第56話 最終話「心臓いっぱいの愛を」⒀
六月十二日
「イモ―タル3」の観察開始
まだほとんど「人間」だ。意志らしきものもあり、時折、私を見つめてくる。
やめろ。みないでくれ。
仕事とはいえ、なんとか「変容」のスピードが早まらないものか。
六月二〇日
「イモ―タル3」は、かなりプラント化が進んでいる。すでに手足は
植物としか言えない形状に変化が完了している。だが、だめだ。
まだ頭部の変容が終わっていない。
相変わらず、何かを訴えるように私を見つけてくる。
やめろ。その目で私を見るのは、やめろ。
お願いだから一日も早く「別の何か」になってくれ。
六月三十日
ほぼプラント化が完了し、見た目はほぼ植物にしか見えない。
私の動揺もいくらか治まってきているようだ。
しかし安心して観察していたら、突然、目と口らしきものが現れた。
ほとんど動かないが、それでも私に何かを訴えてきていることがわかる。
だめだ。もうこれ以上、こんな研究には耐えられそうもない。
俺はメモ帳を閉じると、手で顔を覆った。これが事実ならまさに「悪魔の研究」だ。
「研究員が脱走した後、私はプラントの研究をいったん、中断することを決意した。ところがその直後に研究所のプラントをほぼすべて持ち出し、消えた職員がいた」
「まさか、それが俺と戦ったプラントの原型……」
「消えた職員は私の後輩で、
「逢賀ですって」
俺は思わず叫んでいた。まさかここでその名を聞くことになろうとは。
「知っているのかね」
「ええ、以前、ごたごたを起こされてひどく迷惑したことがあります」
俺の脳裏に、窪沢愛美の件で逢賀に過去を掘り返された時の記憶が、まざまざと蘇った。
「突然の裏切りに私は落胆した。しかし、研究内容を本来の形に戻すことに決め、再びプロジェクトの指揮を執る日々に戻ったのだ。そんなある時、私の身に大きな事件が起きた」
「事件?」
「アメリカで催される学会に出席するため、旅客機に搭乗していた時のことだ。私の乗った便が、空港まで数十キロという空域で突然トラブルに見舞われ、墜落したのだ」
「墜落……」
「表向きは私だけが生き残り、私以外の乗客は全員、死亡という事になっている。……が、しかし、実は私のほかにもう一人だけ、生存者がいたのだ」
俺は訝った。鬼志神の話はいったい、どこへ向かっているのだろう。
「生き残ったのは、五歳の少女だった。そしておそらくはその少女こそが、旅客機を墜落させた張本人なのだ」
「少女が?」
「初めから話そう。その時私は、少女と少女の母親が乗っていた席の隣にいた。少女はどうやら生まれつき心臓に疾患があるらしく、搭乗しているのはアメリカで手術を受けるためらしかった。父親は公務員か何かで、急な仕事のために同行できなかったらしい。その旅客機内で突然、予想外のトラブルが発生したのだ」
「トラブル?」
「ハイジャックだよ。突然、乗客の一人が立ち上があり、近くにいた別の乗客の首にナイフを押し当てて機長に要求を突きつけたのだ。私はたまたま近くにいたため、犯人の挙動がよく見えた。それで思い切って、犯人が要求を口にしている時に飛びかかったのだ」
「大胆なことをしますね。下手をすればご自身だけじゃなく、乗客全員にも危険が及ぶ」
「今思えば、冷静さを欠いていたと思うが、その時は無我夢中だったのだ。私と犯人はもみ合いになり、気が付くと私は犯人に羽交い絞めにされ、ナイフを突きつけられていた」
――俺でも、同じことをするかもしれないな。
俺は目の前の初老の男に、少しだけ親近感を覚えた。
「私は一瞬、死を覚悟した。その時だった。すぐ近くで「やめて」という悲鳴に似た叫びが聞こえ、同時に機内のどこかで「ボン」という大きな音がした。乗客がざわつく中、期待が大きく傾き、私はバランスを崩した犯人から、どうにか逃れることができた。
だが旅客機は気圧の変化に耐えきれず、たちまち制御不応に陥ってしまったのだ。今思えば大きな音がしたときに機体のどこか、壁か窓に穴が開いたのだと思う」
「穴?」
「これも後でわかったのだが、少女には特殊な能力があったのだ。手を使わずに物を動かしたり、壊したりする力が」
「まさか」
「パイロットはすぐに手動操縦に切り替えたのだろうが、無駄だった。機体はきりもみしながら急降下し、眼下に広がる森林の真っただ中へと突っ込んでいった。
墜落直後、私は奇跡的に意識を取り戻した。そしてすぐ近くにやはり少女が奇跡的に生存していることを確認した。
残念ながら母親は急降下の際に機体の外に放りだされたらしく、姿を確認することができなかった。
私は少女を抱き、数十キロ離れた近くの町まで歩いた。そして少女を町はずれの無人の小屋に隠すと、町の人にはさも生き残ったのが自分だけであるかのようにふるまった。……つまり私は少女の存在を誰にも知られぬよう、隠ぺいしたのだ」
「なぜ……」
「私は研究者だ。自分の目の前に未知の力を操る人間がいれば、その能力を研究したい、できれば成果を独り占めしたい、そういう欲求に抗うことはできない」
「なんて勝手な。それに少女は心臓が悪かったんでしょう」
「そうだ。それで私はひそかに少女を伴って帰国すると、自分の研究所で「ある実験」を行ったのだ」
「実験?」
「研究所にわずかに残されていたプラントの中から、小型で比較的完成体に近いものを少女に「寄生」させたのだ」
「なんですって」
「失敗すれば意識ごとプラントに乗っ取られてしまう可能性もあったが、私はプラントが少女の心臓をサポートしてくれる可能性に賭けてみたかったのだ。
そして「寄生」後、しばらくして少女は私に自分の胸を指さして、こう告げたのだ
「私、この子に心臓を上げることにしたの」と。私は驚いた。つまり彼女は自分の中のプラントと「取引」をしたのだ。
おそらく彼女の特殊能力が、プラントが脳へ侵入するのを防いだのだろう。彼女は「自分の意識は渡さない、その代わり、心臓を上げるから自分の代わりに動かしてほしい」そういう取引をしたのだ」
「でも先ほど、博士はおっしゃいましたよね。「プラント」は人間だと。それだと、一つの身体の中に二つの「人格」があることになってしまう」
俺が疑問点を口にすると、鬼志神は我が意を得たりと言わんばかりに頷いてみせた。
「そう、その通りだよ、泉下君。彼女は一つの身体の中に二つの人格を共存させて見せたのだ。頭脳は自前の物、心臓はプラントに「間借り」させるという思いもよらぬ方法でね」
「信じられない……」
「だがその直後、またしても研究所がトラブルに見舞われた。原因不明の出火による火災が発生し、施設の大部分が焼失してしまったのだ」
「まさか、それも少女の……」
「わからない。その可能性も否定できないが、どうでもよかった。私は度重なるトラブルに、研究を続けようという気力がすっかりなくなっていた。
少女は研究所を資金面でバックアップしてくれていた牧原幸三という人物が、養女として迎えることになった。
私は研究所が人手に渡り、病院となってからもなぜか妙に離れがたく、施設内で契約職員として働く日々が始まった」
「それが「木下さん」だったわけですね」
俺の皮肉交じりの問いに、鬼志神は力なくうなずいた。
「これが「プラント」をめぐる話のすべてだ。研究所から逃げた逢賀や植草姉弟がその後、どうなったかについては正直、あまり関心がなかった。
だが、君の話を聞いて事態が私の想像を超えた最悪の方向に向かっていることがわかった。
「世界樹計画」が実行に移されれば、世界はたった一体の「フラクタルゾンビ」に支配されることになる。そうなったら、生きている人間の社会にとってもゾンビ社会にとっても、悲劇的な世界になるに違いない」
「俺には世界がどうとか、そんなことに関わるだけの力はありません。でも、俺の大切な「友人」が今、フラクタルゾンビに飲み込まれ「世界樹」になろうとしています。
俺は何とかしてその友人だけでも助けたいんです。いったいどうすれば、フラクタルゾンビの活動を止めることができるんですか、博士」
俺が詰め寄ると、鬼志神は一瞬、考え込むそぶりを見せた。それからおもむろに息を一つ吐くと「「
「ウブタマ?何ですか、ウブタマって」
初めて耳にする言葉に、俺は戸惑った。
「「産珠」とは、フラクタルゾンビの中に……」
鬼志神がそこまで言いかけた時だった。地下室のドアがいきなり強い力でこじ開けられたかと思うと、地下室全体に白い煙が充満した。
「見つけたぞ、鬼志神博士。おとなしく一緒に来てもらおう」
〈第十四回に続く〉
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