第62話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⒆


「かまわん、やれっ」


 再び背後から、今度はキエフの物ではない声が聞こえた。次の瞬間、発射音と「うっ」というくぐもった声が聞こえた。発射音は「死亡銃」の物だった。

 ということは、キエフの発砲が一瞬、早かったのだ。続けてもう一発、発射音がして別の呻き声が上がった。


 今度もキエフの声ではない。おそらく立て続けに二発、撃ったのだろう。


 ――やられるなよ、キエフ。


 俺は祈りながら、秋帆の手を引いた。裏口まであとわずかのところまで来た、その時だった。ガラス戸の向こうから、こちらにやってくる男たちの姿が見えた。


 二、三・・・・・まずい、四人もいる。これは鞭で対応できるぎりぎりの人数だ。


 俺は足を止めると、ポケットから鞭を取りだし、握りしめた。同時に背後から弱弱しい足音と共に、誰かが近づいてくる気配があった。


「泉下さん……やりました」


 振り返ると、キエフがふらつきながら立っていた。目がとろんとしているのは、敵の麻酔弾を食らったからに違いない。


「ちょっと油断して一発、食らっちまいました。……すぐ抜いたんですけどね」


 キエフはそう言うと床の上に膝をついた。


「泉下さん、ここも俺がやりますよ。……なあに、あんな連中、すぐにやっつけて……」


 俺は荒い息を吐いているキエフを手で制した。


「俺の台詞を盗るなよ、キエフ」


「えっ」


「昔、工場で助けてもらっただろ?今日は俺がお前に借りを返す番だ」


 俺はそう言うと、二人を背に仁王立ちになった。やがて裏口のドアが勢いよく開け放たれ、警官たちがなだれ込んできた。


 ――さて、どう戦うか。


「お勤めご苦労さん。どっから来てもいいぜ。……ただし今日の俺は一味違うがな」


 俺は強気の口上を述べると、鞭を構えた。同時に、四人が手にしている「死亡銃」の銃口が、一斉に俺に狙いを定めるのが見えた。膠着状態か、そう思った、その時だった。


 パン、という音がして突然、右端の警官がふらつくのが見えた。よく見ると警官の顔面には、何か粘着質の物質が張り付いていた。すると間をおかずに同じ音がして、今度は隣の警官が、やはり顔面に何かを当てられて床にひっくり返った。


 ――今だ。


 俺は腕を大きくしならせ、鞭を放った。鞭が一人の手首に巻き付き、敵の身体が錐揉みしながら床に激突した。俺は鞭を離すと残った敵の懐に飛び込み、手刀で「死亡銃」を叩き落とした。


「ようし、お縄だ。女性の拉致監禁と職権乱用の罪で逮捕する」


 俺は敵の胸ぐらを掴むと、言い放った。同時に何かが俺の顔を掠め、敵の顔を直撃した。


「ぐあっ」


 敵は一声、呻くと床に崩れ落ちた。顔面に、先ほどの粘着物質が張り付いていた。


「みなさん、お怪我はありませんか?」


 ふいに声がして、横合いから小脇にアルミのケースを抱えた深一郎が姿を現した。


「あんたか、助けてくれたのは」


 俺は敵の顔に張り付いている灰色の物体と、深一郎の顔とを交互に見ながら言った。


「ええ。せっかく持参した武器が余っていたので、独断で使わせていただきました」


 深一郎はいけませんか、とでも言うかのように鼻を鳴らした。


「助かったよ。あと少しで周到な計画が水の泡になるところだった」


「周到、ですか。これでねえ」


 深一郎は倒れている四人を見て、小首をかしげた。俺は頷いた。結果オーライだ。


「よし、車に戻ろう、もたもたして応援を呼ばれたら厄介だ」


 俺たちは裏口から外に出ると、建物の外側を伝って正面玄関側に移動した。車を停めた場所まであと少しと言う時だった。キエフが低く呻くと、その場に崩れた。


「しまった、麻酔が本格的に効いてきたんだ」


 俺はキエフの身体を掴んで揺さぶった。だが努力もむなしくキエフは無反応だった。


「私がここまで車を運んできます。少しの間、持ちこたえていてください」


 深一郎はそう言うと、数メートル離れたワゴン車に向かって駆けだした。やがてドアを開閉する音と、エンジンをかける音とが聞こえてきた。俺は安堵し、キエフの身体を担ぎ上げようとしゃがみこんだ。その時だった。


「動くな」


 前方から声がして、俺は顔を上げた。数メートル先に、一人の警官が銃を構えて立っているのが見えた。警官が携えているのは「死亡銃」ではない、普通の銃だった。


 ――駐車場にいた警官か。……しまった、油断していた。


 俺は低く呻いた。あの距離では鞭は届かない。……くそ、ここまできて万事休すか。


 撃たれることを覚悟し、全身を強張らせたその時だった。シュッという音がして、同時に警官の首に矢のような物が付き立った。警官が声も上げずに崩れるのを見て、俺は思わず後ろを振り返った。


「……キエフ君を、撃たないで」


 手に「死亡銃」を携えて立っていたのは、まだ虚ろな目のままの秋帆だった。どうやらキエフが持っていた「死亡銃」を奪ったらしい。


 呆然としている俺たちの傍らに、ワゴン車が滑るように姿を現した。俺はキエフと秋帆を後部席に乗せると、助手席に乗り込んだ。


「やれやれ、とんだリハビリだったぜ」


 俺が溜息をつくと、深一郎が俺に近いダッシュボードの上にアルミの小箱を置いた。


「これが「ウブタマ」を検出しする装置です。ちょうど同じ器具庫に「ウブタマ」のサンプルもあったので、一緒に入れておきました」


 目的の装置を目の当たりにして、俺は初めてうまくいったのだという実感を覚えた。


「……どうやらまた来たようですね」


 深一郎がフロントガラスの向こうを目で示した。四、五人の特務部隊が俺たちの方に駆けてくるところだった。どうやら意地でも俺たちを外へは出したくないようだ。


「こういうこともあろうかと思って「奥の手」を用意してあります」


 そう言うと深一郎はハンドルの下のスイッチを押した。ボンネットの表面がスライドし、下から放水車のノズルを思わせる物体が姿を現した。


「こいつは特殊な液体で、空気に触れると数秒で凝固します。……こんな風に」


 深一郎が手元にある取っ手を引くと、灰色の液体が追っ手に向けて勢いよく放たれた。追っ手の一団はよける間もなく液体の直撃を受け、たちまち粘液まみれになった。


 深一郎はワゴン車をゆっくり発進させると、凝固した液体から逃れようともがいている追っ手の脇でいったん停車させた。


「あんまりじたばたしない方がいいですよ。……それとその液体は可燃性なので、火にだけはくれぐれも気をつけてください」


 深一郎は忠告を終えると、再びワゴン車を発進させた。車が門を潜りかけた時、後方から「おい、さっき火は使うなと言われただろうっ」という悲鳴にも似た声が聞こえてきた。


 建物から離れ、車内は先ほどの捕物が嘘だったかのような静けさに包まれた。


「とにかく、あの液体の威力を一度、試してみたかったんですよね。……いやあ、追っ手がいてくれて本当にラッキーでした」


 深一郎の心底嬉しそうな口調を聞き、俺は奇妙に背筋が寒くなるのを感じた。


 ――やはり科学者と言う連中は、考えることが普通ではない。チームを組むときは、よく気をつけねば。


              〈第二十話に続く〉

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