短冊は天の川の橋となる 2

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 夏彦はよくしゃべりよく笑いたくさん行動する小型犬のような言動とは裏腹に、怒りの沸点が非常に低く細かいことは気にしない性格の子供だった。 

 幼稚園のころから小学校6年間一緒だったが、おもちゃをとられようと、ぴょこぴょこ跳ねるくせっ毛をからかわれようと彼が怒ったところは見たことがなかった。むしろ、沸点が低いのは日ごろお姉さんぶっていた伊織の方だった。

  

 中学生になっても、夏彦はいつも伊織の傍にいた。小学生のころと違い、教室の仲良しグループが男女で別れていても、毎朝共に登校し休憩時間もほとんど一緒にいた。

 夏彦が気にせずとも男女2人がいつも一緒な光景は、同級生の目には浮いて見えたに違いない。クラスメイトの男子達は下手な口笛を吹いて囃したてた。


「天野くーん、野川のこと好きなんですかー?」

「野川も天野のこと好きなんだー!」

「学校でいちゃいちゃしないでくださーい!」

「ひゅーひゅー!」


 からかいの言葉にやはり夏彦はにこにこと笑ったままだったが、伊織はとても笑って済ますことはできなかった。

 そんなことを言ってくる男子達も、ちらちらとこっちをみてくる女子達も、からかわれる自分達も、何もかもが恥ずかしくて顔を赤くして大声で否定した。


「違うわっ!私は天野君のことなんか好きじゃない!」

「伊織…」

「名前で呼ばないでよっ」


 興奮を鎮めようとした伸ばされた夏彦の手を払いのけて、近づかないでときっと睨みつける。

 

「そっか…ごめんね野川さん」


 傷ついた表情の夏彦に我に返った時には、彼は振られちゃった~と笑いながら男子生徒達の輪に交じってしまった。

 後で夏彦が一人になったら謝らなきゃ、と反省したものの、休憩時間は男子達と一緒におり、下校時刻は所属する部活が違うためにすれ違い、毎朝の登校時に夏彦が迎えに来ることもなくなった。

 今までずっと夏彦から伊織の傍に寄ってきていたため気がつかなかったが、同じ学校の同じクラスでも、自然体だと男女であるだけでこうもお互いの時間がなくなるとは思わなかった。

 結局謝る機会は訪れず、月日が経つにつれどんどん気まずくなり伊織は話しかけることを諦めた。

 そうして、2人が幼馴染からクラスメイトに変わったその年はもちろん、次の年も、高校3年間もずっと七夕の約束は破られ続けた。


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 当時は自分の気持ちに気付いていなかったけど、あの時あんなに激昂したのは思いっきり図星さされたからだったんだよね。


 カフェテラスの席でくるくるとペンを回しながら、伊織は苦い記憶を思い出す。

 大学生になった今なら「気付いちゃった?私夏彦のことが好きなの」とあざとくウインクを飛ばして余裕の宣言をすることもできる。いや、大分盛ってしまった。今でもそんな宣言はできないが、少なくとも曖昧な笑みでその場をやりすごすことくらいはできるはずだ。しかし、思春期真っ只中の淡い恋心を持っていた自分にはとても高いハードルだった。

 その恋心も今となってはただの思い出でしかない。

 6年も経ってしまったら、謝るどころか今更どう話しかければいいのかもわからない。そもそも同じ大学といえど、多数の授業が重なることはないし、待ち合わせをしない限り広い校内で会うこともない。大学が同じことも入学した後に親経由で聞いて知ったくらいだ。幼馴染どころか知人レベルも危うい。


 それなのに、どうしてあんな願い事書くかな。

 そして無記名なのに筆跡で夏彦が書いたとわかってしまう自分が憎い。


 金平糖を一緒に食べたいってことは、約束は覚えているのだろう。

 一緒にいたいと思ってくれているということは、好意も持ってくれているはずだ。しかしその好意はライクとラブどちらなのだろう。そもそも昔一緒にいた時だって、伊織は夏彦のことを恋愛対象として好いていたが、彼はどう思っていたのか不明だ。恋愛感情を持たれていたのか、それとも幼馴染、友人として共にいたのか、はたまた気に入った玩具程度の気持ちだったのか。


 まさか、2人合わせて天の川って響きがよかったから、なんてしょうもない理由だったりして。


 自分で想像して勝手に落ち込む。

 もう何とも思っていない相手に何落ち込んでるんだ、と気持ちを振り払い伊織は目の前の水色の短冊を前に唸った。

 家族が笑って過ごせるようにとか彼氏欲しいとか普通に無難な願い事を書いておけばいいのに、どうしても夏彦の跳ねた字で書かれた願い事がチラつく。

 気付けば、ボールペンが勝手に文字を書いていた。


 あの子って、だれ?


 「…あー…ボールペンだから消せないし、修正液使うまでもないし、でも捨てるのは罰当たりだし…。仕方ない。これは仕方なくだから。別にもう何とも思ってないし。ただ決着はいつかつけなきゃいけないと思ってたからむしろその意味で書いてるだけ」


 誰に言うでもなくボソボソと言い訳を並べた伊織は、青色の短冊のすぐ横に自らの短冊をくくりつけた。

 跳ねた字とは正反対の、華奢で少し右肩あがりな字が対照的だ。

 並んだ文字を見るとますますいたたまれなくなり、「そうだ授業行かなきゃ」なんて誤魔化すように呟いた。

 逃げ出すようにカフェテラスを後にしたところで、わいわいと盛があがる男子大学生グループとすれ違った。

 後方で「うわーやべぇ笹の葉あるじゃん!」と騒ぐ声を聞いて、伊織は自分のタイミングのよさに胸を撫で下ろした。


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その日の授業が終わり、校門に向かって帰る道すがら、ふとカフェテラスにある笹の葉の短冊が伊織の脳裏をよぎった。


…気になるわけじゃない。単にもう一度笹の葉が見たいだけ。


そう言い聞かせ、カフェテラスに寄り道することにする。

笹の葉は先ほどと変わらず、たくさんの願い事をぶらさげていたが、先ほどと違い1人の男が側に立っていた。

昔と違いぐんと身長は伸びていたが、相変わらず毛先はぴょこぴょこ跳ねていたし、そわそわと辺りを見渡す挙動は大型犬のようだ。

まさか本人が立っているだと予想もしていなかったため、伊織は思わず足を止めた。

気まずい思いもしたくないし見つからないうちに帰ろうと、伊織が踵を返した瞬間、大きな声で呼び止められた。


「ま、待って!野川さん!」


公共の場で名前を大声で呼ばれ、伊織は足を止めた。

恥ずかしいからやめてよ、と言うつもりで振り返るといつの間に駆け寄ったのか、すぐ傍に夏彦が立っていた。


「あのさ…」


夏彦は少し言い淀んでから、真っ直ぐ伊織を見つめた。


「俺の言うあの子は、いつもたくさん褒めてくれて、笑顔がかわいくて、照れ屋で、もう何年も話してないのに俺の字を覚えてくれてて、金平糖が好きで、俺が初めて会った時からずっと愛してる人だよ」

「はぁ!?ちょっとやめてっ」


ひゅうーと下手くそな口笛が外野から聞こえる。夏彦の友人達だろうか。

公共の場で、しかも口笛を吹いている男子生徒達以外にも注目を集めているのにとも関わらず、おかまいなしに続ける夏彦に伊織は顔を赤くして静止する。


「きみは?俺のこと、好き?」


図体は大型犬のくせに、小首を傾げるところや眉をさげて不安そうにこちらを見つめる仕草が、伊織の思い出に変わっていたはずの昔の気持ちを引きずり出す。


「…別に、嫌いじゃない。それと…あの時は、ごめんなさい」


下を向いてぼそっと言った瞬間、がばりと抱きつかれる。


「ほんと!?俺のこと好きなんだ!?」

「私好きなんて言ってない!」

「でも好きなんだろ?」


言葉に詰まった伊織は、くりくりとした瞳に見つめられ観念して小さく頷いた。

その瞬間、夏彦は表情だけではなく体全体で嬉しさを表した。


「なぁ、前みたいに名前で呼んでいい?」

「か、勝手にすれば?」

「俺のことも、昔みたいに夏彦って呼んで!」

「わかったからちょっと離れて!」


あるはずもないが、夏彦にブンブンと左右に激しく揺れる尻尾が見える。

伊織の羞恥心を感じたのか、それとも外野のチャチャが聞こえたのか、体は離したが夏彦の両手は伊織の両手を包みこんでいる。


「それからさー」

「何よまだなにかあるの?」

「今年の七夕も、来年もその次もずっとずっとたくさん一緒に金平糖食べてくれる?」

「…今日もう授業ないから和菓子屋さんで金平糖買おうと思ってたんだけど、一緒に選んでね、夏彦」

「もちろんだよ伊織!」


さあ早く行こうと言わんばかりに伊織の手を引っ張る夏彦を宥めながら、2人は手を繋いでカフェテラスを後にした。

背後の笹の葉にくくりつけられた青色と水色の短冊が、風鈴のようにふわりと揺れた。








 

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短冊は天の川の橋となる 相田 渚 @orange0202

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