見にいっても、人っ子一人いない。Kさんの両親は「いたずらだろう」と不快そうに言っていたが、この出来事は、Kさん夫婦が滞在している間毎晩続き、二人が引き上げてからはピタリとやんだという。
ちなみに、あのフェンスの看板は、二人が帰る頃にはなくなっていたそうだ。
それと――これは後で分かったことだが、この時Kさんの奥さんは、妊娠三週目だったらしい。
それを知ったKさんの両親は、「子宝館のご利益じゃないか?」と笑って言った。
しかし、実際にあの建て物の中を歩いたKさんには、まったくそうは思えなかった。
むしろ、妊娠している奥さんを、子宝館が誘い込もうとしたのではないか――。
あの中の異様な剥製の数々を思い起こすたびに、Kさんは今でも、そんな妄想じみた不安に
なお、後にKさんの奥さんが無事元気な赤ちゃんをご出産されたことを、ここに付け加えておく。
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