第二十八話 欠けていく

 県名は伏す。某市の踏切で、男の子が電車にねられるという、痛ましい事故があった。

 現場は、かなりむごたらしい状態だった。

 あまりこういうことを書きたくはないが、当然、遺体はまともな形ではない。一目見れば誰の心にも深い傷を残すような、そんな有り様だった。

 後日、遺族や学校、地元の人達がお金を出し合って、踏切の手前に小さな地蔵堂が建てられた。

 簡素なお堂ではあったが、中に据えられた、これまた小さな地蔵に、毎日多くの人が手を合わせにきた。

 これから先、二度と悲惨な事故が起こらぬよう、子供達を見守ってくれる――。そんな大切な存在になるはずだった。


 ところが――この地蔵が、欠けていく。

 始めに気づいたのは、男の子のご両親だった。ある朝いつものように手を合わせにくると、地蔵の指の端が、何かで削ったように無くなっていた。

 破片を探したが、見当たらない。自然に欠けたものではないのかもしれない。

 もし誰かのいたずらだとしたら、許されることではない。それでも、すぐに人を疑うのはよくないと思い、ひとまずそのままにしておいた。

 ところが翌日には、耳たぶが欠けた。

 ほとけ特有のふっくらとした耳たぶが、左右とも、もぎ取られたかのように消え失せていた。

 さらに翌日には、右肩がえぐれた。

 次の日には、足の指が粉々に砕けた。

 顔もボロボロに欠けていった。もともとあったはずの優しい笑顔は、異変に気づいてから一週間も経たないうちに、まるで発泡スチロールの塊を砕いたかのような、見るも無残な形相に変わっていった。

 どう考えても、自然にこうなるわけがない。ご両親は、一緒に地蔵を据えた人達と相談して、警察に被害届を出した。

 だが――警察が調べても、原因はさっぱりだった。

 近くにある防犯カメラは、あいにく地蔵堂を背面から映すばかりで、地蔵そのものがまったく映ってない。ただ少なくとも、誰かがこの地蔵にいたずらしているような様子は、見当たらないという。

 だとしたら――石材そのものに何か問題があるのかもしれない。そう思って、地蔵を彫ってくれた工房の人にも相談してみた。

 しかし、やはり原因は分からない。

 ただ、工房のご厚意で、もう一度無償で彫り直してもらえることになった。

 本来なら、地蔵をこのような形で交換するのは、異例と言っていい。

 やがて、ボロボロになった前の地蔵と引き換えに、新しい地蔵がお堂に納められた。

 ところが――これが、また欠けていく。

 前と同じだった。地蔵は日が経つにつれて、やはり無残な姿に変わっていった。

 さすがに、これ以上交換しようと言い出す人は、一人もいなかった。

 ご両親も、「息子の無念がこのような形で表れるのだろう」と諦めて、ボロボロになった地蔵に、毎日手を合わせ続けることにした。


 それから数ヶ月後のことだ。同じ踏切で、また事故が起きた。

 ただし、今度犠牲になったのは、人ではなかった。地域で飼われている猫だった。

 いつも面倒を見ていた人が、「供養のために、改めて地蔵を寄付したい」と申し出てきた。

 男の子のご両親も快諾し、「これも何かのご縁だから」ということで、地蔵堂の隣に猫の慰霊碑が建てられることになった。

 猫の慰霊碑は、地蔵堂の隣に並んで建てられることになった。 

 話がまとまり、後日、三度みたび新たな地蔵が、お堂に納められた。

 すぐ隣には、地蔵よりもさらに小さな、猫を模った可愛らしい慰霊碑が据えられた。

 もっとも、男の子のご両親が、内心これを不安な気持ちで迎え入れたのは、言うまでもなかった。


 ところが――今度は、欠けない。

 不思議なことに、地蔵はいつまでもきれいな姿のまま、優しい顔を浮かべている。

 猫が男の子を慰めてくれたのか。あるいは逆に、猫がを遠ざけてくれたのか。

 真実は、誰にも分からない。

 ただ、この小さな地蔵と猫の慰霊碑は、今でも地元の人達に大切にされ、踏切を見守り続けている。

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