第63話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⒇
「まず、スイッチを入れたら対象となる「プラント」のサイズに周波数を合わせます。今回の相手は高層ビル級だから、「十メートル以上」に合わせればいい」
深一郎はアルミケースから煙草の箱を大きくしたような装置を取り出し、説明を始めた。
「「
「共鳴音?」
「装置の出す音を、少し高めにしたような音です。そして「
「なるほど、わかった。お前さんには感謝しているよ。これで大樹を救いだすことができるかもしれない」
「礼には及びませんよ。私にとって姉の暴走を見過ごすことは、屈辱でしかありませんから」
深一郎は立ちあがると「ではこれで。幸運を祈っていますよ」という言葉を残してドアの外に消えた。
俺の前には装置と「ウブタマ」の入ったアルミケースが残されていた。
俺は缶ビールほどの大きさのプラスチックケースを取りだし、蓋を外した。中を覗きこんだ俺は思わず「なんだこれは」と声を上げていた。
「ウブタマ」のサンプルは、俺が想像していたような球根状の塊ではなく、太った豆の莢を思わせる三日月形をしていたのだ。
「この中に「人間のバックアップ」が入っているというのか?」
俺は莢を取りだすと、表面をあらためた。莢には継ぎ目を思わせる筋が縦に走っており、少し力を入れて左右に引けば中が見られそうだった。
俺は莢の表面をつまむと、筋が中心になるように左右に引いた。すると「パリッ」という小さな音がして裂け目が生じ、中身が露わになった。それを見た瞬間、俺は息をのんだ。
――なんだこれは。
それは一見すると人形のようにも見えたが、よく見るとまぎれもなく「人間」だった。
人間の乳児をそのまま人形サイズにした物、とでもいえばいいだろうか。
俺はその「小さな人間」の姿になんとも言い知れぬ切なさと懐かしさを覚え、気が付くと頬を涙が伝っていた。
「人間」は、安らぎに満ちた表情を湛えていた。世の中の汚さを一切知らぬ、天使のような表情だった。俺は「人間」を莢に戻すと、再びケースの中に収めた。
これ以上、眺めていたら胸がいっぱいになって泣き出してしまいそうだったからだ。
深一郎の話によると、このサンプルは何らかの理由でうまく元の身体から切り離すことができず、成体にまで成長しかけていたにもかかわらず、元の身体と共に死んでしまった物だという。
サンプルは死後、体内から取りだして液状プラスチックで固めて保存したものらしい。俺はフェニックス・ビルの中で肉芽に収まって眠っていた大樹の姿を反芻した。
あの姿から考えて、大樹もまた成体になりかかっていたと考えていいだろう。あの肉芽が「ウブタマ」なのだとすれば、どうやればうまく切り離すことができるのだろうか。
俺はパソコンを立ち上げると、ネットに接続した。俺がURLを入力すると、画面上に巨大な構造物がアップで映し出された。
――また、一体化が進んでいるようだな。
俺は唸った。巨大なインテリジェンス・ビルの上半分は普通の壁面だが、残りの部分は緑と銀色の蔦のような物でびっしりと覆い尽くされていた。
「まずいな、これは」
俺は思わずそう呟いていた。画面上に映っているのは、ミカから配信されている「新世界通信社」のライブ映像だった。
俺は焦った。大樹の「ウブタマ」が上の方にあるのか、下の方にあるのか、それすらわからなかった。
――いったい、どこから侵入して、どういう風に内部を移動したらいいのだろう。
俺が不安な気持ちを持て余していると、ふいに入口の戸が開いて大きな影が現れた。
「よう」
入ってきたのは、柳原だった。柳原は手に小さな箱を携えていた。
「柳原か。どうした?」
「別に……来ちゃいけないのか」
「用がある時だけにしろと言っておいたはずだが」
「ふん。……まあ、ないこともない」
俺はふと、柳原の様子がいつもと違うことに気づいた。いつもなら軽口の一つも叩くところを、今日はそわそわと落ち着かない感じを漂わせていた。
「どうした、歯切れが悪いぜ」
「……和久井さんは、来てないか?」
「和久井さん?……いや、来てないが、それがどうかしたのか」
「……待ち合わせてるんだよ、ここで」
「ここでだって?……おい、人の店を勝手に待ち合わせ場所に使うなよ」
俺が苦言を呈すると、柳原は珍しくばつが悪そうにうつむいた。
「まあそう言うな。これにはちょっとした事情があるんだ」
「ふうん。……じゃあ一応、その事情って奴を聞かせてもらおうか」
俺が上から目線で促すと、柳原は話し始めた。
「一昨日、彼女と初めて飲んだんだが、少しばかり醜態をさらしちまってな。それで詫びを入れたいから会ってくれと連絡したんだ」
「へえ……」
俺は感心した。アンティーク商品並みの堅物にしては、展開が早いじゃないか。
「新居部町の居酒屋だったんだが、何せ、相手の趣味も好みも何も知らねえからよ、適当につまみを見繕ってビールで乾杯したんだ。
で、飲み始めたんだが、そもそも、どんな話をすればいいか見当もつかないだろ?……それでしょうがないから互いの仕事の話なんかをしながらビールを空けてったわけだ」
俺は柳原のいまいちぎこちない語り口に、妙な新鮮さを覚えていた。
「俺も酒量に自信がないわけじゃない。だから彼女が先に酔いつぶれたら、お代を払って家まで送っていくつもりだったんだ。ところが三、四杯飲んでもいっこうにペースが落ちないんだ。しまいには俺の方がもうろうとして来て、彼女の仕事話を聞いているうちに、いつのまにか潰れちまってたんだ」
「ふうん。……人は見かけによらないもんだな」
「で、気がついたら彼女に「柳原さん、もう看板ですって」って叩き起こされて、慌てて勘定をして店を出たってわけさ。
帰り際にカウンターの空のジョッキを数えてみたら、どうもその……彼女の方が四、五杯多いみたいなんだよ。こりゃ負けたって思ったけど、とにかく酔いつぶれたのは俺の方だし、迷惑かけた詫びをしなきゃって思ったわけだ」
なるほど、と俺は思った。よく見ると柳原が手にしている箱は、荒居部商店街にある洋菓子店のものだ。柳原なりに気を遣ったのだろう。
「そんなわけで少し前に電話したら、ちょうど新居部商店街で買い物中だって言うんだ。俺もさっきまでいたから入れ違いってわけだ。商店街に戻るのも何だし、「トゥームス」で待ち合わせよう」ってことにしたのさ」
「迷惑この上ないぜ。客でごった返してたらどうするつもりだったんだ」
俺は鼻を鳴らした。デートの場所ならよそを当たってほしい。
「それは問題ないさ。客でごった返すなんてこと、この店に限ってあるはずないからな」
柳原は余裕を取り戻したように、ふてぶてしい口調で言った。
「で、彼女もここに来るはずなんだが……おかしいな。うまく会えるように時間の調整もしたつもりだったんだが、何かハプニングでもあったのかな」
柳原が首を捻った、その時だった。何気なくパソコンの方に向けた俺の目に、妙な映像が飛び込んできた。
「んっ、何だこれは?」
「どうした?」
ディスプレイに張り付いた俺に、柳原が怪訝そうな目を向けた。
「いや……なんでもない」
俺はカメラの映像を、最大に近いサイズで再表示した。それはビルの一部を映したもので、窓から外に伸びた太い「枝」の先に「人間」に見える何かが立っている映像だった。
「見るぞ、いいな」
気が付くと柳原が俺の背後にいた。同時に画像のピントが合い始め、枝の先にいるものの姿が明瞭になった。
「うっ」
「なんだ、これはっ」
俺と柳原はほぼ同時に叫んだ。枝の上に立っているのは、やはり人間だった。よく見ると枝から伸びた蔦状の物体が人物の身体を這上り、胸のあたりで大きな花を咲かせていた。
「こんなことがあっていいのか……」
柳原が苦悶に満ちた呻き声を上げた。人物は、和久井千草だった。
「どうしてこんなことに……」
そう言うが早いか、柳原は身を翻すと脱いだばかりの上着を羽織った。
「ここはどこなんだ、イズミ」
俺が新世紀通信社の名を告げると柳原は目の色を変え、息を荒くした。
「こうしちゃいられねえ、俺は行くぜ」
「行く?……行ってどうするつもりなんだ」
「決まってるだろ、彼女を助けるんだ」
「無茶だ。ビルは未知の生物に乗っ取られてるんだぞ」
「そんなことは関係ねえ。俺は彼女を助けに行く、それだけだ」
「……わかった。俺も行く。どのみち、俺は俺であそこに行かなきゃならない理由があったんだ」
「悪いが、お前さんの手助けをしている余裕はねえぜ」
「それはこっちの台詞だ。俺の方にもお前さんを手助けしている余裕はない」
「つまりは別行動ってわけだ」
「まあな」
「死ぬなよ、ボンクラ店主」
「あいにくもう死んでる。お前こそ死ぬなよ。死んでいいことなんてひとつもない」
店の外に柳原が姿を消すのを見届けた後、俺はビルに侵入するための準備にとりかかった。世界の危機を救うにはいささか準備不足の感が否めないが、やむを得ない。
世界を救うより大樹を救いだすことの方が、今の俺にとっては優先事項なのだ。そして、おそらく柳原にとっても事情は似たり寄ったりのはずだった。
〈第二十一話に続く〉
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